第163話 第一印象は大切に
エルセウス魔導学園。
王都に立地を持つこの学園は国内でも有数の学術施設としてその名を知らしめている。歴史も古いこの学園は魔術に関する学問を教える『魔導科』『魔巧科』『研究科』以外にも『経営科』『法務科』『剣術科』など幅広い技術体系を網羅している。
学科が増えれば当然人も増えるため、学園には本職の研修者も含めて全体で二万人以上の人間が収容されている。これは地方の街に匹敵する人数であり、学園周辺が学園都市などと呼ばれ半ば独立していることにも起因している。
厳しい審査こそあれ、毎年何千人もの若者たちがその門を叩く難関中の難関校。そんな歴史と格式ある学園の前にて……
「ねえ、見てよあの子。すっごく綺麗」
「ええ、本当。まるで妖精みたいだわ」
「貴族の方かしら、でもあんなに美しい銀髪、一度見たら忘れないと思うのだけど……」
陽気な春の朝には似合わない、ちょっとした騒ぎがまるでさざなみのように広がりつつあった。そして、その騒ぎの中心部にて私は周囲から集まる視線ににこやかに手を振りながら登校していた。
「ちょっとルナ、やめなさいよ。はしたない」
そして、そんな私の様子を見て隣を歩くクレアお嬢様はとても不機嫌そうな顔をしていた。どうやら、主人ではなくメイドの私に注目が集まっていることが面白くないらしい。我が主人ながら我侭だ。
「まったく、これならメイド服のままの方が良かったかしら」
「そ、それはご容赦ください。お嬢様」
本気の顔で思案するクレアに咄嗟に謙る。
学園に通うにあたり、私はメイド服から学園指定の制服に着替えさせてもらっていた。お付きの従者に制服着用の義務はないので、メイド服で通う付き人もいるのだがあんな服で学校に行くことになると私の矜持がガリガリ削られてしまうため縋りついてこの格好にしてもらった。
だけど、普通の制服にプラスして日光対策の外套に日傘という外見はどこからどう見ても良家の息女にしか見えないらしく、さっきから私の正体を探ろうとする視線に晒されているというわけだ。
制服のデザインが可愛い系よりもかっこいい系ということもあって、私の外見にもマッチしている。女の子の中でも私は特に中性的な顔立ちをしているからね。男装とかしたらとても似合う自信がある。
(男の姿になることを男装なんて咄嗟に思うあたり、私も染まってきてるよなあ……)
メイド服を着たあたりで私の男としての尊厳はかなり危うい位置にあるのだが、それも全ては学園に通うためだ。男らしく諦めよう。
(しかし、思った以上に人が多いなあ。さすがはマンモス校。敷地面積もきっととんでもないことになっていそうだし、何かしらの移動手段が欲しいかも)
周囲の視線ににこやかに微笑み返しながら、あの過保護な姉の姿を探す。
アリスとどこかで合流できたら良いのだけど、今の私はクレアお嬢様の付き人だ。勝手な行動は出来ない。二人が自然と仲良くなってくれることを祈るしかなさそうだ。
アリスとクレアはどちらも魔導科の生徒だ。きっと授業も一緒になるだろうし、全く接点がないということもないだろう。となると、今の私に出来ることは唯一つ。
「お嬢様、今日から学園生活が始まるわけですが緊張などはしていませんか?」
「そうね。大半の注目は貴方が引き受けてくれているわけだし、プレッシャーは少ないかしら」
うわあ、嫌味に聞こえなくもない台詞だあ。
ここ数日、一緒に暮らして分かったのだがこのお嬢様は自分の機嫌がもろに態度に出る。その分付き合いやすいかと思ったが、機嫌が悪いときでも傍にいなくてはならない付き人という役職上それも逆効果だ。こういう時は不機嫌をそっと隠してくれる主人の方が付き人としてはやりやすい。
私が話題を探して周囲に視線を向けると、大型掲示板の前に何人もの生徒が集まっているのが見えた。吸血鬼の視力で確認すると、どうやら学内の見取り図と各学科の集合場所が記されているようだった。
「お嬢様、私はクラスを確認して参りますのでこの場で少々お待ちいただけますか?」
「ん、分かったわ。出来るだけ早くね」
「分かりました」
許可を得た私は早速掲示板の方へ。
これは決して機嫌の悪いお嬢様から距離を取ろうとしたわけではない! 決して!
「っと、とと」
お嬢様の指示に従ってやや急ぎ気味に掲示板へ向かったのだが、その途中、やけに人とぶつかってしまった。傘が邪魔だから人の少ない方を選んでるんだけどなあ。しかも、男ばっかり。どうせなら女の子とぶつかりたいところだ。
「えーと、魔導科魔導科……」
掲示板を遠目に見るのだが、背の低い私では微妙に見えにくい。とはいえ、傘が邪魔でこれ以上近付けそうにないし……どうしよう。
「魔導科の教室は東棟一階の13講義室ですわ」
「え……?」
私が困っていると、背後からそんな声が聞こえてきた。
振り返るとそこには桃色の髪を風になびかせ、悠然と微笑む少女の姿があった。
「突然失礼しましたわ。私の名前はカレン・ヒューズ。お困りのようでしたので声をかけさせてもらったのだけど、迷惑だったかしら?」
「い、いえそんなことないです。凄く助かりました」
「そう、それなら良かったわ」
にっこりと微笑むカレンと名乗った女の子。
とても親切な人だ。学園で最初に出会った人が彼女のような人物であれば私はすぐに友達になろうとしただろう。ただ……
「あの……一つ聞いてもいいですか?」
「何かしら?」
「何で……肩車なんてしていらっしゃるんですか?」
一人の男子学生の肩に乗ってさえいなければ。
さっきとは別の意味で注目され始めていることに頬が熱くなる。出来ればさっさと降りてもらいたい。だけど、当の本人は私の羞恥なんて気付きもしていないのかあっけらかんとした様子でそのまま話し続ける。
「この人数でしょう? 遠くからでは見えなかったのでこうしてセスに助けてもらったの。ああ、この人はセス・モレル。私の付き人ですわ」
「セスと呼んでください」
滅茶苦茶良い顔でキメるセスと呼ばれた男子学生。
ただ、肩車なんかしているから二人とも微妙に間抜けな印象が拭えないんですけど。君も従者なら止めろよ。どう見ても悪目立ちしているぞ、今。
とはいえ助けてもらったのも事実。このままさよならでは印象がよろしくない。お嬢様の顔に泥を塗るわけにもいかないので、ここは我慢するしかなかった。
「私はルナ・レストンです。お声をかけてくださってありがとうございます。私と主人は今年から魔導科に配属されることになったんですけど、お二人も?」
「ええ。私たちも魔導科の生徒ですわ。というより……貴方、従者でしたの?」
「そうです。ああ、そういえば主人に早く用事を済ませるように言われていたんでした。名残惜しいですが、また後ほど」
不機嫌なクレアとこの奇天烈なお嬢様。どちらの傍にいるのがマシかを考えた私は前者を選択した。肩車している人と並んで歩きたくはない。
「そう。ではごきげんようですわ。ルナ」
微妙に変な言葉を使いながらカレンは去っていった。
セスに肩車をさせたまま。
「……さて、お嬢様のところに戻ろっと」
この人と同じクラスになるのかあ、なんて一瞬過ぎった不安を強引に心の奥底に封じ込めた私はクレアの元に急いだ。きっと春だからだ。皆、陽気になる季節だからね。うん、仕方ないよ。




