第174話 上げては落とす達人
どれくらいの時間が経っただろう。
マリン先生の墓標の前で泣きはらした私は、時間をかけゆっくりと立ち上がり気持ちの整理をつけた。いや……整理なんて本当はついていない。きっと一生、つくことなんてないのだと思う。だけどそれでも私は立たなくてはならない。時間が過去へと巻き戻せないように、時間の針は決して止まってはくれないのだから。
「……今日はありがとね。案内してくれて。これでようやく胸のつかえが取れた気分だよ」
「良いんだ。僕も先生に会いたかったから」
そっと墓石の表面を優しく撫でるニコラ。
先生と最も長く一緒にいたのはニコラだ。きっと彼には彼で思うところがあるのだと思う。それでも表面的には落ち着きを見せている彼が羨ましい。精神年齢的には私の方が上のはずなのにな。
「お姉様、大丈夫?」
「うん。大丈夫。ごめんね、恥ずかしいところ見せちゃったね」
「そ、そんな、お姉様が恥ずかしがることなんて一つもないよっ!」
「……ありがと、アンナ」
「う、うん……ならそろそろ戻りましょう。大分暖かくなってきたとは言っても、まだ春先ですからね。風邪をひいては……あっ……」
途中で慌てて口元を押さえるアンナ。
その仕草が妙に可愛らしかった。
「ははは、そんなに気をつかわなくても良いって。吐き出したいことはさっき全部吐き出したからさ。気にしてない……とは言えないけど、ふんぎりはついたから」
「う、うん……」
「ならそろそろ戻ろう。暗くなると流石に危ないからね」
周囲の簡単な片付けも終えたらしいニコラが私達に並びながら言う。
「あれ? ニコラは私達を守ってくれないの?」
「もちろん体を張って守るけどさ。僕がそういうのからっきしだってのはルナも知ってるでしょ」
「ま、うちの参謀だしね。そういうのはイーサンの役割か」
「あとルナのね。そういえば結局、詳しい話を聞いてなかったね。また今度聞かせてよ。放課後は大体あの部屋にいるから。仕事と訓練があるデヴィットとイーサンはあんまり顔を見せないけどね」
「アンナもお姉様が来るなら必ず出席しますから!」
「いや、私も仕事があるからね? 出来ることなら出たいとは思うけど」
「そっかぁ……」
「そんなぁ……」
明らかに落胆した様子の二人。
可哀想だし、時間がある時は出来るだけ顔を見せるようにしよう。クレアがそれを許してくれるか分からないけど……
「って、あああああああッ!?」
「うわっ、急にどうしたのさ、ルナ」
「ま、まずい……休憩中だったことすっかり忘れてた……」
「え!?」
「ど、どうしよ……小一時間くらいのはずがすでに数時間……」
外に出ることだけは告げてきたけど、いくらなんでも帰りが遅すぎる。ニコラ達に再会したことですっかり頭から抜けてしまっていた。
「と、とりあえず私は最速で家に戻ります! ニコラ、アンナをきちんと送り届けるようにね!」
「わ、分かった」
「お姉様も気をつけてねー!」
最後にアンナと手を振って、全速力で駆け抜ける。
やばい、やばいよぉ。こんな失態は雇ってもらってから始めてだ。もしかしたら解雇、なんてことも……それだけはまずい!
頭の中で幾つかの言い訳を考えながら屋敷へと急ぐ。そろそろ夕食の準備も始めなくてはいけない時間だし、色々もう駄目かもしんない。
「はあ……はあ……や、やっとついた……」
私が屋敷に戻ったときには、すでに周囲は完全に真っ暗になってしまっていた。従業員がよく使う裏口からこっそりと中に入ると、すぐにクレアの部屋へと直行する。
怒ってないといいけど……怒ってるだろうなあ。
「し、失礼しまーす」
ゆっくりと扉を開け、中を覗くとまだ仕事が終わらないのか書類と格闘するクレアの姿が見えた。向こうもどうやらこちらに気付いたようで、機嫌の悪そうな視線が私を射抜く。
「お帰りなさい、ルナ。思ったより遅かったのね」
「す、すいませんっ!」
色々と言い訳は思いついていたのだが、結局嘘をつくことが出来なかった。時間を忘れてイーサン達と遊んでいたのは私だ。ここは平謝りで何とか許してもらおう。
……と、思ったのだが、
「それで? 用事は終わったの?」
「……え?」
「クロエに頼まれて買い出しに行っていたんでしょう? お疲れ様。私もお腹空いてきちゃったから夕飯の支度をお願い。今日はここで取るから運んでくるようにね」
「わ、分かりました」
料理の注文を受けた私はひとまず、夕食を作りにキッチンへと向かうことにした。だけど……私は買い出しになんて行ってはいない。どこかで情報が間違って伝わったのかな?
首を傾げながら歩いていると、廊下の向こうから荷物を運ぶクロエさんが現れた。丁度良い、確認しておこう。
「あの、クロエさん……」
「あ、お帰りなさい、ルナさん。しっかりと羽は伸ばせましたか?」
「え?」
「いえ、なかなか戻ってこないので少し気になっていましてね。ルナさんのことなのでそれほど心配はしていなかったのですが……普段からルナさんには随分と負担をかけていますからね。お嬢様のほうには私からうまく言っておいたので、お叱りはないと思いますよ」
「く、クロエさん……っ!」
こ、この人は天使か? それとも女神?
こんな優しい人が存在していたなんて……どうやらクロエさんのこと、私は誤解していたようだ。
「あ、ありがとうございます。凄く助かりました」
「いえいえ。どんな戦士にも休息は必要ですから。でも、次からはせめて私には声をかけてくださいね。信頼はしていても、心配はしますから」
「大丈夫ですっ! こんなミスはもうしませんから!」
「ふむ、やっぱりサボりというわけではなかったんですね。それなら良かったです。さあ、それなら業務に戻りましょうか。まだまだ仕事はありますからね」
「はいっ!」
やっぱりクロエさんは頼りになる。これほど信頼できる上司なんて他にはいないんじゃないだろうか? 私もこれからはクロエさんのようなメイドを目指して……
「あ、それと見返りはルナさんのパンツで良いですよ。もちろん、洗濯前の」
「…………」
訂正。
やっぱりセクハラで部下を困らせるような上司にだけはなってはならないと思います。まる。




