第165話 褒めて伸びるタイプのお嬢様
学科毎に行われる入学式、その式典もようやく終わりとなるその直前のことだった。
『では次に新入生代表挨拶……魔導科主席、ノア・グレイ』
教師の声により、一人の女子生徒が教壇へと上がった。
魔導科主席……ということはトップの成績で入学した生徒ということだ。誰もが自分たちの世代の頂点に立つ人物に視線を集める、その中で……
「あ、あー……聞こえる? 聞こえてまーすーかー? あんまり大きい声だすの得意じゃないからさっさと要件だけ話すぞー」
その女子生徒、ノア・グレイは眠たげに開かれた半眼で周囲を雑に見渡すと、間延びした口調で心底だるそうに新入生代表の挨拶を開始した。
その時点で周囲の生徒からざわめきが起こっていたのだが、続く挨拶に今度はその場の誰もが静まりかえった。
「ノアは正直、勉強とかめんどくさいので適当に流すつもり。だから他の皆も適当に適当してればいいんじゃないかなあ。それぞれやりたいこともあるだろうしね。魔術師のセカイってのはあれなんでしょ? 弱肉強食? ……はちょっと違うか。よーするに強いやつの言うことが正義って話なんでしょ? だったらいまのとこ最強はノアなんだし好きにやっちゃってもいいよね?」
それは魔術師を志すものにとってはその道の冒涜にも等しい態度だった。魔術師とは国の為に働く市民の鑑。そこには性格や気品の正しさも求められるのが一般的な考え方だ。
魔術師は貴族に多いということも影響していると思うのだが、強者には強者の義務があるという考え方が根強く残っている。その証拠に隣に座るクレアは壇上のノアを視線だけで殺しかねない眼光で睨み付けていた。
そして、それは周囲の生徒、主に貴族の連中も同じようだった。
壇上に立つノアの姿もその反感に拍車をかけている。
肩口まで雑に伸ばされた薄紫の頭髪はノアのだらしない性格を現しており、服装もそこらのバザーで誂えたかのように明らかにサイズの合っていないダボダボのロングコート。どう見ても自分たちの代表には相応しくない出で立ちだ。
その服装から彼女が平民であることは疑いようもなく、この場の貴族の生徒全員が思っていたことだろう。『なんであんな知性の欠片も感じられない野蛮人がこの栄えあるエルセウス魔導学園に入学、あまつさえその主席の座に収まろうとしているのか』と。
「なんであんな知性の欠片も感じられない野蛮人がこの栄えあるエルセウス魔導学園に入学、あまつさえその主席の座に収まろうとしているのよ」
というか、隣の人が口に出して言ってしまっていた。
お嬢様、流石にその台詞は貴族らしからぬものなので黙っててください。
「んー、ノアからはそんな感じかナー。あ、そうそうノアは出来るだけ楽しく学園生活が送りたいからお前らもノアの興味を引けるよう張り切って研究に勤しむように。いじょー!」
ぴょんとその小柄な体躯で壇上を飛び降りたノアは言いたいことは言い終えたとばかりの満足顔だった。これはあれだな。自分の中で色々完結しちゃうタイプの人間だ。こちらも出来れば関わり合いになりたくないタイプ。
「な、に、さ、ま、な、の、よっ……あ、アイツぅ……!」
そして、隣のお嬢様もかなり近寄りがたい感じになってしまっている。
やだなあ、どうせこのとばっちりは私に来るんだろうし。
「まだ式は続いていますからどうか落ち着いてくださいね、お嬢様」
「なによ、ルナはあんなこと言われて悔しくないの!?」
ひそひそと小声で怒鳴るという器用なことをしたクレアにしばし考え込む。
確かにノアの主張は魔術師にとっては聞き逃しがたい言葉だっただろう。だけど、私は別に魔術師を志しているわけではない。職業や象徴としての魔術師にそこまで憧憬を抱いていないというのもある。何せ、私の一番身近な魔術師が師匠だからね。尊敬の念も湧きやしない。
となると、残るのは彼女の強さが正義という論点だが……これも今では非常に反論しがたい意見だ。これまでの人生、まさしくその通りだったからね。立場が変われば意見も変わる。だけど、現時点の私にはノアを糾弾するだけの説得力を持っていなかった。
(というかもっと単純な話だよね。さっきの話を聞いて、別に嫌な気はしなかったし)
さらに言うなら私はノアのどこまでもゴーイングマイウェイな論調に好感すら覚えていた。自分で自分の核を捉えている人間は美しい。目的の為に邁進する人生は研ぎ澄まされた日本刀のように、機能美にも似た美しさを持つ。
一言で言うならカリスマだ。それを彼女は持っているように見えた。
(とはいえ、嫌われる人にはとことん嫌われるタイプだろうけどね。私みたいな全方位型八方美人とはちょっと違うか)
「……ルナはあの娘の意見に賛成みたいね。メイドのくせに」
「確かに私はお嬢様に仕えていますけど、思考まで染められる気はありませんよ。申し訳ないとは思いますけどね」
ここでノアを悪く言えないあたりが良い顔しいなんだよなあ。
分かっていてもやめられる気はしないけど。
「はあ……まあいいわ。あんな子にトップを取らせちゃった責任がこの場の全員にもあるわけだしね。悔しいけど」
それだとノアの強者こそ正義の論調を認めることになるけど……いや、何も言うまい。お嬢様のそういう変に素直なところは美徳でもある。本人が納得できたなら蒸し返す必要もないだろう。
「ただ……納得は出来ないわよね」
納得できないのかよ。ならなんで一度引き下がったんだ。自分で自分の台詞を矛盾させてどうする。まあいいわ、って何を良しとしたんだよ。
「彼女にトップを取らせた責任の大部分は私にあるわけだし」
「え? お嬢様、彼女に何かしたんですか?」
「何もしてないわよ。なんで真っ先にそこを疑うのよ。そうじゃなくて……」
お嬢様は否定した後、視線を逸らして頬を染めるというあからさまに照れた表情を見せて言った。
「入試の成績……私が二番だったのよ」
「ああ、そういう……」
「私がもっとちゃんとしていればあんなふざけた挨拶なんてさせなかったのに」
確かにそれはそうなんだろうけど……うーん。
「だけどそれはやっぱり全ての生徒に言えることですよ。常に上を目指すお嬢様には嬉しくない褒め言葉かもしれませんが……私は二番でも十分に立派だと思います。普段の努力が実りましたね。遅れましたが、おめでとうございます」
私がにこりと微笑むとクレアは笑みを抑えきれないのか、口元をぴくぴく痙攣させながら必死で平静を装っていた。
「そ、そうよ。この程度の成績で満足する私じゃないわ。だけど、私を讃える言葉を無視するのもルナに悪いものね。ほんのちょっぴりだけその賛辞、受け止めてあげる」
ほんのちょっとと言いながら滅茶苦茶嬉しそうなクレア。
なるほどね。どうやら自分の成績を誰かに褒めてもらいたかったらしい。良い意味ではないけれど、結果的に目立ったノアへの対抗心からかな?
案外、うちのお嬢様も可愛いところがある。
「さて、話している内に式も終わったみたいね。帰るわよ、ルナ」
「はい。お供します、お嬢様」
浮き足立った様子で顔を赤く染め、歩き始めるクレア。
そんな様子を私は生温かい目で見守りつつ、後を追うのだった。




