第109話 初期設定は忘れるな
声が聞こえる。
ここがどこかも分からないまどろみの中、頭上から、もしくは背後から、それともすぐ隣からだろうか。
聞いたこともない少女の声が聞こえてくる。
「起きて。貴方にはまだすべきことがあるのでしょう?」
するべきこと……?
なんだっけ……確か、私は……
「私は貴方に期待しているの。こんなところで立ち止まることは許さないわ」
そうだ……私はあの女の子を助けないと。
「起きなさい。我が娘よ。そしていつか──」
ゆっくりと引き上げられる感覚。
意識がどんどん鮮明になる。
「──いつか私に……会いに来て」
そして、私は……目を覚ました。
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私が目を覚ましてまず目に入ったのはこちらに駆け寄ってくるリンの姿だった。
たたたっ、とこちらに駆け寄ってきたリンはそのまま……
「ルナぁっ!」
がばっ、と私の体に弾丸のように飛びついてきた。
あまりの勢いにベッドから転げ落ちそうになってしまう。この子も案外加減を知らない。私でなかったら、背骨が折れてるところだ。
「よかった……ほんとによかった……」
でも、肩を震わせながらそんな言葉を漏らすリンにお小言を言えるような立場でもないよね。今の私は。
「心配かけちゃったみたいだね。ごめん」
ゆっくりとリンの頭を撫で付ける。
今回ばかりはリンも嫌がる素振りを見せなかった。
視線を周囲に向けると、締め切られたカーテンから漏れる光が目に映った。どうやら私はかなりの間、眠っていたらしい。
「リン、私はどれくらい眠ってた?」
「……丸一日と、少し」
「え!?」
丸一日と、少し!?
てっきり半日くらいかと思ってたのに、一日分勘違いしてた。
「まだ何の準備もできてないってのに……くそっ」
慌てて起き上がった私は近くの椅子にかけてあった服を引っつかみ、仕度を整える。まだ時間はあるだろうけど、武器の調達やもしもの場合に備えてできるだけの準備をしておきたかったのだ。
「ルナ、もう少し休んだほうが……」
「今は時間がない。もしかしたらもう運ばれてるかもしれないし、そうなったら助け出すのがもっと難しくなる」
だからそうなる前に私たちは行動を起こさなくてはならない。
幸い、たっぷりと休憩できたおかげか体調のほうは万全だ。
「リンも手伝って。暗くなったらすぐに動けるように」
「……分かった」
こくりと頷いたリンと共に、行動を開始する。
まずは食料品や武器の新調からだろうか。
もしかしたらこの街を離れることになるかもしれないし、すぐにでも旅立てる準備は必要だ。
今の所持金でどれだけできるかは分からないけど……現状でできる最善を尽くすしかない。
「急ごう、リン。手遅れになる前に」
「うん」
最低限の荷物を手に、宿を後にする。
無事にここに戻ってこれるかどうかは分からないけど……やるしかない。
私にはすべきことがあるのだから。
あの声の主が言っていたように。
(あれ……?)
あの声の主って……誰のことだ?
確か、夢で誰かに語りかけられていたような気がするけど……だめだ。よく思い出せない。確か私を娘と呼ぶ誰かだったような……。
だとしたらティナか?
まさか寄り道している私を叱るつもりはないだろうけど、少しだけ申し訳なくなる。私は今、実の母を後回しにして目の前の女の子を助けようとしているのだから。
でも、きっとティナなら許してくれると思う。
というより、むしろこうしなかった場合はその方が怒られると思う。
あの人はいつだって他人に優しく、愛を与えていた。
私もそうなりたいと、強く思うから。
(見捨てない。絶対に見捨てたりなんかしない)
決意を改め、私は前に進む。
その先に待つ、苦悩も知らず……
「うおわっ!? あっちぃ! 今日の太陽さん、ちょっと張り切りすぎじゃ……ぐおっ!? 痛ぇっ!? ちょ、ちょちょヘルプ! ヘルプミー!」
「ルナ、髪焦げてる」
出鼻を挫かれた私は結局、太陽が雲に隠れるまで影で待機するのだった。
昼間からフル活動は吸血鬼には荷が重すぎたらしい。




