第111話 一瞬の間隙
蝋燭の灯りだけが怪しげに室内を照らす中、二つの影が疾走する。
「シッ!」
まず、先手を打ったのは私。
ハーミットの構えるナイフを掻い潜り、肩口を切り裂こうと手を伸ばすが……
「甘いっ」
腕の差で劣る私ではハーミットに攻撃を当てることが出来なかった。俊敏な動きで私のナイフを見切った彼は逆に私の攻撃を利用して、体を入れ替えるようにくるりとその場で攻撃を受け流すと同時に足払いをしかけてくる。
暗い室内ではその動きを完璧に捉えることは難しかっただろう。
普通なら。
「《森羅に遍く常闇よ──》」
だがどんなに視界が悪かろうが、吸血鬼には闇を見通す瞳がある。
軽く跳躍してハーミットの足払いを避けた私はそのまま詠唱を開始する。
左手に魔力を集中。使うのは魔力を固めて放つ影槍だ。
この距離、この威力ならば防ぐ術はない。
私の……勝ちだ!
「《集い・形成せよ──【ヴィルディング】》!」
音もなく形を成す漆黒の槍。
その鋭利な切っ先がハーミットに向け襲い掛かる、その寸前、
──バシィッ──
強めの衝撃と共に私の左手が上空に向け、弾かれるのが分かった。
ハーミットは足払いをかけた不完全な体勢のまま、私の左手を蹴り上げたのだ。狙いを外された私はそのまま影槍を出鱈目な方向にずらされてしまう。
ドゴォッ! と抉れ、ぱらぱらと破片を零す天井を見て、ハーミットは引きつったような笑みを浮かべていた。
「お前、殺す気かよ……」
「そこをどいてくれるなら殺しはしない」
「可愛いお嬢さんの頼みだし、ぜひとも聞いてあげたいところなんだけど……こっちも信頼と金が懸かってるんでね。依頼人を見捨てて逃げるようなことは出来んのよ」
そう言って軽薄な笑みを浮かべるハーミット。
さっきも言ってたけど、どうやらこの男はあの奴隷商人の依頼を受け、護衛を勤めているらしい。冒険者にとって一度受けた依頼を破棄することは今後の信頼に関わる問題なので、易々と行えるものではない。
特にこういう場面で敵が怖くて逃げ出しましたでは、今後一切護衛関連の依頼は受けられなくなることだろう。そういう理屈で引けないのは分かるが……厄介なタイミングで現れたものだよ、全く。
後、可愛らしいお嬢さんとか言うな。気色が悪い。
「どかないなら……容赦はしない」
だがこうなってしまった以上、私も引く訳にはいかない。
あの奴隷の少女にどんな命令が下っているか分からない以上、奴隷商人は殺すしかない。それも迅速に、だ。
「お前みたいな幼い少女と戦うのは俺の信条に反するが……致し方ない。殺されても悪くは思わないでくれよ。まさか殺される覚悟もなくこんなところまで来たわけもないだろうし……なっ!」
言うが早いかハーミットはその長い袖を横薙ぎの軌道で振るってみせた。
その服に隠れ、唐突に放たれた投げナイフに私は一瞬対処が遅れてしまう。
これまでずっと魔物ばかりを相手にしていたせいで、暗器の類への警戒が足りなかったのだ。
「くっ!」
首、心臓、太ももと正確に急所を狙ってきたナイフをぎりぎりのところで交わす。だが、その対処に集中していた私は急接近してきたハーミットが振るうナイフを避けることが出来なかった。
「あぁっ!」
走る痛みは左腕から。
それなりに深く斬られたせいか、どくどくと流れ出る血に思わず反射的に傷口を覆おうと手が伸びる。だがそれがいけなかった。
戦闘中に暢気にも余所見してしまった私は二度、三度と続けてハーミットに切りつけられてしまう。そこで初めて私は自分の失策を悟った。
(こんなことならリンの血をもらっておくべきだった……っ!)
私の有力なスキルはほとんどが吸血モードでしか発動しない不完全なものだ。
『再生』スキルが使えれば傷なんて気にせず反撃が出来ただろう。そうでなくても『狂気』スキルがあれば、怪我に臆することもなかった。
今更言っても仕方がないことだが、後悔せずにはいられない。
とにかく今は現状の手で打てる最善手を探すしかないのだ。
(ぶっつけ本番になるけど……使ってみるか)
すでに後手後手に回っている以上、どこかで立場を挽回するしかない。
その手段として私が選んだのは以前獲得したまま使用する機会に恵まれなかった『威圧』スキルだ。これはノーマルモードの私にも使える数少ないスキルの一つ。
意識を集中し、ハーミットの視線に自分の視線を合わせた私はそのまま『威圧』スキルを発動させる。普通ならこれだけで相手は尻尾を巻いて逃げ出すところなのだが……
「……ッ、おおおおっ!」
戦闘中ゆえか、ハーミットは一瞬だけ怯む様子を見せただけで攻撃の手を緩めることはなかった。
このスキルの悪いところはすでに私を警戒している状態の相手にはあまり効果がないということ。今回のような戦闘中が良い例だ。効果が薄いと分かりつつ使用してしまったあたり、私の追い込まれ具合が分かるね。
(落ち着け……こいつの戦闘力は今の私ではどうしようもないってほどじゃない。今までの絶望的な状況に比べれば天国みたいなもんだぞ)
土蜘蛛と比べてしまえばどんな強敵だろうが雑魚に落ちぶれる。
吸血モードでこそないものの、私なら切り抜けられるはずだ。
「……お前、今何をした? 精神汚染系の魔術……いや、詠唱はなかったから魔法か? どちらにせよただのガキじゃないな」
加えて、先ほどの威圧スキル発動も完全な役立たずだったわけじゃない。
こちらを警戒してハーミットの踏み込みが弱くなってくれた。
「こうしてここにいる時点でそのくらい察してよ」
「ふむ……なるほど、言われてみれば確かにそうだ。これはいけないな、どうもその姿に惑わされる」
おい、それは私が強そうには見えないって意味か?
別に油断が誘えるならそれでもいいけど、なんかむかつくぞ。
「見た目で判断するなってのはこの業界の常識だが……お前ほど、見た目と戦闘力に開きがあるパターンは見たことがないな。どうだ、手を引くなら俺が良い職場を斡旋してやるぞ。お前はまず間違いなく一流の暗殺者になれる」
「悪いけど、そういうブラックな職場には興味がないんでね」
「今まさに"そういうこと"してるお前が言うか?」
む……言われてみれば確かに。
なかなか痛いところを突いてくるな、コイツ。
「私は依頼で誰かを殺すことなんてしない。私は私の意思で殺す対象を選ぶ」
「ははっ、闇の深そうな話だな。こんな子供が平然と殺すなんて……世知辛い世の中だぜ」
やれやれと肩を竦めるハーミット。
次の瞬間に死んでいるかもしれない戦場でこうまで不敵な態度が取れるのは、まず間違いなく場慣れしている証拠。油断のならない相手だ。言葉の上では私を説得しようとしているかのようにも聞こえるが、本当の狙いはそこではないのだろう。つまり……
「悪いけどのんびりお喋りに付き合うつもりはない」
ハーミットの裏で、こっそりとこの場を離脱しようとしている奴隷商人。彼が逃げる時間を稼ぐのが目的だ。
「ちっ、抜け目のない奴だぜ」
奴隷商人に向け、駆け出した私にハーミットが割って入る。
あくまで職務を遂行するつもりらしい。
「どけっ!」
「どけと言われてどけるかよっ!」
右腕で振るうナイフがハーミットのナイフとぶつかり火花と共に激しい金属音を周囲に撒き散らす。筋力値は私のほうが上だが、体重の差で押し切れない。鍔迫り合いで有利は取れそうにないぞ。
「ひっ、ひいぃぃっ!」
目の前で行われる剣戟に奴隷商人はすでに腰を抜かしてしまっている。
殺すなら……今だ!
「はあああっ!」
ありったけの魔力と共に操魔法の援護を加え、強引にハーミットの刃を押し込んでいく。そうやって強引に作った僅かな隙、そこに渾身の回し蹴りを叩き込む!
「ちぃっ!」
師匠直伝の体術に、体勢を崩すハーミット。
その隙に私は……
「死ね」
ついに、奴隷商人の首元へとナイフを突きつけるのだった。




