第136話 ウィスパーの決意
出会いは偶然であり、別れは必然である。
どこかの詩人がそんなことを言っていた。
もしかしたら歌手だったかもしれないけれど、そんなことはどうでも良くて、私が言いたいのはそれがこの世界の真実の一部だということ。
そして私は別れがあるからこそ、人は出会いを求めるのだと思っている。
終わりのないものに価値なんてない。
いつか失ってしまうからこそ価値があるのだ。
だから……私たちはどんな別れであろうとも受け入れなければならない。
それがどんなに辛く、悲しいものだとしても……
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私たちが新しい街に着いてから三日が経ったある日。
唐突にウィスパーが私たちを宿の一室に呼び出した。
一体何事かと集まる面々の前で、ウィスパーは唐突に袋をテーブルの上に置くと中からジャラジャラと何枚もの金貨を取り出した。
「この街で金が下ろせた。とりあえず借りていた金を返すぜ、マフィさん」
その内の一枚を師匠に押し付けるように手渡したウィスパー。しかし、その場の全員がその金貨の山に声を失っていた。
なぜならそれはあまりにも……
「ウィスパー!」
「うおっ!? な、なんだよルナ」
「貴方、こんな大金どこから盗ってきたのよ!? 今ならまだ間に合うわ! 私も一緒に謝ってあげるから返しに行くわよ!」
「誰も盗んでねえ! お前は俺のオカンか!」
濡れ衣だと無罪を主張するウィスパー。だけど……ねえ?
「ほっほ、いや驚いたのう。人は見かけによらんものじゃ」
「いや、それもどういう意味だよ」
グラハムさんがその場の全員の代弁をする中、アリスが一枚の金貨を手に取り師匠に問いかける。
「ねえ、これってそんなに価値があるものなの?」
「ああ。この国で流通している金貨は貨幣の中での最高単位だからな。それ一つで大体半年分の生活費になるぜ」
「はんとし!?」
あ、世間知らずのアリスが驚いてる。
そりゃそうだ。単位に直すと20万コルになるからね。
節約すれば半年どころか一年だって持つ。それぐらいに価値のある貨幣なのだ。あまり市場で使われるところは見ない……というか私も始めてみるレベルに稀少な貨幣。それが金貨だ。
それが見るだけで百枚近く。
程を弁えれば一生遊んで暮らせる額の金貨がそこにはあった。
「いや、確かに幾らか金は持っているって聞いてたけど……まさかここまでとは……」
「まあ、な……」
どこかバツが悪そうに頬を掻くウィスパー。
そういえばどうやって稼いだかも分からない金だといつの日か言っていた。記憶のないウィスパーにとっては降って沸いたような大金なのだろう。
「俺の金のことは良いんだ。今回集まってもらった本題はそれじゃあないからな」
「というと?」
いつになく真面目な表情のウィスパーに水を向ける。すると……
「俺はこれから西に向かうことにする。具体的には俺が生まれた……記憶にある最初の街を訪ねてみようと思ってな」
予想だにしない、宣言を聞くのだった。
「え、でも、それだと……」
「ああ。王都とは逆方向だ。だから……俺はここでこのパーティを抜けようと思う」
私は最初、ウィスパーが何を言っているのか分からなかった。
だって、彼はずっと私達と一緒にいた。一度、袂を別つことになったけどそれも今では後悔していると、今後は一緒にいると言ってくれたのだ。そんな彼の急なパーティ離脱は私にとって十分以上の衝撃を与えていた。
「き、急にどうしたのよウィスパー。何か急がないといけない事情でもできたの?」
「いや、そういうわけじゃないんだが……」
「だったら良いじゃない。そんなに行きたいっていうなら私も一緒に行ってあげるからさ。少しだけ待ってもらうことになるけど……」
「いや、今回はそういうわけにはいかないんだ。お前と一緒に行くことは……出来そうにない」
「え?」
私の提案にウィスパーははっきりとした拒絶の姿勢を見せた。
「な、なんで……?」
「俺は今回、自分のルーツを探る目的以外にも一つの目標がある。それはな……お前と肩を並べて戦えるぐらいに強くなることだ」
呆然とする私に、ウィスパーは己の本心を一つずつ吐露していく。
「俺はこれまでずっとお前に頼ってきた。だけど、それじゃあ駄目なんだよ。俺が求めているのはお前の後ろで守られることじゃなく、お前の隣で一緒に戦うことなんだからな」
自らの手を見つめるウィスパーはずっと悩んできたと言う。
自分の至らなさ、その現実を。
私からすればそんなこと気にする必要のない些事だ。私だって何度もウィスパーに助けられてきたし、そんなものは適材適所だ。戦闘面で私が役に立つからといってウィスパーまでそれに付き合う必要はない。
だが、それをウィスパーは耐えられないのだという。
「いつかお前は大物になる。俺にはそれが分かるんだ。ギルドを立ち上げるのか、何をするのかは分からないが……その時に俺はお前の傍にいたい。そのためには今の俺だと力不足なんだ」
全ては己を磨くため。武者修行も兼ねているのだと言う。
そこまでして私の傍にいたいと思ってくれていることは純粋に嬉しかった。だけど、私の傍にいるために私の傍を離れるというのはどうにも矛盾しているように私には思えた。
「……どうしても一緒に行くつもりはないの?」
「ああ。情けない話だが、お前がいると俺はお前に頼っちまう。お前は……あまりにも眩しすぎる。ただ強いだけじゃなく、お前の言葉には力があるからな。俺はお前の指示を待つだけの奴隷にはなりたくない」
自分で自分の道を探すためにも、これは必要なことだった。
記憶を奪われ、道しるべを失ったウィスパーが真に歩みだすためにはきっとそれが重要なのだろう。誰に言われたものでもない、確固たる己の意思が。
「……もう、決めたことなんだね」
「ああ」
ウィスパーの意思は固いようだった。
なら……私から言える事はもう何もない。
男が一度決めたことだ。横から女が口をだすようなことじゃない。私は男だけど。
「悪いな、ルナ。だけど俺はいつか帰ってくる。その日まで待っていてくれるか?」
「さあ、どうかな。私ってば忘れっぽいから。もしかしたらウィスパーのことなんてすぐに忘れちゃうかも」
「……おい」
「だからさ」
私はウィスパーの元に歩み寄ると、その胸元に自ら拳を軽くぶつけた。
それは彼を励ますときにいつも私がやっていた仕草だった。
「さっさと帰ってくるのよ。私が貴方の顔を忘れる前にね」
「……ああ、了解した」
にっと笑顔を向けると、ウィスパーもぎこちなさを残した笑みを返してくれた。長いこと一緒にいて、ほとんど始めてみるウィスパーの笑顔だった。
「ああ、そうだ。それなら出来るだけ長く覚えていられるようにこれを渡しておく」
「ん? なにこれ?」
恐らく選別代わりになのだろう。
綺麗な包装紙に包まれた小さな箱を手渡してくるウィスパー。
軽く受け取った私がそれを開けると……
「もしも金に困ることがあればそれを換金するといい」
「…………え?」
中から出てきたのは綺麗な藍色の宝石が取り付けられた……指輪だった。




