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White  作者: おでん
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空が鳴っている

群像劇を書きたくて、書きました

 改札を抜けると、そこは白の世界だった。

 新宿は数年ぶりの大雪を迎え、そのうえを、感動も敬意もへったくれもない人々が踏み歩いて進んでいく。この大雪どもがダイヤを乱し、バスを止め、そしてお気に入りの靴をびしょ濡れにするのだから。とかくこうやって自然に嫌悪感を覚えることは、いかに自然を必要としない、ある意味特殊な空間で生きているのかを表しているのかもしれない。ぼくたちは、空に安定を求めている――その不安定に生かされているにも関わらず、だ。

 それはぼくも同じだ。特に今日は。

 降る、というよりは、舞う、と表現すべきだろう。そんな踊り狂う雪の中を、ぼくはズンズンと進んでいく。

 灰色の空は、命を揺らしてくれるのだろうか。

 そんなことを考えながら、ぼくは自分の吐息に目をやる。寒さを視覚的に助長させるその白い吐息は、今のぼくからすれば、自分が生きていることの証だった。

 今日はいつもより静かだ。積雪が、この新宿のむかつくような喧噪を吸収しているせいだ。もちろんエンジン音も、どこかで鳴らされるクラクションも、しっかりとぼくの耳に飛び込んでくるわけだけれど。雪の存在以外は、いつもと同じはずである。いつもと同じはずなのに――雪は、感情を圧迫する。雪や自分の濡れた靴下への嫌悪感は、なぜか風前の灯に近い感覚になっていく。ぼくはコートの雪を払いながら、瞳を灰色の空へと向ける。そして、目の前を歩く人々へとシフトする。揺れているのは、ぼく一人の命だけじゃない。

 平和。同調と調和の圧力はやがてこの国を全く別の有機体へと変革させた。争いの有り得ない国家。『争い』との争い。平和志向。ヘイワシコウ。へいわしこう。ぼく一人の意見はみんなの意見であり、ぼくはみんなである。有史以来理想とされたことがこの国に根付くのは、容易いことだったのかもしれない。何せ、ここの人たちはあまりにも圧力に慣れている。それでいって、現実から逃げることに、何よりも長けている。理想や幻想という代替品が、あまりにも発達しやすい土壌が存在する。テクノロジーの助成をうけて、ぼくたちは理想の境地にまで達した。ついにその地平線に立ったのだ。そしてもう、これ以上の変化は許されない。なぜなら、これが我々の目指したモノだから。

 ――本当にそうだったのなら、ぼくは生まれていない。

 ぼくは歩く。歩く。歩く。白を踏みしめて、目の前で踊る白を掻き分けて。

 やがてぼくは、スマートフォンを右のポケットから取り出し、そして立ち止まり、上を見上げる。下品なまでにバラバラで主張の激しい広告群の先には、無機質に乱立するビル群がある――まるで墓標だ。そしてそれらを包む、灰色の空。まだ午後の三時だというのに、やけに暗い。

 スマートフォンの画面に、文字が浮かび上がる。ぼくはそれに従って辺りを見回して確認し、そして、花壇へ放り込む。どうせどこかの監視カメラが捉えているはずだけれど、多分、それを確認できるのは、ずっと先だろう。むしろ、残るのだろうか。

 経済が下部構造だなんて言うけれど、それは嘘なんだろう。ぼくたちは文化から生まれた。戦争が政治の一手段なんて言うけれど、嘘なんだろう。それは文化から起こりうる。起こるんだろう。ぼくは文化の手先に過ぎない。そしてそんな文化は、あまりにも巨大すぎて、実態など掴めない。もちろんぼくにボスは存在するけれど、そのボスもきっと、もっと大きな何かの指令を受けているに違いない。もっともっともっと、もっと奥を辿ったら、きっとそれはただの法則だったりするのかもしれない。万有引力とか、相対性理論とか、きっとその類なんだ。有機体野郎は『正統』の文化を誇ったけれど、そんなもの、声がデカいやつらのためのものだ。正統という字面すらうんざりしたぼくたちは、カウンター文化をしっかりと育んだ。単一こそが『正統』という、いかにもディストピア作品みたいな言説が蔓延して、それは同調にモデルチェンジした。もちろん、跳ね返りだって大きい。カウンター文化はしっかりと、『正統』のやつらの目につくぐらいには、大きくなった。でもそのカウンターとかいうのは、やつらが勝手にカテゴライズしたに過ぎない。やつらがカテゴライズしたものを、ぼくたちが逆輸入して、イデオロギーに仕立て上げた。ぼくたちからすれば、この文化はあまりにも複雑で奇妙で、グロテスクだ。だからこそ、ぼくたちの文化は多様性をそのまま文化へと昇華させたものと言っていい。そしてそれはその瞬間から、法則性をもったはずだ。力学をもったはずだ。

 その力学にしたがって、ぼくは大通りを直進する。もう三十分は歩いているだろう。指定された座標は案外遠い。裾から入ってくる冷気が、痛いほどにぼくの肌を刺激する。

 目の前から、男が歩いてくる。左手に銀色のスーツケースを持っていて、コートのフードを深く被って顔を隠している――軽くうつむき、ぼくはフリーの右手を差し出す。そしてすれ違う瞬間に、そのスーツケースを受け取る。

この瞬間に、針は動き出す。

 ぼくの指紋を認証したスーツケースは、すぐさま指定されたプロセスを実行に移す。凍っていた時が、ゆっくりと、しかし着実に溶け出していく。命が揺れだす。

 何も聞こえなくなった。静寂だけが耳に届いた。今まで見ていた世界が色を変えて、白と黒のある意味デジタルな世界へと変貌していく。不思議だ。こんなに単純なものは、避けてきたはずなのに。でもきっと、また色を取り戻すだろう。その時、ぼくは塵になっているだろうけれど。ぼくは多様な色の一つを担える。

 そして音の波長は、グチャチャグチャになるんだ。正統じゃなくて、本能が席巻するんだ。

 きっかけは、炎だ。

 この灰色の空が、命を揺らす。



 目標のビルに入り、警備員を刺して、奥へと進んでいく。予測では、約五分後に警報が鳴り響くだろう。たいして騒ぎも起きずにすんだ。懐に入るように刺したおかげだ。

 血まみれのナイフをポケットにしまい、エレベーターに乗り込む。左手のスーツケースはそのまま、融解を続けていく。

 今頃、この東京中を七人のぼくが練り歩いていることだろう。もしかしたら、もう目標地点に到達していて、時を待つばかりだけなのかもしれない。

 白の世界が眼下に広がる。相変わらずの雪だ。相変わらずの人混みだ。

 エレベーターを降りる。幸い、だれもいないようだ。ぼくは足早に、階段で屋上を目指す。事前資料通りの道で安心する。

 さっきから、ぼくの好きなアーティストの歌声が、脳内に響いている。『正統』に存在を消されてしまった音楽だけれど、ぼくはそれを敬愛してやまない。そしてその名の通り――東京に一大事変が起こるのだ。あまりにタイムリーで、それでいって皮肉なことで、ぼくは笑みを浮かべてしまう。

 扉を開ける。冷たい風がいっきに吹き込んできて、思わず身を縮めてしまう。目の前はいっきにひらけて、東京の街が一望できる。ぼくはいま、墓石のてっぺんに立っている。もちろんぼくの墓石ではない――この国の、だ。

 今までぼくらは、どれほど加速してきたのか。

 その結果が今、現れようとしている。スーツケースを足元に下ろし、ぼくはそのまま手すりへと歩み寄る。灰色の空は、今にも砕け散りそうだ。

 ぼくは笑って、笑って、笑った。

 音が戻った。ぼくの笑い声が、ぼくの鼓動が、そしてこのビルを震わせる警報が、いっきに耳へと流れ込んでくる。色が戻った。相も変わらず真っ白の世界が広がるのみだけれど、だからこそ、この手元のリアルな赤が目立つ。ぼくの真っ赤な手は、生温かかった。湯気を立てていた。

 全てを手に入れる瞬間を、ご覧。

 張りつめたような空気はもう終わりを告げるだろう。本物の『文化』が、その前に『本能』が、天の岩戸を開けて、想像以上の物量と圧力をもって流れ込むことだろう。そしてまた、混沌が訪れる。価値観の崩壊が訪れる。きっとぼくのこの右手のようになることは、避けられない。

 だけどきっと、今よりずっと良いはずなんだ。いまよりずっと、ずっと良いはずなんだ。

 灰色の空が、鳴っている。この音はきっと、ぼくにしか聞こえない。

 雪が踊り狂っている。この白と赤の色調はきっと、ぼくにしか味わえない。

 さあ、始まるぞ。


 お願いです、終わらせないで。


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