第116話 モブも色々考えている
私とアリスが一通りお互いの感情を吐き出したところで、すでにみんなの記憶から忘れ去られたいた男が口を開いた。
「なあ……俺、帰っていいか?」
「あれ? ウィスパー、まだいたの?」
「俺の影が薄いのは重々周知しているから、それ以上追撃すんな。いい加減泣くぞ」
どうやら私たちの会話に出て行くタイミングを完全に見失っていたらしい。
ウィスパーは私たちとは別の意味で泣きそうな顔をしていた。いや、今回ばかりは本当にすまん。
「師匠もいなくなったし、私もひとまず戻るよ。私を待ってる子もいるからね」
「る、ルナ……ちゃんと帰ってくるよね? また勝手にどっかへ行っちゃったりしないよね?」
今日はひとまずお開きの雰囲気だったのに、心配性のアリスは私の服を掴んだまま離そうとしない。
確かにいきなり雲隠れした前科があるし、その心配も分からないではないけど。
「大丈夫。私が帰る場所はアリス達のいる場所だよ。それはずっと変わらないから」
「ルナぁ!」
私の言葉にぱああっ、と顔を輝かせるアリス。可愛い。
「そういうことだから……とりあえず、ウィスパー、行くよ」
「え?」
「いや、え? じゃないでしょ。今回の騒動はひとまず落ち着いたんだからさ、貴方も帰ってきてよ。口にはしないけどリンも寂しがってたから」
元々、ウィスパーが私たちと別行動するようになったのは今回の奴隷少女をどうするのかって件で方針を別ったことが原因だ。すでにその一件もひとまず山場は越えたわけだし、出来ればウィスパーにはまた一緒に行動してもらいたかった。
「そうか、それなら……そうだな。俺も出来ることならお前たちと一緒にいたい」
「なら決まりだね。アリス、また明日も来るから」
「うんっ! 待ってる!」
私の帰る場所うんぬんの話がよっぽど嬉しかったのが、アリスは上機嫌のまま私を見送ってくれた。しかし心配になるくらいチョロイな、アリスは。将来、悪い男に騙されやしないか今から心配だよ。
「あ……この辺りの道はあんまり見覚えがないや。ウィスパー、帰り道分かる?」
「…………」
「ウィスパー?」
宿を出たところで立ち止まったウィスパー。
どうやら二人っきりで話したいことがあるらしい。
真っ直ぐに私を見るウィスパーは向かい合うとその静かな声で問いかけてきた。
「お前は……本当に何とも思っていないのか? 俺がお前たちの元を去ったこと」
「それはさっき言った通りだよ。私もリンもウィスパーの意思を尊重したかった。ただそれだけだから。それにそれを言うなら私のほうがよっぽど勝手だったからね。謝る必要があるとしたらそれは私の方だよ」
「だが、俺は……」
俯き、項垂れるウィスパーの姿には見覚えがあった。
というか全く進歩がないな、こいつは。なんだかむかついてくるぞ。
「……ウィスパー。私には貴方が何に対して罪悪感を覚えているのか分からない。貴方は確かに私達の元から去った。でも、こうして帰ってきてくれたじゃない。それも大きな土産を持ってね。それで十分だよ」
歩み寄り、ウィスパーの前でぽんとその胸を叩く。
「いつまでもうじうじしてたら格好悪いぞ。貴方、男でしょ」
しゃんと背筋を伸ばせ。
そういう意味を込めて、ウィスパーの顔を見上げる。
私にとってウィスパーはただの仲間ではない。彼が私の精神年齢にも近い男性ということで、私の素とも言うべき部分を見せられる数少ない相手だ。
悪友とか、腐れ縁ともいえるような妙な親近感を私はウィスパーに感じていた。
「……お前にそう言われるのは二度目だな」
「三度目がないように祈るよ」
にっ、と笑みを見せるとウィスパーも釣られて小さく笑った。
「宿への道はこっちだ。付いて来い」
歩き始めたウィスパーに慌てて、隣に並び歩く。
なんだか不思議な気分だった。たった数日会っていなかっただけなのに、こうして共に歩けることに喜んでいる自分がいる。
それだけウィスパーの存在が私の中で大きくなっていたということなのだろう。今まで全然意識したこともなかったけど。
「……でもリンには悪いことしちゃったね。結局、私達の勝手に振り回されただけなんだし」
「勝手をしたのは主にお前だ。私達って言うな」
「あー、はいはい。そうですね。どうせ私は勝手ですよ」
急にいつもの調子を取り戻したウィスパーに私はおどけて見せる。
ここ最近、こういう雰囲気を忘れかけていたから懐かしい。
アリスとの再会はいろんな意味で良い影響を私に与えているみたいだ。
「リンのことを心配する必要はないと思うけどな。あいつはお前のためなら王様だって斬りかねん」
「あー……確かに」
「命を救われたんだから、分からない話じゃないがな」
「それを言うなら私達全員が、でしょ。誰か一人でも欠けたなら私達は生きてあの場所を出てはいないわよ」
「……それは俺も入っているのか?」
「当然でしょ。ウィスパーがいなければリンは死んでた。そして、リンが死んでたら私も土蜘蛛に殺されていた。ほらね、皆必要だったのよ」
実際、普段の頼りなさはあるもののウィスパーは知識の面で役に立ってくれた場面も多い。私とリンの二人には生活能力が皆無だからね。これからもウィスパーがいなかったらどうなっていたことやら。
「そうか……俺もお前たちの役に立てていたのか」
「え?」
ポツリと漏れたウィスパーの言葉。
それは私にとって少し意外なものだった。
もしかしたら……ウィスパーはずっと心苦しく思っていたのかもしれない。パーティで唯一の男だというのに、あまり活躍の場面がなかったから。
気にしすぎる彼はいつものように気にしすぎてしまったのだろう。
それが私達の元を離れる原因になった。
思えば迷宮を出てからウィスパーのことを少し弄りすぎていた面もある。それは何てない言葉だったのだが、ウィスパーにしてみれば男としてのプライドに関わるものだったのだろう。
「……ははっ、何だ。ちゃんとウィスパーも男の子だったんじゃん」
「男の子っていう歳でもないが、まあ……そうだな」
なんだか嬉しくなってバシバシとウィスパーの背中を叩けば、彼は恥ずかしそうに頬を掻いていた。
珍しいその態度に私は再び彼の背中を叩くのだった。
ウィスパーは特に何を言うでもなく、それを受け入れていた。
まるでそれが自分への罰だとでも言うように。




