第156話 家族の形
「はあっ……はあっ……はあっ……」
「切り返しが遅いっ! 反応が悪いのは集中力が足りないからだ! もっと意識を研ぎ澄ませて!」
「は、はいっ!」
ルカの頼みを聞いた私はまず、彼女の身体能力を確かめることにした。
筋力、敏捷性、スタミナ後は根性。現時点でどれぐらい彼女にそれがあるのかを確かめるため、往復ダッシュをさせているのだが……
(思ったより動けてる……スタミナはまだまだだけど素の身体能力は高そうだ)
今のルカの歳で才能云々の話は出来ないけれど、同世代の女の子にしては体力があるほうだと思う。根性も悪くない。自分から言い出しただけのことはある。
(とはいっても戦い方を教えるとなると、色々勝手が違うしなあ……どうしよ)
「ラスト一本! 全力で!」
「はいっ!」
元気良く返事したルカが走る抜けたのを見て、私はタオルを片手にゆっくりと近づいていく。
「き、きつい……」
「あ、座らないで。完全に体を止めちゃうと疲れが一気に来るから。適度に歩いたりして体の疲れを徐々に抜いていくように」
「わ、分かりました」
素直に私の言うことを聞いたルカと並んで歩きながら、私はついでに気になっていたことを聞いてみることにした。
「そういえばルカはどうして強くなりたいって思ったの?」
「え? えっと……」
乱れた息を整えながら歩くルカは微妙に言いにくそうな表情を浮かべた。といより、頬が赤くなってどちらかという恥ずかしそう?
「……僕は誰かを守れる人になりたいんです。僕は今までずっと守られてばかりだったから。この前だって、僕は何も出来なかった」
「この前って、ルカと初めて会った日のこと?」
私の問いにルカはこくりと頷いた。
「僕は姉上のこと……多分、誤解していたんだと思います。母上は姉上のことをあまり話したがりませんでしたから。勝手にイメージして、勝手に誤解して……そのせいで姉上に迷惑をかけました」
「そんな迷惑だなんて。家族を守るのは当然のことだよ」
「出会って初めての相手を家族と思えるのが凄いんです。僕にはその当然のことが出来ませんでしたから」
あ……しまった。謙遜したつもりが、逆にルカを追い込んでしまった。
でも今更それを否定するのもおかしいし……ううむ。やっぱり私は口下手だ。こういうときに気の効いた台詞が出てこない。
「……僕はきっと姉上に期待していたんです。記憶にある母上の自慢話のほとんどが姉上に関することでしたから」
「でも……それは仕方ないんじゃない? 想像の中だとどうしたって脚色されちゃうから。それが家族ならなおさら」
誰だって自分の家族を悪く思いたくは無いはずだ。そうなるとルカがまだ見ぬ私に幻想にも似た気持ちを抱えるのも分からなくはない。
(あ……それでティナが言っていたことに繋がるのか)
ティナはルカが私を意識して真似ているといった。
もしも、その原因がさっき言った感情に由来するのだとしたら……私はきっとルカを失望させてしまったのだろう。私はルカの前では特にふざけて見せていたから。
「……頼りない姉でごめんね」
思わず口から出た言葉に、ルカは驚いた表情で私を見ると勢い良く否定した。
「そんなことないですっ! 姉上は凄いですよ! あんな怖い人達にも全然動じなかったですし……ひどいことを言った僕を守ってくれました」
まさかそんなふうに思っていてくれたなんて思っていなかったから驚いた。
でも確かに初日のような刺々しさは最近感じなかったし、もしかしたら気付かないうちに私とルカの距離は近づいていたのかもしれない。
「僕が勝手に期待して、落胆したのは事実です。でもそれは姉上に実際に会うまでの話ですから。実際に会った姉上は僕の想像通りの立派な人でした……僕がそれを認められなかっただけで」
「認められなかった? またどうして?」
「…………」
黙りこんだルカに、思わず踏み込みすぎたかと僅かに後悔した。
だけどここで踏み込まなければルカと分かり合うことは出来ないとも思った。
だから、私は問いを撤回することもせずルカの言葉を待った。そして、ちらりとこちらを見たルカはゆっくりと自分の本心を語りだした。
「……僕は姉上がいなくなったことに失望しました。落胆したって言ったのもそこが一番大きな原因だったんだと思います。だから……僕は姉上みたいに家族を省みない人間にはなりたくないと思いました。母上が辛い時期に一番傍にいたのは僕だから。僕こそが姉上よりも優れた人間なんだって、そう思いたかったんです」
「……それで私を越えようとした?」
「僕が姉上を意識していたことは否定出来ません。母上は姉上のことを話すとき嬉しそうにあの子は天才だって、そう言ってましたから。そして、優しい心を持った子だとも」
テ、ティナのやつ、そんなことをルカに言っていたのか。
本人がいないからって言いたい放題言いやがって。顔が熱くなるじゃないか。
「僕は嫉妬していたんだと思います。憧れと同じくらい強く。だからこそ、越えたいと思った。越えて一番優秀な子供は僕なんだって、母上に思わせたかった。そのためには姉上と比べてもらえる土俵に立たないといけなかったんです」
「……それで鍛えて欲しいって言い出したわけか」
ルカの話を聞いて、私の中で全てが繋がった。
ルカの想い。ルカが何を感じ、何を求めていたのか。
ややマザコンが過ぎる気がしないでもなかったが、ルカの環境を思えばそれも当然なのかもしれない。私が帰らず、お父様が姿を消した。家族の中でルカが頼りに出来たのは唯一母親であるティナだけだったのだろう。
私に対する風当たりの強さも、色々な感情がごちゃ混ぜになった結果なのだと思う。家族なのだから仲良くしたい、だけど無邪気にそうするにはあまりにもマイナスな感情が多すぎた。
「えっと、なんていうのかな。正直に言うと……ごめん。ルカの言ったこと、理解は出来るけど共感はできそうにない」
「……それで良いと思います。姉上は素直ですから。立場も違いますし」
「私が素直、ねえ。それもまた一面に過ぎないと思うけど」
「それでも僕は姉上には理想の姉上で居て欲しいんです。勝手な願いだとは思いますけど。いつだって僕の目標は姉上でしたから」
自分はここまでぶっちゃけておいて、私には理想でいてくれと?
ルカもなかなか自分勝手なことを言いなさる。私といい勝負だ。さすが兄妹。
でも……妹にそこまで言われたら仕方ないか。下の子は上の子を見て育つというし、ここは姉として精一杯の虚勢を張って見せるとしよう。
きっとそれが、これまでないがしろにしてきたルカに対する唯一の贖罪だと思うから。
「そういうことならもう少しトレーニングメニューを増やす必要がありそうだね。スタミナ強化と瞬発力の強化を重点にさっきのをもう2セットくらいやっておこうか」
「えっ……」
「私を越えるつもりなら、私より努力しないとね」
引きつった笑みを浮かべるルカに、無慈悲な宣告を送る。
私を越えるつもりならマジで人間であることを捨てないといけないレベルの話になってくるからね。辛くなったらその時はその時。私を越えることなんて端から不可能だったと諦めてもらおう。
「ほら、休憩は終わり。さっさと始めるよ」
「あ、姉上……ほ、本気ですか?」
「勿論。私は優しさの中に厳しさを含める人間だからね。家族だからって手を抜いたりはしないからよろしく」
「そ、そんなぁ……」
はは、きっと師匠との特訓の時も私は似たような表情を浮かべていたんだろうなあ。S心をそそる素晴らしい表情だ。もっと苛めたくなってくる。
師匠がどうしてあんなに楽しそうに私たちにトレーニングを課していたのか、二年半越しに私はその理由を悟ることになった。可愛い妹を犠牲にして。
「ほらほら、そんなんじゃ私を越えるどころか並ぶことさえ出来ないよ! もっと足上げて! 辛くても呼吸を整える!」
「は、はいぃぃぃっ!」
でも、こんな日常も悪くない。
普通の家族の形とはちょっと違うけれど、それでも良いと。
そう思える自分がいた。




