第133話 二者択一
「ご提案は凄くありがたいんですけど……すいません。私には無理です」
グラハムさんの学園への誘いに対し、私ははっきりとその答えを口にした。
「……無理強いはしないと言ったばかりじゃが、理由だけ聞かせてもらってもいいかのう?」
「まあ、簡単な話ですね。学園に通うほどの学費がうちにはないんですよ」
正直なところを言うと学園に通ってみたいという気持ちはあった。
前世ではろくに登校していなかったが、今となってはそれも後悔している。あの時得られたはずの時間、経験、思い出。それは間違いなくあの瞬間にしか有り得ないものだったから。
「学費なら奨学金で代払いできるはずじゃよ。なんじゃったら儂が全額立て替えても良い。それぐらいに儂はお前さんの才能を買っておるんじゃ」
「ありがとうございます。グラハムさんほどの人にそう言ってもらえるなんてとても光栄です。でもそれは理由の一つに過ぎないんです」
「……というと?」
「学園に通うということは数年を王都で過ごすということですよね。私にはそれが出来そうにないんですよ。両親のこともありますし、それに何より……」
「……なるほどのう」
私の視線を追ったグラハムさんは納得がいった様子で深く頷いた。
私が見つめる先、そこにはリンがいた。
「私は大切な人の傍にいたい。それが私にとっての最優先事項なんです。もしかしたらいつか学園の門を叩く日が来るかもしれませんが……それは今じゃない」
少なくともティアの無事を確認し、お父様と再会して、それから……マリン先生の墓参りを終えなければならないだろう。あの日止まってしまった時間を再び動かすためにも、それは必要なことだった。
そのためにも一度リンとは別行動を取る必要があるが、それほど長く待たせるつもりはない。だが学園に通ってしまえば、それが年単位に変わってしまうのだ。とてもじゃないけど、それだけの時間リンを放置することなんて出来そうにもない。
「お前さんの意志は固いようじゃのう」
「せっかく誘ってもらったのに、すいません」
「ほっほ、お前さんが謝るようなことじゃないわい。急にこんな話をした儂が焦りすぎていたようじゃ。お前さんの言う"いつか"を気長に待つことにしようかのう」
「はい。その時はぜひ、よろしくお願いします」
最後に私とグラハムさんは握手を交わし、その話は終わりとなった。
……かに見えた。
「あ、でもそれならアリスとか誘ってみたらどうですか? 彼女は私以上に魔力の操作がうまいですし、魔力系統にも恵まれています。素質という面で見るなら私より……」
「おお、アリス嬢か。実は彼女にはもう声をかけてあってのう。来年度からの入学をすでに約束してもらっておるんじゃよ」
「…………え?」
ん? 今、この爺さん何て言った?
確かアリスが来年から学園に通うとかなんとか……ははっ、そんな馬鹿な。あの引きニートが学校なんて行くはずがない。冗談半分の提案に冗談で返してくるなんてグラハムさんはコミュ力が高いなあ。
「嘘じゃないぞい」
「……マジで?」
「マジで」
な、なん……だと……。
あのアリスが学校に行く、だと?
そんな天変地異にも匹敵する珍事が起こるなんて……何かの前触れか? 魔王の復活とか世界の崩壊とかそんな感じの。
「お前さんとアリス嬢が並んで学園に通えれば歴代に類を見ないほどに才能豊かな世代が見られると思ったのじゃが……こればっかりは仕方ないのう」
「え、あ、いや……」
ど、どうしよう。
本音を言えばアリスと学校なんて凄く心が躍るシチュエーションだ。
出来ることなら行きたい。行きたいけど……
「うぐぐ……」
王都の学園に通うアリスと王都に入ることが出来ないリン。
どちらかと一緒に行動するなら、もう一人とは必然的に一緒にはいられなくなる。
リンを取るか、アリスを取るか……まさかそんな二者択一を突きつけられることになるなんて思わなかったよ。
「……一つ、今回の旅に儂が同行することになった経緯を教えておこうかのう」
「経緯って……確かアリスが最初に言い出したんでしたっけ?」
「そうじゃのう。じゃが、アリスもマフィもお主に言っておらんことがある。彼女らはお主を探すにあたり、広く顔の利く人物を探しておった。その同行者として儂が選ばれたわけなんじゃが……儂は前にも言った通り、これでも忙しい身の上。たとえ昔馴染みの頼みであろうとも何の益もなしに学園を離れることはせんかったじゃろう」
「それって……」
確かに学園長ほどの人となれば年がら年中多忙を極めていることだろう。
それなのに数ヶ月にも渡る旅についてきてくれたのは何かしらのメリット……つまりは交換条件があったからに他ならない。そして、恐らくグラハムさんの口ぶりから察するにそれは金銭の類ではない。
「アリス嬢は君を探し出す手助けをする交換条件として儂の学園に通うことを承諾したんじゃよ」
「……っ」
話を聞いている途中から嫌な予感はあった。
確かにあのアリスが師匠の家を出るなんてよほどのことがなければしなかっただろう。自らの身の上を隠したがるアリスの性格はよく知っている。そんな彼女が学園に通うことを決めるにはどれだけの覚悟が必要だったのか……。
アリスの覚悟を天変地異なんて言っていた自分が恥ずかしい。
彼女にそうさせたのは私だったんじゃないか。
「でも……どうしてそんな条件にしたんですか? グラハムさんですよね、アリスに学園を通うように要求したのは」
アリスが提示する条件として違和感のあった私は、グラハムさんにその真意を聞いてみた。すると、
「簡単な話じゃよ。優秀な魔術師となることが確定しているアリス嬢を我が学園に招くことが出来れば学園全体の格が上がる。同世代の魔術師にとっても越えなければならない壁としてその役目を果たしてくれるはずじゃ」
予想以上に打算的なグラハムさんの回答が返ってくるのだった。
「……貴方はアリスが自分の生まれで苦しんでいることを知っていたんですか?」
「それは……そうじゃのう。うむ、知っておったよ」
「なら、なんでっ!?」
アリスはずっと怖がっていた。
自分が認められない存在だと分かっていたから、常に目深にフードを被り生活していた。この旅の間もずっとそうだ。私はアリスがどれだけ臆病な女の子なのかを知っている。
『私がハーフエルフだって知って、それでも私を避けたりしないルナに、本当に救われたの。そんな人、なかなかいないから……』
あの日、あの夜にアリスが私に言った言葉を覚えている。
その瞳に宿る悲しみも。
「だからこそ、じゃよ」
「……だからこそ?」
「うむ。アリス嬢はお主も知っての通りハーフエルフじゃ。エルフの世界にも人族の世界にも馴染むことは決して出来ぬ存在。じゃが、彼女はこれからもそのどちらかの世界で生きていかねばならぬ。どこかで歩み寄る必要があるのならそれは早い方が良い。自ら踏み出すことを恐れ、手遅れになってしまう前にのう」
手遅れになる前に。
その言葉は私の胸に強く響いた。
何を隠そう、私自身がその手遅れによって後悔してきた人種だからだ。
「…………」
「勿論、儂も荒療治であることは理解しておる。この選択が悪い方向へ転がる可能性もあるじゃろう。じゃが、魔術という共通の目的を持つ者の中でなら彼女を必要とするものも出てくることじゃろう。それがアリス嬢の良き友人となり、彼女を支えてくれる一人となれば良いと、儂はそう思っておるんじゃ」
「……グラハムさんの言いたいことは分かりました」
恐らく彼は彼なりにアリスのことを考えてくれているのだろう。
それが後付けの理由なのかどうかまでは分からないけれど、アリスにとってプラスになる可能性があるならばそれは選択肢としては有りだ。
だけど……
「だけど私は貴方のやり方が好きになれそうにありません。そうさせてしまった私にこんなことを言う資格はないのかもしれないけど……アリスの人生はアリスのものです。彼女の意思を無視して事を運ぶつもりなら私も容赦はしませんよ」
もしもグラハムさんが本心ではアリスを利用することしか考えていないなら、この状況を作ってしまった私がそれを阻止しなければならない。
「アリスに何かあったら、私は貴方を許さない」
捜索に協力してくれた恩人に対して言う台詞ではないと思ったが、それでも私は言わずにはいられなかった。それぐらいにアリスは私にとって大切な人だったから。
「ほっほ、勿論そんなことにならぬよう全力を尽くすつもりじゃよ」
私の剣呑な雰囲気に対し、グラハムさんはまるでそよ風の流れる草原にいるかのように朗らかな態度を崩さなかった。流石に年季が違うらしい。この程度では脅しにもならないと、そういうことだろう。
「じゃがそう思うならなおさらお主も学園に通ってみるべきかもしれんぞ?」
「え?」
「さっきも言ったが、あの子には理解者が必要じゃ。そしてそれは同じ苦悩を持つお前さんこそ相応しいと儂は思っとる」
「…………」
「まあ、難しく考える必要はなかろうて。アリス嬢のことが心配ならば……学園の件、もう少し考えてみると良い」
最後に私の肩をぽんと叩いたグラハムさんはそのまま馬車を降りていった。
そうして残された私はいまだ答えの出ない問いに悩むことになる。
アリスとリン。
どちらの少女を選ぶのか。
その答えを。




