第124話 旅にトラブルは付き物
「……あれ?」
それは突然のことだった。
私達が歩いていると、前方から大きな荷馬車を幾つも連れた旅団が向かってくるのが見えた。それ自体はなんら珍しいことではないのだが、その様子が少しおかしい。
テント用の黒幕(夜に目立たないよう、黒に塗られている)が巻かれた荷馬車はところどころに矢が刺さっており、びりびりに引き裂かれた部分もある。
恐らくこの商人達はパンク趣味があるのだろう。
って、んなわけないか。
「おい、どうした。何があった」
すれ違う際、手を挙げて荷馬車を止めた師匠は物怖じしない様子で先頭にいた商人に声をかけた。多分、この旅団のリーダー格なのだろう。髭をふんだんに蓄えた初老の男は疲労を感じさせる声音で話し始めた。
「山賊が出やがったんだ。まだ当分は大丈夫だと思ってたんだが、蓄えが早くもなくなったらしい。まだいるかもしれないから、お前さん達もこの道は使わない方が良いぞ」
「もう冬眠から覚めてやがったのか。そりゃ運が悪かったな」
「ああ、全くだ。荷物のほとんどがやられちまったよ」
そう言って後ろを指差す商人は苦い笑みを浮かべていた。
「怪我人はいるか?」
「ん? あ、ああ。数人ばかりな。こんなことになるなら、ケチらず護衛を雇うべきだったよ」
自らの判断ミスを恥じる商人さん。
確かに旅団には護衛を連れるのがセオリーだが、冬季は山賊の活動が鈍くなる季節。確かにリスクは高いが、高い金を払ってまで必要になるかどうかも分からない護衛を雇うかは意見の分かれるところだろう。そういう意味で、誰も彼を責めることは出来ない。
責められるべき人間がいるとすれば……それは別の人間だ。
「それなら怪我人を集めてきてくれ。出来るだけのことはしてやる」
「? 薬草なら大丈夫だ。まだ備蓄がある」
師匠の言っている意味が分からないのだろう。商人は首を傾げていた。
ちなみに私も意味が分からない。なんで師匠はそんなことを?
「ああ、そうじゃねえよ。こっちには治癒魔術師がいるんだ。ある程度の傷なら治してやれると思ってな」
「「えっ!?」」
あ、私と商人さんの声が被った。
「そ、それは有り難い話だが……さっきも言ったようにこっちは山賊に襲われて金がない。対価になりそうなものは何も……」
「金ならいらねえ。その代わり情報をくれ。山賊がどのくらいの規模で、どんな武器を持っていたかまでな」
「それなら……」
それから色々と話し合ったが、結局最後には師匠の交渉に商人は頷いた。
手を上げて部下らしき人物を呼びつけた商人は指示を飛ばすと、自身も荷馬車を片道に止め走り去っていった。
「全く、マフィはいつも勝手ね」
周囲に人がいなくなったことを確認したアリスがそっと師匠の隣に並ぶ。
その様子に私は嫌な予感がして、
「師匠が言ってた治癒魔術師ってまさか……」
「ふふ、気付いたようね。そう、私は今日まで血の滲むような努力を重ねてついに……」
「アリスだ。最近、ようやく覚えてな」
「最後まで言わせなさいよ!」
途中で言葉を奪われたアリスが地団太を踏んでいる。アリスは怒りかたも可愛いなあ……じゃなくて!
「治癒魔術……使えるようになってたんだ」
「ふふん、凄いでしょ」
私の言葉に気を取り直したのか、ドヤ顔を浮かべているアリス。得意げなアリスも可愛いなあ……じゃなくて!
「そういえばルナは複合魔術を使えるようになった? 確か、どっちが先に使えるようになるか競争していたような気がするんだけど?」
「うぐっ……」
私が普段使っている影魔術は闇系統の単一魔術。
アリスが使える(らしい)治癒魔術に代表される、複数の系統を用いた複合魔術とはその難易度が段違いだ。私は勿論、下宿していた頃のアリスでさえも使えなかった高等技術のはずなのに……さ、先を越されてしまった。
「まあ姉より優れた妹など存在しないと言うし? この結果は当然のことよねっ!」
嬉しそうに笑みを浮かべるアリスがこの時ばかりは恨めしい。
ちくしょう……まさかアリスに劣るだなんて屈辱の極みだ。
「どんぐりの背比べもいいが、きちんと頼むぞ。お前はまだ実践経験が乏しいんだからな。魔力の制御を誤れば赤っ恥だ」
師匠の言う赤っ恥とは魔術をミスったアリスに対してではなく、紹介した自分の恥って意味なんだろうな。うん、私には分かるぞ。
「ふふん。私が魔力操作においてミスなんてするわけないでしょう。それより私もついにマフィと同じ第二階級の魔術師になったのよ。それならそれなりの態度を取るべきじゃないかしら? 例えば、お願いするときはきちんと頭を下げるとかね。私は治癒魔術が使えないマフィの代わりに仕方なく手を貸してあげるんだから」
すげえ……これが人の傲慢か。全く怖いものなしだな。
「分かったらマフィはもっと私を尊重して、って痛い痛い痛い!」
そして、案の定師匠にアイアンクローもらってるし……もしかしてアリスはドMなのか? こうなることくらい分かってたはずなのに。
「随分と偉そうな口を利くじゃねえか、え? 一体誰に教えてもらったと思ってる?」
「少なくとも治癒魔術に関してマフィは関係ないでしょ!」
「魔術のド基礎も知らねえガキを育ててやったのは俺だろう。これから先お前がどんな大魔術師になろうと、それは俺のおかげだ」
そして、師匠も傲慢という意味では負けてない。
まあ、今のはアリスが悪いとも思うけど。
「っと、馬鹿弟子に構ってる場合じゃなかったな」
師匠は何かを思い出したようにアリスをぽいっと脇に放り投げると荷物をその場に置いてなにやらストレッチを始めてしまった。何だろう、今度はさっきよりはっきりと悪い予感がするよ。
「師匠、何するつもりなんですか?」
「ん? いや、今から回り道するのも面倒だし、ちょっと先に行って山賊潰しておこうかと思ってな」
「……相変わらず発想がぶっ飛んでますね」
「ふっ、そう褒めるな」
褒めてないです。
「でも一人でいくつもりなんですか?」
「ははっ、まさか。さすがに俺も保険くらいはかけるさ。爺を連れて行くからお前らは俺たちが戻ってくるまでここにいろ。遅くなるようなら先に野宿の準備をしておいてくれ」
「グラハムさんと?」
「ああ。もしかしてお前、爺の実力を疑ってんのか? だったら心配はいらねえよ。あの爺は俺より強いからな」
「うえっ!?」
師匠より強いといわれて、私は思わず変な声を出してしまっていた。
あの師匠より強い人間がいるということがまず意外だったのもある。
「ははっ、まあ強そうには見えないよな。だけどああ見えて凄腕の魔術師だ。でなきゃわざわざ旅の護衛として選ぶわけがない。いくらか事情を知ってる気安さがあるとはいえな」
なるほど、言われてみれば確かにそうだ。
師匠が足手まといになるような人をわざわざ連れに選ぶはずがない。
「分かったら料理でも作って待ってな。なに、長くは待たせねえよ」
「あの、師匠……」
「ん? なんだ?」
師匠が山賊の元に行くと言った時、私が思ったこと。
私はそれを口に出した。
「私も行きます」
「…………」
師匠は私の言葉に準備運動をやめ、正面から向き合ってきた。
その表情は困惑しているようにも、怒っているようにも見える。怖い。
「一応理由を聞いておく。なぜだ?」
「なぜって……私は師匠の力になりたいんですよ。師匠が危険な場所に行くというのなら私も力を貸します。絶対、足手まといになんかなりませんから」
「……それだけか?」
「え?」
「お前が同行したいと思う理由は本当にそれだけなのか?」
師匠は私の心を探るかのように真っ直ぐな視線を向けてくる。
きっと師匠は今、私を試している。だったら私は私で彼女が納得できるだけの答えを見せなければならない。
「本音を言わせてもらえるなら……」
「…………」
「私がどれくらい強くなったか、師匠に見てもらいたかったんです」
「…………は?」
私の答えが意外だったのか、師匠は鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔をした。私はここぞとばかりに、歳相応の弟子を演じてみせる。
「私はこれまで師匠に助けられてばかりでした。でも……これからは私も師匠の助けになりたいんです。だから私がどれくらい強くなったのかを師匠に見て欲しい。私は貴方の隣に立ちたいんです」
少し強くなったことで調子に乗っている弟子を演じる。
師匠の役に立ちたいというのは私の本心の一部でもあったので、なりきることはそれほど難しくはなかった。
「とはいわれてもなあ……まだガキのお前を連れていけるわけもない」
「私はまだ子供ですけど、師匠と同じくらいには強いと思いますよ」
「……ほう?」
師匠の口元が怪しく歪む。
私の挑発にも似た発言は相当お気に召したらしい。長い付き合いだ。師匠の喜びそうな台詞は選んで吐ける。
「そこまで言うなら見せてもらおうか。お前がどれだけ成長したかをな」
「ええ、楽しみにしていてください」
私は師匠に続いて準備運動くらいはしておこうと、その場に荷物を置いた。
その瞬間、
──パシィッ!
私の眼前に迫った拳は私の手のひらに止められ乾いた音を立てる。
視線を上げると、残念そうな師匠の顔が視界に入った。
「ちっ、こんな攻撃も見切れないようじゃ連れて行けないな……なーんて言ってやるつもりだったんだがな」
「攻撃を見切ったわけじゃないですよ。師匠ならこういうことをするかもなって身構えていただけです」
「ははっ、それなら仕方ねえ」
参った参ったと師匠はストレッチを再開する。
これは……私の同行を認めてくれたと思っていいのかな?
師匠は歪んだ性格の持ち主だけど、一度言った言葉を取り消すような人ではない。否定されなかったということはそういう風に捉えてもいいのだろう。
私の実力を認めて、同行を許可してくれた。そのことが単純に嬉しかった。この人にようやく認めてもらえたような気がして。
だけど……ごめんなさい。師匠。
私は一つだけ、嘘を付きました。
私が同行を求めた本当の理由は……
「おい、あんまり時間はないんだからぼさぼさすんな。持って行くものだけ選んだらすぐにでも行くぞ」
「あ、はい。分かりました」
師匠の催促に慌てて荷物を探る。
とはいえ、戦闘に必要なものはあらかた装備していたから準備というほどのこともないのだが。ああ、でも持っていくって意味なら外せないものが一つあった。
私は師匠に許可をもらい、最後の準備を終えることにした。
高まる鼓動を出来るだけ落ち着かせながら。




