第107話 二人で歩く道
ウィスパーと別れた後、私はリンと合流するために依頼人の家近くの路地へと戻っていた。
すぐ戻ると言ったのに、随分と時間がかかってしまった。
怒ってないと良いんだけど。
「ルナ」
「ひゃうっ!」
突然、後ろから声をかけられ誰かと思えばそこには心配そうな顔をしたリンが立っていた。
「なんだ、リンか。脅かさないでよ」
「脅かしたつもりはない。それで用事は終わったの?」
「まあ……一応ね」
終わった、言い切るにはまだ抵抗があるがひとまず今日できることはもう何もない。
準備をするにも明日以降になるだろう。
あまり時間は残されていないから急がなければ。
「……ウィスパーは一緒じゃないの?」
「あー、ウィスパーは……」
私の後ろを確認して小首を傾げるリン。
うーむ、一体リンにはなんと説明すべきなんだろう。
少しだけ悩んだ私はまず大前提からリンに尋ねてみることにした。
「先に聞いておきたいことがあるんだけど……良いかな?」
「なに?」
どこまでも純粋な瞳を向けてくるリンに、私は言葉を選んで告げる。
「私とウィスパーが別々に行動することになったらリンはどっちに付いて行きたい?」
言ってみて気付いたのだが、まるで離婚前の母親が子供に向けて尋ねる質問みたいだな、これ。
まあ状況的には大差ないわけだけど。
「……それは難しい質問」
眉を潜めたリンは視線を彷徨わせ、考え込む様子を見せた。
大体答えは決まっていると思うけどね。
長年一緒に暮らしてきたウィスパーのほうが色々と都合が良いだろうし、ここで彼女がウィスパーを選んだとしても受け入れなければならない。
断腸の思いでね!
「……ルナ、かな」
「え?」
しばらく考えた後、リンがぽつりと漏らしたのは私の名前だった。
「そ、それで良いの? 私はお金も知識もないし、正直ウィスパーと一緒にいるより苦労するのは間違いないと思うんだけど……」
「それでも構わない」
躊躇いなく頷くリン。
やだ、リンちゃん格好良い……私が女だったら惚れてるところだったね。
体は女だけど。
「うう……ええ子や。ほんまにええ子やなあ」
きっと頼りない私を心配してくれているのだろう。
私なんかよりよっぽど男らしいのではなからろうか、この子は。
「そういう質問するってことは……ウィスパーとは別行動になるの?」
「まあ、一言で言うとそういうことになるね」
流石に質問が直球すぎたか。
あっさりと何があったかバレてしまったよ。
「いつまで?」
「え?」
「ウィスパーとはいつ合流するの?」
続くリンの質問に私は口ごもってしまう。
その質問に対する答えを私が持っていなかったからだ。
「それは……ちょっとまだ分からないかな」
「……そっか」
言葉を濁した私にリンはそれ以上の追求をしてこなかった。
そして、そのことに対してほっとしている自分がいた。
リンは基本的に私の頼みを断ることがない。
前に横になって休んでいるリンの獣耳で遊んでいたらガチで怒られたが、そういう例外を除いて私が本気で頼めばリンはきっと受け入れるだろう。
今回のことも事情を話せば手を貸してくれるはずだ。
そういうリンの優しさに付け込んでいる自覚はある。
だけど……今の私は全てを話すことでウィスパーに続いてリンまで離れていくことが怖かった。
『すまない。俺には……無理だ』
去り際のウィスパーの言葉が蘇る。
彼の拒絶は私に予想以上の衝撃を与えていた。
それが当然の反応だと、分かっていたはずなのに。
「リンは……」
だからだろうか。
「ずっと……私と一緒にいてくれる?」
思わずそんな情けない問いを漏らしてしまったのは。
全く私らしくもない。
言った次の瞬間には顔が赤くなるのが自分でも分かった。
リンちゃんもきょとんとした表情で私を見ているし。
「あー、いや、やっぱ今のなし。聞かなかったことにして」
私は恥ずかしさを誤魔化そうと手を振って、話を打ち切った。
まるでカイロを押し付けられているかのように頬が熱い。
今はリンの顔を正面から見られそうにない。
「とりあえず宿に戻ろうか。そろそろ暗くなってきたし」
リンに背を向け、足早に帰路に付く私に……
「……大丈夫」
そう言ってそっと私の袖を掴み、身を寄せてくるリン。
いつになく近い距離からリンの柔らかい声音が届いてくる。
「私はいつでもルナの隣にいる」
小さな声だったけれど、その言葉はしっかりと私の耳に届いてきた。
あー……もう。この子は一体私をどこまで骨抜きにすれば気が済むのやら。
折角、冷めかけていた頬がまた熱くなってきたじゃないか。
でもそれを知られるのも恥ずかしくて……
「ま、まあ。好きにすれば良いんじゃない? リンはもう奴隷じゃないんだし」
結局、私の口から出てきたのはそんな見栄っ張りな台詞だった。
我ながら素直じゃない。
でも男にはどうしたって見栄が必要なんだ。
そこのところは分かって欲しい。
「……照れてるルナ、可愛い」
「う、うっさいなー!」
珍しく、というかほとんど初めて攻守の逆転した弄りを受けながら私は帰路につく。
この小さな獣人種の女の子と共に。




