第120話 師匠の株が上がり続けている件
師匠の話を聞き、私は目的地をアインズから王都に変更することにした。
それについて、口を挟んだのがウィスパーだ。
「王都に向かうのは良いんだが……確か、あの都市は他人種の出入りが禁止されていなかったか?」
「あっ!」
長く暮らしていた街だというのに、私はそのことをすっかり失念してしまっていた。国王が住む街である王都は貴族も多く、暗殺などの危険を取り除くために奴隷であっても他人種の出入りが禁止されているのだ。
それは即ち……
「リンが……入れない」
「リン?」
私の口から漏れた言葉に、師匠が反応する。
そうか、まだリンのことは話していなかった。
「リンは私達と一緒に行動している獣人族の女の子です。ここまでずっと助けてもらってきたから出来れば一緒に行きたいんですけど……」
「ふむ……まあ、連れ込むのは不可能ではないと思うが見つかると面倒だぞ」
「ですよね……」
少なくとも誘致した私達は罪に問われ、リンに至っては下手したら打ち首だ。
そんな危険は冒せない。
だが、そうなるとリンとは王都に行けなくなる訳で……ああっ! 駄目だ、そんなことは耐えられない!
「し、師匠の魔術で何とか……」
「なるわけねえだろ」
ですよねー。
魔術が万能の法ではないことはこの世界の常識だ。
いくら師匠といえど、出来ないことは出来ない。
でも……だったらどうすれば良い?
「まあ、慌てるなよ。他にも話したいことがあるんだ」
そう言った師匠は空になった皿をなぜかアリスの方に突き出した。
「アリス、何でもいいから次の料理を注文して来い」
「それぐらい自分ですればいいじゃない。何で私が……」
「師匠命令だ。お前もデザート頼んできて良いから」
「し、仕方ないわねえ。特別に私が行って来てあげるわ」
めんどくさそうな表情から一転、うきうきした様子でアリスは注文をしに行った。恐らく、何を頼むかで暫く考え込むだろう。甘いもの好きだからね、アリス。
「……それで、師匠。アリスを遠ざけてまで話したい内容ってのは何ですか?」
「ん、気付いたか」
「あそこまであからさまに人払いされれば誰だって……アリス以外は気付きますよ」
実際、全く疑うことなく行ってしまったアリス。
天然記念物並みに素直だ。これからもその希少性を忘れないでもらいたいね。
「俺が話したかったのはお前の身の上に関する話だ」
「私の身の上?」
「ああ。だから……悪いがそっちの兄ちゃんも席を外してもらえるか? ここからは俺とこの爺さんとルナの三人で話したい」
そういってウィスパーに鋭い眼光を向ける師匠。
とても堅気の人間には見えない。
顔だけは堅気に見えないウィスパーも内心はチキンなので、その視線に押されるように立ち上がりかけるが……
「ウィスパー、座って」
その袖を掴み、強引に座らせる。
「……良いのか、ルナ」
「うん。ウィスパーには隠し事なんてする必要ないから」
実際、リンとウィスパーほどに私のことを知っている人間は他にはいない。付き合いこそ短いが、私が吸血鬼であること、奴隷になっていたことを知る数少ない人物だ。
「というかウィスパーもあっさり逃げようとしないで、少しくらい喰らい付きなさいよ」
「馬鹿言え、俺も逆らっちゃいけない人間の判断くらいは出来る」
まさしく囁き声で私にだけ伝わるように呟くウィスパー。
初対面でそこまで言わせる師匠を褒めるべきか、しっかりと本質を見極めているウィスパーを褒めるべきなのか微妙なところだ。
「……お前が構わないならこのまま話すぞ」
「うん。お願いします」
こうして私の希望により、アリスを除いた四人で話し合うことになったのだが……
「まず……俺達二人はあの日、襲われた馬車で何が起きたのか大体の事情は把握している」
声のトーンを落とした師匠が語り始めたのは、あの日のことだった。
私の中ではすでにおぼろげにしか思い出せない、私が始めて"鬼"になった日のこと。
「だから私達はお前を探すために、あちこちの商人を訪ねた。結局詳細な情報は得られなかったが……お前がどういう経緯で連れ去られたのかはお前の母親を通して聞いている」
「……そっか」
「あまり驚かないんだな」
「まあ、ね」
師匠の言葉に私は苦笑いを浮かべるしかなかった。
だって、これまでずっとそのことに関して考え続けてきたから。
冒険者になる際、シロと名前を変えたのもそのため。
「師匠が"それ"を知っているってことは……私はもう、大手を振って街は歩けないってことだよね」
「……ルナ」
俯く私に、ウィスパーが心配そうな視線を送る。
分かっていた。これは分かっていたことだ。
そうなる可能性が十分あること、むしろその方が可能性としては高いだろう事は分かっていた。きっとこの街に手配書の類が出ていなかったのは、まだ情報が回ってきていないからだろう。
もしかしたら……なんて考えていた私が甘かったんだ。
そこまで世界は優しく出来ていないことなんて、分かっていたはずなのに。
「…………」
まるでお通夜みたいに黙り込む私とウィスパー。
「いや、別にお前が考えているみたいなことにはならないぞ?」
「……へ?」
最悪の事態を覚悟していた私に、師匠は言葉を続ける。
「お前、何でアリスがあのナリで王都にいられると思ってる? 本来なら迫害されてもおかしくない立ち位置なのに、そうなっていないのはちゃんと対策されてるからに決まってんだろ」
「?」
「つまりな、俺は政府に顔が利くんだよ。法制に背くことは出来ないが、その穴をすり抜けることくらいは出来る。アリスに人族としての戸籍を与えることも、お前の情報が出回らないよう手回しすることもな」
「え? ……え?」
私には師匠の言っている意味が良く分からなかった。
だってその話を聞く限り、私は……
「なーにを自慢げに言っておるんじゃ。実際に口利きをしてやったのは全て儂じゃろうに。お前は政府に顔が利くんじゃない。政府に顔が利く儂に顔が利くだけじゃ」
「どっちでも同じことだろうが」
「全然違うわい! お前はもっと儂に敬意を払うべきじゃ!」
グラハムさんの憤慨する声が聞こえる。
だけどそれさえも今の私にはどうでも良かった。
「私は……」
「ん? 何だ、ルナ」
「……私は、ここにいても良いの?」
この国、この街、そして彼女達の傍に。
そういう意味で発した問いに、師匠は……
「ああ。もちろんだ」
はっきりと頷いて見せてくれた。
思えばそれは始めてのことだったのかもしれない。
私はずっと誰にも言えない秘密を抱え続けてきた。そのことが知られることが怖かった。拒絶されることが怖かった。私と同じ痛みを知るリンやウィスパーならともかく、普通の人はきっと私から距離をとろうとするだろう。
だから……これはきっと私の人生で始めてのことだ。
私の秘密を知り、それを一緒に抱えようとしてくれた人は。
きっと師匠は無理をしたはずだ。いくらなんでもそう簡単に出来ることじゃない。私はずっと師匠にその事を隠してきたというのに……
「ひぐっ……し、ししょぉ!」
「うおっ!? お、お前なんでいきなり泣き始めてんだよ!? ちょっ、やめろ! これじゃ俺が泣かしたみたいじゃねえか!」
慌てる師匠には申し訳ないが、どうしても涙を止めることが出来なかった。
今日だけで一体いくつ、師匠には返しきれない恩が出来たことだろう。
私なんて、元々お父様の頼みで連れてこられただけの厄介事に過ぎないはずだったのに。師匠は私の為に、ここまで動いてくれていたのだ。
「私……っ、師匠のこと、誤解してましたっ! 短気で、がさつで、横暴で、良い所なんて精々、顔くらいのものだと。でもそれだって性格が引っ張って、万年男日照りなのも頷けるなんて……そんなこと思ってたけど……っ」
「おい」
「師匠にもちゃんと、人の心があったんですね!」
「よし分かった。てめえは俺に喧嘩を売ってんだな? 全部即金で買い付けてやっから表でろや!」
なぜかこめかみに青筋を浮かべてキレる師匠。
結局、アリスが帰ってくるまでグラハムさんは暴れる師匠を押さえつけ、ウィスパーは私にちり紙を渡し続けるのだった。




