第七話
ちょっと、込み入った人間関係の話。
心と言うモノは容易く折れる。
それは心の問題と言うよりも、閉塞感が原因である場合が多い。
何をやってもダメ、何をしてもダメ、どうやってもダメ。
こうなると、もう、まったく進む道が見えずに「諦めて」しまう。
これが個人でやっている遊びならいいかもしれない。
また、個人経営の会社でも同じだ。
すべては個人の範囲で収める事が出来ないわけではないから。
逆に、遊びなのにどうしようもない事もある。
それは多人数と柵がある場合だ。
ネットだけの柵でも多くの負担があるというのに、これにリアルの柵が加わるとにっちもさっちもいかない。
たとえお茶会に呼ばれても、たとえ寝ている時ですら負荷を感じる。
いわばプチ鬱病。
ゲームごときで、と言う人もいるだろうが、基本は心が折れること。
どうにもならないという心の叫びが自信を傷つけるのだ。
どうにもならないと言う心の悲鳴が自信を傷つけるのだ。
傷ついたそれは癒されることなく血を流し、傷ついたそれは治る間もなく再び傷つく。
たとえそれが遊びの、ふれんずというゲームの世界であっても。
少女にとって、睡眠だけが安らぎであった。
起きれば間違いなく母親からのどうでもいい説教があり、学校に行けば「氏族」の幹部がいつものように不満をぶつけてくる。
塾に行っても同じ、家に帰っても同じ、ログインしても同じ。
彼女の前には「氏族」という重く冷たく刺々しく吐き気のする現実があるだけであった。
学校のお手洗いで嘔吐したとき、限界にきている事を自覚した彼女であったが、ゲーム自体をやめることは出来なかった。
それは家族の、友人の、知人の、すべての関係を自ら断ち切るという事だから。
正直に言えば、それもありかも知れないとすら思いつつあるが、自殺に等しい行為を飲み込めないでいた。
「あ、タカネ様。顔色悪いですけど、大丈夫ですか?」
かつては、自分の氏族でもっとも頼りになる前衛アタッカーであった学友が、心配そうに自分をのぞき込んでいる。
高円 みどり。
破壊の剣のエルダー筋でプレイし始め、そして我が女神の鉄槌を背負ってくれていたはずの友人。
それが、ひょうひょうと親筋ぬけどころかキャラリメイクまでして、今までの取得スキルまで捨てて、私たちの絆をすべて捨てて「斜め下」へ走った人。
「・・・ご心配いただいてうれしいですが、心労の原因の一端である貴女に言われたくありませんわ」
「わちゃ、やっぱりそうかぁ・・・」
彼女が抜けた女神の鉄槌は、確かに意思伝達能力は上がりましたが、決定打に欠く戦闘しか出来ず、南迷宮の攻略効率を大幅に落としてしまっている。
残っている人員が得意なことを隠さず言えば、自分以外の責任者を見つける天才。
はっきり言って、何でこんな奴らばかり残ったのかと悲しくなる。
「ね、タカネ様。今のプレイが苦しいなら、うちの氏族用のキャラを作らない? 今のアバターを一時封印すれば、ウチの氏族用アバターで息抜きできると思うけど?」
・・・彼女が何を言っているのか、全く理解できなかった。
でも、私は、ふらふらとその手を握ってしまった。
私はそこで新しい自分に出会うことが出来たのだった。
まさか、ミドリちゃんがタカネ様を氏族に迎えて帰ってくるとは思いませんでした。
ちょっとお手洗い~っていって出て行って、帰ってきたら憔悴しつつも期待で目がきらめいているタカネ様がミドリちゃんに縋っています。
なんでしょう、このVRジゴロ。
リアルまでその毒牙の届く範囲を広げているとは驚きです。
「まぁ、ミドリさん、そう言う趣味でしたの?」
驚きつつ身をはなし、私の後ろに隠れるタカネ様。
そうそう、彼女はこういうお茶目なところがあったはずなのに、フレンズを始めてからは、こう、孤高のイメージが強かった。
だから私とミドリちゃんでリラックスしてもらおうと思ってたのに、最後までその姿勢を崩せなかった。
いや、たしかに「かった」だ。
「いやいやいや、鶴見ちゃん、タカネ様!? わたし完全に異性愛主義だよ? まじだよ!?」
「その慌てようが怪しいですわ。VRでいちゃラブしていますのね? 女性と」
「さすがタカネ様。ご慧眼恐れ入ります」
「あれはシナリオだから、イベントだから!」
いじられ役のミドリちゃんには悪いけど、ここはひとつ、タカネ様をリアルで攻略してもらいましょう。
氏族の小IDをゲットしたタカネ様が氏族ホームにやってきたのは、三日後だった。
彼女が取得したのは何と「従魔」スキル。
何でもお兄ちゃんがウサギをつれているのを見て、心底うらやましかったそうだ。
だが、女神の鉄槌のIDではどうやっても取得できないスキルだったので、涙をのんでいたそうだけど、あのチートチュートリアル空間で背後の声からそのやり方を聞いて、出てくるMOB出てくるMOBすべてを従魔にしていったとか。
その影響で従魔術レベルが天元突破して、自分の陰の中に従魔を入れておけるようになったとか。
どこの六道冥○?
そんなタカネ様にお兄ちゃんは、うちの基準クエストを発行した。
<氏族長より、クエストが発行されました>
<がんがん狩ろうぜ!! in 熊(一人旅)>
<成功報酬 : 熊全部>
<成功条件 : 生存状態での隣国到達>
<失敗条件 : 死に戻り>
<ペナルティー: セカンドクエスト「がんがん狩ろうぜ!! in 熊(みんなで皆殺し)」への強制参加 >
・・・あれぇ? なんか私たちと発行条件が違う気がするんだけど?
「お兄さん、さすがに熊トラウマのある方に、一人旅は・・・」
真っ青になっているタカネ様の肩をたたくお兄ちゃんは、にっこり微笑みます。
「確かに、あそこは視界一面の熊空間だ」
うん、理不尽な表現だけど納得のいく場所だよね。
「しかし、あそこを一人で攻略すると全部合わせて80匹を下回る」
へぇ、それなら一人でもいけるかなぁ、と思った私はすでに「氏族」色に染められているのだろう。
「その熊全部を、君は配下に出来るんだよ?」
「「「え?」」」
私、鶴見ちゃん、タカネ様、全員が虚を突かれた。
「プレイヤーの誰もが絶望した熊の海を君が、君の影から生み出せるんだ。それは壮観だろうねぇ?」
あ、やばい、タカネ様その気になってる。
「そうそう、俺以外の初一人旅なので、こんなモノを用意した。この装備を受け取ってくれ」
手渡されたのは、黄金に輝く熊装備一式。
というか<皇帝熊の~>ってシリーズは異常なんですけど!?
「・・・ふふふ、うふふふふふっ。わかりました、理解しましたわ! エルダーのお話はとても愉快で爽快です。では私は、あの熊の海を平らげ呑み込めばよろしいのですわね!?」
あーあ、タカネ様、大暴走だわ。
おーほっほっほ、とか言いながら、熊峠を目指して走ってゆくのだった。
割と無茶ぶりだったかなぁ、と半ば反省しつつ、熊峠を抜けた街道で待っていると、峠の上の方からもの凄い勢いで熊が走ってきた。
何事かと身構えていたら、次々と熊が整列してゆき、そしてその列は峠の上から街道まで二列になった。
まるで騎士かのように頭を下げる熊たちの間を、それが降りてきたとき、俺たちは絶句した。
丸太でくまれた櫓を担ぐのは数頭の皇帝熊。
そしてその櫓の上で女王然足を組み座っているモノこそ・・・。
「あら、エルダー様。お出迎えご苦労様です」
おーっほっほっほ、と高笑いのタカネであった。
この規格外の熊の数も、峠を三往復ほどして集めたそうで、最後は向こうから膝を折って配下に加わりにきたとか。
称号にも「女(熊)皇帝」というとてももの凄い称号が追加されていたりする。
「貴方のご指示どうり、熊の海を呑み込み従えましたわよ?」
想像を絶する結果に、俺も妹たちも目を見開いたまま動けないレベルだったりする。
ともあれ、熊峠の熊は「女(熊)皇帝」の配下となったため、二度とこの峠に熊が出てくることはなくなってしまった。
いいんだろうか、と少しだけ親戚の姉ちゃんを思ったが、まぁ気にしない気にしないとスルーする事にした。
櫓を担ぐ熊以外を影にしまったタカネは、そのまま東の町に行くという。
「あー、とりあえず奇抜すぎるから、熊全部引っ込めろや」
「まぁ、寛容じゃない町ですのね」
「逆に聞くが、始まりの町にその櫓で出向いてパニックが起こらないと言い切れるか?」
「・・・そうですね、周囲との寛容な心の交流、それこそが重要ですわよね?」
というわけで、即席櫓は放置して、熊もしまったタカネは、もう体の一部となった皇帝熊シリーズの格好で街道を練り歩く。
すれ違う旅人や商人たちは興味深げにのぞき込むし、町の入り口ではいち早く見物人が集まっていて、その出来を先を争うように見つめている。
「あらあら、お行儀のできていない熊ちゃんたちですわね?」
どこからともなく取り出した鞭を、地面にびしーーーっとやった瞬間、野次馬たちは蜘蛛の子のように逃げ去り、残ったのは真っ青な顔の門番だけだった。
「では、鑑札をお願いしますわ」
「は、はい!!」
にっこり微笑まれてさっきの鞭を忘れた門番は、鼻の下をのばしてろくなチェックもしないで町に招き入れてしまった。
ああ、彼女の影の中には、この町を覆って隠せるほどの熊がいるというのに。
「失礼ですわよ、エルダー。私のかわいい熊ちゃんたちが粗相をするかのようですわよ?」
「粗相はしないだろうけど、なんかするでしょ? 出すからには」
俺の問いに、彼女はにやりと笑う。
「事件はどのように起きるかによって納めかたが変わりますわ。臨機応変に対応、ですわよ」
まぁ、心の底から楽しめているようだからいいけどね。
エルダー連合は静かに動揺していた。
女神の鉄槌 エルダーが最近氏族ホームに来ていないからだ。
ログインはしているようであるという情報は「外」から入ってきているが、氏族ホームに来ていないため行動が把握できないでいた。
確かに最近、彼女への引責を求める声は高らかであったしエルダー引退を求める声もなかったわけではない。
しかし、代わりになるエルダー候補は立たなかったし、代行できる氏族もいないのが現状だった。
そんな中、誰かが言った。
「タカネ様ひとりの責任と責め立てたあいつ等が悪い」
「タカネ様の責任ばかり訴えるあの氏族が悪い」
「リアルで彼女を責め立てる姿を見た」
SNS経由で、リアルの会話経由で、ネットのチャット経由で。
そしてやっと気づいた。
もしかすると、追いつめすぎたのではないか、と。
「いや、あの程度はエルダーとしての必須重責だ」
そう何処かの連合内エルダーが言ったが、では替わりに代表になるかと言えば、最近仕事が忙しいからとか、そろそろ俺も引退時期だからとかいって腰が引けていた。
こうなると、一方的に叩かれることになったそのエルダーは、早々に引退を宣言し、氏族自体を解散するとした。
実に無責任だ、氏族をなんだと思ってる、お前の責任感など子供に劣る、等々の意見が四方八方から集中すると今度は逆撃が始まった。
既知のIDやアバターに対して、必要以上に攻撃的な意見を言ったという事で訴訟を起こしたのだ。
ふれんずは、リアルが密接に関係している。
ネット内の問題がリアルにあふれ出したり、その逆が起こったりもしていたが、ここまで明確な法的手段にでる例はなく、また、個々まで容易に相手を特定できる例もなかった。
この騒ぎを、運営は呆然と見ているほか無かった。
人間関係を、近所つきあいを密接にするために始めたこのゲームで、訴訟なんて起きるとは思っていなかったのだ。
週何度か行われる「頂上会議」に呼ばれることが常連となった宗像みさえは「四つ目か」と思っていた。
「しかし、素晴らしい成果ですな」
「ええ、ええ、相手の顔が見えないからと失言が漏れ、その失言の揚げ足を取る連中が吠え、加えるにそれが顔が見えないだけでリアルだと認識する事件が起きる。いやはや、ここまで『ふれんず』が成長するとは思いませなんだな」
どうやら、運営中止という話ではないようだ。
でも、ふつうの会社ならこんな事件一つで吹っ飛ぶものだが、やはり国の社会実験としての側面が大きいだけにそう簡単に中止にはなりませんってことかな?などと暢気に思って居たが、急にスクリーンに自分お写真が映し出された。
「(ぶっ)」
「宗像君が呼び込んだ『リュウジ』君がアクセスするようになってからの「ふれんず」サーバーは猛烈な勢いで拡張されている。これはネット内の社会実験としては異例の成長速度といえるだろう。現在USAのネット内社会実験組織からも研究統合の話がひっきりなしできているほどだ」
初耳の話に眉を上げると、周辺の偉い人たちはほぼ知っているようだ。
というか、あらゆる角度から要望が来ていると見て良いだろう。
「・・・えーっと、では、今起こっている訴訟など序の口、と?」
「我々は、さらに踏み込んだ人間関係が構築されることを願っている」
いやぁな感じがした。
「まさか、ネット市民とリアル市民の結婚とか?」
ついーーーと偉い人たちが視線を逸らしやがった。
「まってください! NPCは言わばパペット。人形劇の人形です! どうあがいてもピノッキオにはなれません!!」
「それ故の多様性の吸収であり、サンプルの収集なのだが?」
にっこり微笑むのは、京大の某教授。
くそ、ロマンスグレーめ、私の好み直撃じゃないかぁ・・・。
絶対に私を黙らせるために用意した人材だわ。
・・・ということは、口説いて落として食べて良いって事よねぇ?
「・・・うへへへへへ」
抑圧されると、人間弾けるって感じですw




