第131話 人は誰しも己の中に天使と悪魔を抱えている
「ルナ、おかえりっ!」
「うわっ!?」
私たちが戻った途端、がばっと抱きついてくる小さな影が。
やはりというか何と言うかシアだった。
「シアね、ちゃんとお留守番できたよ。えらい?」
「うん、言ったことちゃんと守れたみたいだね。偉いよ、シア」
ややくせ毛気味の茶髪を撫でてやると、シアは嬉しそうにえへへーと声を漏した。可愛い。
「シア、アリスはどこにいるか分かる?」
「うんっ、こっちだよ!」
強引といえる力強さで私の手を引くシア。
アリスは治療で忙しかっただろうし、一人で待っているのは寂しかったのかも。流石に連れて行くことは出来なかったとはいえ、悪いことしちゃったな。
「アリスはすごいんだよ、こうやって手を向けるとね、痛いのが治っちゃうの!」
「治癒魔術か……そういえばまだ見たことないな」
マリン先生が目指していた治癒魔術師というのがどういうものなのか興味がないといえば嘘になる。まだ治療中ならアリスを待つついでに少し覗かせてもらうとしよう。
「ここだよ。この中にアリスはいるから」
「……ここ?」
シアが私を連れてきたのは天幕の張られたテントの一角だった。
結構本格的に拠点を構えている。旅団の皆さんもここで一泊するつもりなのかな?
「それじゃあ早速中に……」
「あぁんっ!」
「!?」
私がテントの入り口に手を伸ばしかけたところで、治療中というには艶めかしすぎる声が漏れ聞こえてきた。
というか今の声……アリス?
「(どきどき)」
妙に緊張しながらそっとテントに耳を寄せる。
すると中の人間の話し声が聞こえてきた。
「ほらほら、お嬢ちゃん。ここが良いんだろう?」
「そ、そこはだめぇ……」
「そんなこと言って体は正直だぜ。さっきから震えっぱなしじゃねえか」
……いや、そんなまさか。
アリスに限ってそんなことがあるわけない。
だってあのアリスだよ? 花より団子を地で行くアリスがだよ?
そんなどこかの同人誌みたいな展開に巻き込まれているわけが……
「ほらっ、気持ち良いところがあるなら言ってみな! じゃねえと続けてやらねえぞ!」
「はぁ……はぁ……だ、だめ……やめないでぇ……」
「だったらちゃんと口で言うんだな。ほら、どこを責めて欲しいんだ?」
「……し、下の方……」
「ああん? それじゃあ良く分からねえよ。ちゃんと部位を口で言うんだな」
「そ、そんなの……言えないよぉ……」
は、はわっ、はわわわわわっ!
どどどどどどうしよう!? これ完全に覗いちゃいけないやつだ!
どうすればいい!? ねえ、私はどうしたらいいの!?
と、とりあえず私と同じようにしてるシアの耳を塞ぎましょう。うん。これ大事。こんな会話、小さい子に聞かせて良いものじゃない。
(お、落ち着くのよ私。こんなシチュエーション何度も見てきたじゃない。フィクションで)
まずは状況を把握しよう。
治療を行っていたはずのアリスがなぜこんなことに巻き込まれているのか?
そこに至るまでの経緯は想像に容易い。
『これで治療は終わりよ。お疲れ様』→『何かお礼をさせてくれ』→『そんなの良いわよ』→『いや、恩を受けっぱなしってのも申し訳ない』→『そうだ。それなら内の旅団に伝わる療養マッサージを教えよう。治癒魔術師様にはきっと役に立つはずだ』→『そ、そこまで言うなら仕方ないわね』→『よし、ならそこに横になってくれ。ふふふ』。
これだ。間違いない。
そこから先は世間知らずのアリスらしく、雰囲気に流されに流されてしまったのだろう。だが、そうと分かったら早く助けなければ。こんなところで盗み聞きしてる場合じゃない。
「ふっ、言わないなら言わないでも別に構わねえさ。その答えは……お嬢ちゃんの体に聞くからよおっ!」
「ひっ、いいぃぃんっ!」
「はははっ、随分気持ち良さそうじゃないか!」
「う、うんっ。き、気持ちいぃ! 気持ち良いのぉ!」
……も、もうちょっとだけ聞いてもいいかも。
(はっ!? いやいやいや! 何を考えているんだ私は! いくらチョリス(ちょろいアリスの意)が可愛いからってそんな人道に反することは出来るわけがない!)
……だけど、だけどだ。もしもこれが合意の上だったら? 止めに入った私はとんだ道化だ。それならもう少し様子を見ても良いのではなかろうか?
(ぐっ……駄目だ駄目だ。そんな発想をしちゃいけない! アリスは私にとって家族も同然の大切な人! それが出会ったばかりの男にそんなことを許そうとしているなら絶対に止めるべき!)
まるで天使と悪魔が交互に私の耳に囁きかけてくるような錯覚に陥りそうになる。これがもしもリンやシアだったなら悩む暇もなく飛び込んで行っただろう。
だけど……アリスだからなあ。
何と言うか、あの娘は弄りたくなる雰囲気を持っているんだよなあ。きっと中の人もアリスのそういう雰囲気を見抜いたのだろう。恐らくこの世で最もチョロインという言葉に相応しい女の子だからね。
だが……
「も、もうらめぇぇぇぇえぇぇっ!」
アリスが後々後悔するような結果にだけはしたくない。
私は悪魔の囁きを跳ね除け、その天幕に手をかけた。
「そこまでだ下郎っ! それ以上アリスに手を出すなら私が許さな……」
「えっ?」
「えっ?」
「えっ?」
順にアリス、男(?)、私と仲良くきょとんとした表情を浮かべる。
私は勢い良く、中に突撃したまでは良かったのだがそこで固まらざるを得なかった。
なぜなら……
「え、え? どうしたのよルナ、そんなに血相を変えて」
アリスの体に手を伸ばしているのはガタイこそ屈強な戦士に見えなくもないが、ふくよかな胸と綺麗な黒髪を持つ……『女性』だったからだ。
「あ、紹介するわね。こちらゴンザレスさん。とってもマッサージが上手だから後でルナもやってもらうといいわよ」
「なにぶん卑しい出自ゆえ口は悪いが……それでもよければ是非」
やや野太いが……うん。いや、これ女の人の声だったか。
「それよりさっきの手を出すとかって……どういうこと?」
「え? あ、いやさっきどこを責めて欲しいかとかって言ってたから……」
「ああ。ちょうど腰の辺りをやってもらってたんだけど私は体の構造に詳しくなくってね。大雑把に下の方としか言えなかったわ」
「ああ、下ってそういう……」
つまり……完全に私の勘違いだった?
アリスは普通にマッサージをしてもらっていただけだった?
──は、恥ずかしっ!
だ、駄目だっ、これは恥ずかしすぎる! まさかあんな邪推をしていたなんて、まともに二人の顔が見れない!
「ねえ、ルナ、顔が真っ赤だけど大丈夫?」
「無問題!」
というかただのマッサージであんな声を出してんじゃねえよ! いちいち紛らわしいんじゃボケ!
だ、だがアリスは私が勘違いしていたことに気が付いてないみたいだぞ。その点は助かった。このまま何も言わずにいれば私の失態は誰にも気付かれ……
「……自分は誰にも言わないから心配いらんぞ」
……どうやらゴンザレスさんにはお見通しだったらしい。
彼女が優しい人で助かった。だけど恥ずかしいことには変わりがない。
その日、私は己の煩悩を捨て去ることを心に誓った。




