第115話 家族の定義
アリスの借りた宿の一室にて、私はひとまずその血だらけの服を何とかしろということでほとんどサイズの変わらないアリスの服に着替えることになった。
何があったのか聞いてこない辺り、詳しい事情をすでにウィスパーから聞いているのかもしれない。ここ数日はウィスパーの動きも分からなかったからね。まさか師匠達と一緒にいるとは思わなかったけど。
「それで師匠達が私のことを探してくれてたってのは分かったんだけど……」
ちらりと、ウィスパーに視線を向ける。
そこに込められた意味に気付いたらしく、ウィスパーは頬を掻いて居心地が悪そうにしていた。
「まさかウィスパーが私のために動いてくれてたなんてね。思ってもみなかったよ」
「…………」
別に私としては含むところはないのだけど、どうしてもウィスパーにはそういう意味に聞こえてしまうらしい。囁き声を超えて無音になってしまったよ。
「いや、こうして再会できたのはウィスパーのおかげだし本当に感謝してるから……なんていうか、その……き、気にしないでね」
「……すまん」
あかん。
こんなときにコミュニケーションスキルの低い自分が恨めしいぞ。
どんな言葉でフォローすればいいのかが全く分からない。私はウィスパーが私たちの前から去ったことに対して何のわだかまりも感じてはいないのだけど、それを言葉として表現することができない。
私たちのパーティの悪いところは揃って口下手なところだね。
「それで……ルナは成功したのか?」
「え?」
「……いや、それを見れば分かることだったか。悪い」
「…………」
ウィスパーの聞きたいことを察した私は先ほどのウィスパーのように無言になってしまう。
私自身、記憶が曖昧だということもあり詳しく説明できる自信がなかったのもある。だがそれ以上に……私は、今、この場にいる他の二人にそのことを聞かれたくなかった。
まるで親に隠れて煙草を吸ってたところを見つかった娘のように……って、そんなレベルの話じゃないな。これは。
「え、えーと、ルナはその……どうして……」
私達のぎこちなさが移ったのか、アリスも問いかける言葉に迷っている様子だった。
「おい、ルナ。これだけ聞いとくぞ。その血は誰のだ?」
だけど、それもこの人には関係ないらしい。
いつもと変わらない口調で尋ねてくる師匠には最早、驚きを通り越して尊敬すら覚える。一体何を食ったらそんなに我が道を往けるようになるのか。正直羨ましい。
「……これはこの街の奴隷商人のものです」
「殺したのか?」
「……はい」
「何のために?」
「…………」
「ルナ、答えろ」
問いに対し、沈黙を選んだのだが師匠は許してはくれなかった。
まあ、それも当然か。彼女は常々人の生き死にには関わるなと言っていた。その教えを破った私に何のお咎めもないわけがない。
以前に師匠の忠告を無視してこっぴどい目に遭ったことは記憶に刻まれている。今回もそれに匹敵するくらいの折檻は覚悟すべきだろう。
「ルナ、答えられない理由なのか?」
「……いえ」
正直に言うと恐ろしい。
出来ることなら今すぐにでも逃げ出したいくらいだ。
だけど……自らの行いを是と信じるならば。ここで目を逸らすわけにはいかない。
結果として、後悔の残る形になってしまったが私はあの時、奴隷の少女を助ける選択をしたことには何の未練もない。
時間が巻き戻せるとしても、きっと私は同じ未来を選ぶ。
その確信があったからこそ……
「……助けたい女の子がいたんです。私はその子のために奴隷商人の男を殺しました」
あえて私は自らの行いを明言した。
師匠の隣でアリスが口元を手で押さえるのが見えたが、構わない。
吸血鬼の血に溺れたことは失態だったが、奴隷商人を殺したのは私の意思だ。過程は関係ない。この結果は私が望んだことだったから。
「……そうか」
もしかしたら殴りかかってくるかもと思っていたが、師匠は一言呟くと、
「それがお前の選んだことなら、文句は言わねえよ」
ただそれだけ言って背を向けた。
「今日はもう遅いからな。また明日来い。お前も確認しなくちゃいけないことがあるだろうしな」
話は終わりだと言わんばかりに背中越しに手のひらをひらひらと振って見せた師匠はそのまま部屋を出て行ってしまった。
相変わらず自由な人だ。殴られるかもと身構えていたのが馬鹿みたいじゃないか。
「ねえ、ルナ……今の話、ほんと?」
だが問題は残っている。
師匠はひとまず私の行動を受け止めてくれたみたいだが、こっちはそうもいかない。
「うん……本当だよ」
「ルナは……後悔してる?」
私以上に悲しそうな顔で私を見るアリス。
本気で私を心配してくれているのが分かった。
だから私もここは誤魔化したりせず、しっかりと告げるべきだろう。
「後悔はしてないよ」
強く断言してみせる。
だが、アリスにはそんな私の態度が強がりに見えたらしい。
「嘘よ! だってルナは泣いていたじゃない! あんな暗いところにたった一人で!」
確かに強がりでないといえば嘘が混じる。
望んだ結果とはいえ、あの過程を無視することなんて出来ないのだから。
でも……
「ううん。これは私が望んだことなんだよ、アリス。私がそうすべきだと思ったからそうしたの」
あの少女を助けたいと思ったのは私だ。私の誇りだ。
誰に糾弾されようとも、それだけは譲ることなんて出来ない。
「でも……私がもっと早くルナを見つけていれば……ルナが泣く必要なんてなかったかもしれないのに……っ」
私の言葉に、今度は逆に潤んだ瞳になるアリス。
ああ……そうか。そういうことだったのか。
アリスが気にしていたのは私が他人を殺したという結果ではなく、そうさせてしまった自分の至らなさだったのだ。
そんなこと、気にする必要もないというのに。
本当にこの子は……どこまで優しいんだか。私を悶死させるつもりかっての。
「……ごめん、ごめんねっ、ルナっ!」
ついにぽろぽろと涙を零しながら謝るアリスに、今度は私が手を伸ばす番だった。
「ルナ……?」
「ねえアリス、少しだけ本音を言わせて貰ってもいいかな」
アリスの小さな手を取り、自分のそれと重ね合わせる。
今の素直な気持ちと共に。
「正直言うと、あの時の私はかなり落ち込んでた。もうこれ以上ないってくらい自分が嫌いになりそうだった。そうすべきだと頭では分かっていても、実際に起これば理屈じゃないからね」
今思えば、私が私のままあの男を殺せたかどうかも定かではない。
もしかしたら寸前で躊躇ったかもしれない。
いや……かもしれないじゃないか。私は実際に躊躇った。あの大事な場面で。
そんな私の心の迷いに"奴"は侵入してきたのだろう。
自分の手を汚す覚悟の不足。そして何より、そんな役目をもう一人の自分に押し付けてしまったことに対する罪悪感にも似た感情。
それらが私の心を締め付けていた。
ずっとずっと、あの時アリスに手を取ってもらう瞬間まで。
「だからね、アリスに手を差し伸べてもらったとき、本当に嬉しかった。こんな私にも帰る場所がまだあるんだって、そう思えたから」
もしかしたらこの葛藤は当然のものなのかもしれない。
私にはノーマルモードの状態で直接誰かに手を下した経験がない。
狂気スキルに頼らなければ私はどこにでもいる普通の人間でしかないのだから。
そう思えば、これはこれで良かったのかもしれない。
何もかも全てを吸血モードの私に押し付けるつもりはない。
だけど、たとえそれが錯覚なのだとしても……私はまだどこかで綺麗な自分でいたかった。血生臭い戦場とは無縁の自分を、保っていたかった。
だからこそ、吸血モードになることを頑なに避けていたのは皮肉としか言いようがないけどね。そのせいでこんなことになったわけだし。
「えっと……だからね。私が言いたいのは……」
途中から逸れかけていた思考を強引に修正する。
駄目だ。やっぱり私は口下手だ。泣いている女の子を前に、気の効いた言葉の一つも言えないのだから。
少しだけ悩んで、結局私の口から出てきたのはありきたりな言葉だった。
「私を見つけてくれて……ありがとう」
ありがとう。
今の私にはそれしか言える言葉がなかった。
「そんなの……当たり前でしょっ! ルナは私の妹で……家族なんだからっ! これからもずっと、何があっても!」
私に何があったのかを聞いても、アリスは私を受け入れてくれた。
家族だと。そう言ってくれた。
その温かい言葉に、今度こそ私はこの気持ちを我慢することが出来なかった。
「アリス……っ!」
ぎゅっとその小さな体を抱きしめると、アリスも抱き返してくる。
きっと私は悩む前にこうすべきだったのだろう。
彼女達の元に帰る資格がどうとか、自分の手が汚れているとか、そんなことは関係なく。だって……
「うわあぁぁぁぁぁん! ルナぁぁぁぁぁぁっ!」
──私たちは家族なのだから。
相手のことをここまで真摯に想い、涙を流すことが出来るのだ。
この関係をそれ以外の言葉で、何と言えばいい?




