第139話 本物の笑顔
「荷物はちゃんと持った? お金も忘れてない? ハンカチは大丈夫? 何かあったら師匠の住所宛に手紙を書くのよ?」
「……ルナ、過保護」
「そりゃ過保護にもなるよ。だって……」
そこまで言いかけて視線を上げる。
するとそこには荷物を背負うウィスパーとリン、そしてどこまでも続く果てしない道が見えた。
「……今日が最後、だからね」
リンとウィスパーはこれから西の方向へ向けて旅に出る。
私達とは別方向、決して交わることのない道へと。
「……最後じゃないよ、ルナ」
「え?」
「また会いにくる。必ず」
「……はは、そうだね。そうだった」
あれだけ誓い合ったのに、いざ別れとなるとすぐに弱気になってしまう。
こういう精神的な部分はいつまで経っても未熟なままらしい。私は。
「……寂しくなるね」
「…………」
ついでとばかりに私の口から漏れた弱気な言葉にリンは何も言わなかった。
代わりに懐から何かを取り出すと、それを私に向けて差し出してくる。
「これは……?」
「ルナに使って欲しい」
リンが私に手渡してきたもの、それは質素なデザインの髪留めだった。
「今使っているのと合うように選んでみた」
「リンが自分で選んだの?」
「うん」
軽く頷くリンの表情が僅かに赤い。
きっと照れているのだろう。最後の最後までリンちゃんまじかわ。
「ありがとう、リン。大切にするよ」
いつかニコラに貰った髪留めと同じように、自分の髪にくくりつける。
この作業にも随分慣れてしまった。どんどん女の子っぽくなっているような気がするけど、まあいい。
今はリンのプレゼントの方が大切だ。
「リン、こっちおいで」
「?」
きょとんとしながらも、とてとてと何の躊躇いもなくこちらに駆け寄ってくるリン。ちょっと心配になるくらいの純粋さだ。これは悪い人間に捕まらないよう、注意しておいたほうがよさそうだ。うん。
私は花の香りに誘われた蜂の如く、警戒心ゼロで近寄ってきたリンを思い切り抱きしめ、
「ほーら捕まえた!」
「ひゃうっ!?」
人体の急所の一つ、わき腹を思いっきりくすぐってやった。
「世の中には悪い奴がいっぱいだからね。こんな簡単に誰かについていったりしたら駄目だよ?」
「る、ルナがおいでって……ひうんっ」
「そうでなくてもリンは珍しい獣人種なんだから、良くないこと考える人はいっぱいなんだ。ちゃんとウィスパーの言うことを聞いて、彼から離れないように。分かった?」
「わ、分かった。分かったからぁ……」
息も絶え絶えに許しを請うリン。
こんな可愛い声を上げるリンは始めて見た。
そうか、リンの弱点はわき腹だったのか。もっと早く気付いていればよかった。そうしたらもっと色々出来たのに。
「はあ……はあ……ルナのいじわる」
「ははは、知らなかった? 私はいじわるだったんだよ」
その場にへたり込み腰砕けになったリンをこれ幸いとばかりに撫でまくる。普段は触らせてくれない尻尾や耳も今のうちに堪能しておこう。ふわふわ~。
「……私だっていじわるなんだ。もっと悪い奴なんてこの世界にはいっぱいいるよ」
「ルナ?」
「いい? 絶対に帰ってくるのよ? もしも約束破ったら……泣くから。私が」
「……それ、脅しになってないよ?」
「いいよ。リンを脅すつもりなんかないから。だからこれはただのお願い」
抱きしめていた体をそっと離し、私はリンに正面から向き合った。
そして……
「また……会おうね、リン」
ゆっくりとリンの頭を撫でて上げる。
優しく、心を込めて。
私の気持ちが少しでも届くように。
私のお願いに、リンは……
「うんっ!」
大きな声で頷き、その可愛らしい顔いっぱいに笑顔を浮かべるのだった。
それはいつか見た悲しげな笑みではない、本物の笑顔。
同じ別れ際のはずなのに、その本質は全く違っていた。
なぜなら……
──きっとまた会える。
それが私達には分かっていたから。




