第104話 初デートは突然に
この国で治療院と呼ばれているのはいわゆる病院のことだ。
ただ資格がなくても医師を名乗ることが許されるこの国ではまともな医者を探すことは難しい。
腕の良い医者は貴族や王族などの金持ち連中が囲っているからね。
私達のような平民には名医と出会う手段がないのだ。
とはいえ、今回の場合はそれほど高度な知識は必要なかったみたい。
「過労、貧血、栄養失調。まあ、原因を挙げるならそんなところだそうだ。俺たちみたいな素人でも見れば分かることだがな」
診察室の前で待機していた私達に、お医者さんのところから帰ってきたウィスパーは開口一番にそう言った。
「ひとまず起きるまで出来ることはない。お前らは先に宿に帰ってろ」
「いいよ別に。私も待ってるから」
「……それなら交代で見張ろう。まずは俺から。数時間したら戻ってきてくれ」
「私が先でも良いけど?」
そんなに眠くならないタチだし、宿に帰っても私にはすることがない。
ウィスパーだって昨日からずっと動きっぱなしだし疲れているはずだ。休めるときに休んだほうがいい。
「いや、俺はもう少し確認しておきたいことがあってな。俺のことは良いから先に帰っていてくれ」
「確認したいこと?」
「ああ。ちょっとな」
妙に口を濁して語るウィスパー。
何だ? 何か隠している?
「本当に大丈夫? 何かあるなら力になるけど」
「いや、本当に良いんだ。これは俺がやるべきことだろうからな。気にしないでくれ。何ならリンと二人で街を遊んでくると良い。たまには俺抜きでお喋りするのも良いだろ」
ふむ……まあ、ウィスパーがそこまで言うなら深くは追求しないけどさ。
何だかんだ私達のことを思って行動してくれているはずだし悪いようにはしないだろう。
「それなら……分かったよ。ここはウィスパーに任せる」
「ああ。行ってこい」
こうして私とリンは二人で治療院を後にした。
倒れていた手配犯の女の子をウィスパーに任せて。
「ねえ、さっきのウィスパーの態度をどう思う?」
「……どうって?」
「私達に何か隠しているみたいじゃなかった? もしかしたらお医者さんに何か悪いことでも言われたのかも」
例えばもっと悪い病状だったとか。でもそれだと私達に嘘を伝える理由が分からない。
「……気にすることない。ウィスパーは元からあんなだから」
「確かに謎の多い男ってのは分かるけどね。記憶がないってのもその時点で怪しいしさ」
普通に過ごしていて記憶喪失なんてそうそうなるものじゃない。
よほどの過去があるのではないかと私は睨んでいる。
まあ、それを確かめる方法はないんだけどさ。
「そういえばリンとウィスパーっていつから一緒にいるの?」
「……大体四年くらい前。私の始めての人がウィスパーだった」
「は、初めて!?」
なん……だと……?
ウィスパーの奴、こんな小さな女の子に手を出していたのか?
いやでも確かに前にもあんなことがあったし、もしかして……真性のロリコンなのか?
「うん。初めての主人がウィスパー。彼に買ってもらったのは運が良かった」
「あ……初めてってそういう意味ね」
「それ以外に何がある?」
「いや、何もないです」
駄目だ。まさかそっち方面に邪推していたなんてとてもじゃないけど言えん。
リンには清らかなままでいて欲しいからね。
彼女に対してはあまり色欲の暴走が起こらないのもそういうのが影響しているのかもしれない。単純に近くにウィスパーがいるからそういう気分にならないだけなのかもしれないけど。
思えば昔からああなるのは誰かと二人っきりの時だけだったし、そういう暴走する条件みたいなのがあるのかもしれない。
……ん? そう考えると今の状況は結構やばくないか?
私とリンの二人っきり。もしかして、いやもしかしなくてもこれって……デートやん!
やばい! そう考えるとなんかいきなり緊張してきた!
話題を変えよう。意識をそっち方面から逸らすんだ!
「で、でもウィスパーが主人で困ったこととか結構あったんじゃないの? あれで結構頼りないところあるしさ」
「……それでも彼は私に無茶な命令を一度もしなかった。それだけで私は彼を尊敬している」
あ、頼りにならないってところは否定しないのね。
「確かに世の中には意地の悪い命令をするやつだっているしね。それに比べればウィスパーは随分マシか」
今は亡き私の元主もそういう奴だったな。
すでにほとんど忘れちゃったけど。
「奴隷に主人は選べない。だけど主人は奴隷を選べる。私はウィスパーにどうして私を選んだのか聞いたことがない」
「それはまたどうして? 聞いてみれば良いのに」
「……またルナは簡単に言う」
複雑な顔でぼやくように呟くリン。
実際簡単な話だと思うけどな。
あ、いやでももしも「幼女だったから」なんて答えが返ってきた日には毎日怯えて暮らすことになるし、それはそれで怖い話か。
「そこまで心配する必要はないと思うけどね」
「……どうして?」
「だってウィスパーだし」
それほど長く一緒にいたわけじゃないけど、彼がどんな人なのかは分かっている。
ウィスパーは私達の為に命を賭けてくれた。
それこそ出会って間もない私のためにだ。
それだけで彼を信用するに十分な理由だろう。
それにウィスパーは今だって私達と一緒に行動してくれている。本当は一人で活動したほうが楽なはずなのに、自分たちでは日銭を稼ぐことすら間々ならない私達をリードしてくれているのだ。
「……ルナは凄いね。私にはそう簡単に信じることなんて出来ないよ。男の人の考えることなんて良く分からないし」
「まあ……それはあるかもね」
昔からしばしば問題に挙げられるのがそういう男女の差だ。同じ人間ではあっても、ほとんど別の動物なのだという人もいる。
それを肯定してしまうと私はどうなるんだって感じだけど、リンからすればウィスパーを始めとする男は未知の生物に思えてしまうのかもしれないね。
「ならウィスパーのことは父親だと思えば? 何考えているか分からなくても、父親ならある程度信頼できるんじゃない?」
「……それはない、かな」
「ですよねー」
結局、私達の中でウィスパーの立ち位置が定められることはなかった。
関係性を問われたら非常に困る間柄だよね。
友達とも違うし、血縁でもない。
一番近い表現は仲間なんだろうけど、それってどうなんだろう。どういう定義を仲間と呼ぶんだろう?
まあ、それを言うならリンとの関係性もあやふやなんだけどね。
友達と仲間の半々って感じかな。
まだまだ出会ってから時間は浅いけど……なに、焦ることはない。
「……ルナ。屋台がある。寄っていこう」
「さっきご飯食べたばっかなのに?」
「見て、川魚を使ったフィッシュサンドだって。ソースが二種類あるみたいだけど、ルナはどっちにする?」
「人の話を聞きなさい」
少しずつ知っていけば良い。
少しずつ仲良くなれば良い。
時間はたくさんあるのだから。
それからウィスパーの元に戻るまでの数時間、リンと一緒に初デートを楽しんだ。金欠の私達には散策するぐらいしかなかったけど、それでも楽しかった。
この時がずっと続けば良いのに、なんて思うくらいには。




