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ジョルノ・ステラ  作者: e_
第三部
9/12

空の紋章

 天空の島は、神族が生んだという。

 浮遊する島に残された数々の遺跡は彼らの生きた証だ。今はもうその技術を伝えるものもなく、はるかな昔話として語られるばかりとなった。

 神族は今、この星のどこにいるのか。

 そのものは、光の翼で飛んでいただろうか。いや、目の前にいる男を「天使」だなんて呼びたくない。堕天使と呼ぶのもはばかられる。飛翔する蚊で充分である。

「てっめええー、このっ、たたっきつぶしてやらあああ!」

 叩き落とせるものならば、力一杯叩きたい。

 ジョルノは手に持っていた白い上着を振り回し、ひらひら飛んでいる発光男にあてようとしていた。幾度もジャンプを繰り返している彼の真上、三メートルぐらいの場所で、マックスはゆっくりと羽ばたきながら「あれえー、地図が出てこないー」と、自分の頭を叩きながらつぶやいている。

 彼も片目にコンタクトを入れているらしく、左目が赤い光を発していた。

 マックスは金色光に包まれ、白銀の髪が艶やかに温かい光に染まる。目の色は赤っぽいピンク色になっている。白色の髪、瞳は色素が抜けて血色が透ける……白子という変異体を真似ている。が、白子ならば肌の色も白いはずだ。今、目に見えているマックスの肌は、金光で見えにくいが白ではない。変装しているらしい。

 ジョルノは上着を放り投げた後、地面に落ちていたゴミを取り上げ、大きく半身を背後に引いた。勢いをつけて、力一杯腕を伸ばし、ゴミを投げつけた。それはまっすぐにマックスの方へ向かう。

 マックスは左耳から伸びている配線に触れ、コンタクトに写る画像を操っていた。が、ふと、片手を伸ばし、飛んできたゴミを遮った。目で見てなくても、それは正確に。

 彼がゴミを片手で握った直後、その額正面に白い上着がかかった。

「うわっ?!」

 そちらの物体が空を飛んでいたことには気がついていなかったらしく、マックスは慌てて両手をばたつかせ……上体のバランスが崩れ……体が仰向きになったとたん、翼の羽ばたきと共に、まっすぐ地面に落下した。あっけない。流体エルロンのプログラムは羽ばたきのみだったようだ。

 彼は地面に落ちる寸前に上着を片手ではねのけて体勢を戻したが、ジョルノがその腕をつかんで地面に叩きつける。マックスは地面に落ちると、すぐ、肩の部分にあったコントローラーに触れて翼を消した。

 光が消えるとあたりは闇だ。遠くの方で浮遊車が数台通り過ぎ、白い発光体が遠ざかるのが見えた。この場所はもう彼らの重力圏には影響されないようだ。

 マックスは闇の中で、彼らを見送って体を起こす。次いで、ジョルノを見上げつつ胡坐をかいた。ジョルノは拳を握り、彼を見下ろした。

「ひっさしぶりだなあー? マックスー?」

「あれえ? ジョルノくん? うわあ、見違えたじゃないの、別人みたいだよ」

「てめえこそ、まるっきり別人じゃねえかっ! つーか、仕事の報酬、残りの半分を支払ってもらおうか! このまま、踏み倒しなんて認めねーからな。こっちはてめーのおかげで軍に収容されるわ、営業停止命令をくらうわ」

 ジョルノが話している途中で、マックスが「あはっ!」と声を上げて笑い出した。その後、地面を叩きながら大笑いだ。腹をよじって笑い転げている。実は笑い上戸なのか。

 その緊張感のなさに、一時、自失したジョルノだったが、悔しさに歯軋りしながら「笑うな」とうめいた。拳骨で思いっきり彼の頭を垂直に殴りおろした。マックスはゴチッと痛そうな音を出して、少し首を傾げたが、相変わらず笑っていた。

 襟首をつかんで持ち上げたら、笑い泣きながら彼は答えた。

「わかった、わかったからさ。残りの金額を払うから、俺を逃がしてくれるよね?」

「どこまでずうずうしいんだよ」

「マフィアに追われてるんだ」

「はっ! 奴らと組んで仕事してたんだろ? あいつらは裏切りに対しては容赦しないからな。これ以上、巻き込まれるのは、ごめんだね。俺がお前を安全なムショの中に連れて行ってやる」

 マックスはふっと笑いを止めて、真顔になった。切ない顔でジョルノを見た後、彼はつぶやいた。

「それ、つまんないね」

 つまるとか、つまらないとか、そういう問題ではない。ジョルノはわがままな子供をしつけるようにして、彼の頭を軽く叩く。マックスは呆れた顔で「離して」と言いながら、ジョルノの腕を払いのけた。

 マックスはジョルノから離れると片手で払うようにして、衣服に付いたゴミを落とす。次の瞬間、突然走り出して光の翼を出したが、ジョルノは慌てることなく、片手に持っていた上着を彼の片翼にぶつけた。その瞬間、マックスは長い翼を操りきれずにバランスを崩し、再び地面に倒れこむ。

 ジョルノはマックスを見下ろして、口を開いた。

「翼を持っている奴が、航空士に敵うと思うなよ。てめえらの飛び方なんざ、全てお見通しなんだよ。俺の立っている場所から逃げられると思うな」

 マックスは小さなため息をついて「きみは真面目だね」と笑った。

 道の向こうでサイレンの音が聞こえてきた。マックスはちらっと視線を送ったが、興味もないようですぐにそらした。街中の騒動に気がついた人間が通報をしたらしい。警官隊が入ってくると、白い発光体も銃声も消えた。

 ジョルノは彼の次の行動を見守る。マックスは逃げることを諦めたらしく、片耳にかけていたレシーバーを耳から外し、黒いラバースーツの首元にあるファスナーを開いて、胸元を開けた。気の抜けた顔をして「歩くの?」とジョルノに声をかける。

 ジョルノは「オフィス街の外に車がある」と答え、携帯電話を繋げる。妨害電波は消えている。RT3がすぐに応答した。彼女に迎えに来るよう命じてから、通話を切った。

 電話を切ってから、マックスに向き合う。マックスはにっこり笑って腕を組んでいた。相変わらず無邪気な表情で騙されそうだが、気を引き締めて彼を睨む。

「あの後、空賊たちはどうした?」

 ジョルノはそう問いかける。自分が気を失っていた時間に何が起きたのだろう。リディックたちは死んだのか、生きているのか。

 マックスは優しい瞳を少し動かして、首をかしげる。少ししてから答えた。

「リディックの消息について聞いてるの?」

「別に。あいつに用はない。死んでくれた方がうれしいけど」

 マックスは右手にはめた黒い手袋を外しながら、続けた。

「リディックは何とか逃げたんじゃない? 彼は生き残った部下にカヤルと連絡を取るように命じてたよ。遺跡保存委員会の奴らが着陸したけど、地に足を着ければリディックの方が戦闘力では分があるように思ったね。彼はそういうのに慣れてるからさー。俺はグライダーがあったからさっさと逃げちゃった。その後のことはわからないけどね」

 彼はリディックとは初めて会った仲ではないようだ。何度か一緒に仕事をしたことがあるのだろう。リディックの戦闘力についてはわからないが、自船もない状況で逃げたというなら、肉弾戦を制してロヴィーネ島の戦闘機を奪って逃げたのだろう。

 ロヴィーネ島の戦闘機は国際基準では、天空域のみの所有品だ。盗難されたというならば、大問題になる。先ほどの航空機はロヴィーネ島のパイロットが乗っていたわけではないのかもしれない。リディックの部下がマックスを助けるためにマフィアを追い払ったのだろうか。

 それにしても、この男はやはりハンターだ。

 グライダーは島と島の間を渡るような乗り物ではない。滑空専用の翼に過ぎない。それに自前のプログラムを加えて、翼の形状を変え、上空から飛び降りた。超高層域からのスカイダイビングの度胸、強風の方角を読みきる天空の知識、肉体を自在に操る身体能力……生身で本当にヴュルラク島からの脱出を図った。

 そんな犯罪者の逃走経路を遺跡保存委員会は予想してなかっただろう。リディックたちの反撃と合わせて、度肝を抜かれて見逃してしまったに違いない。

 ジョルノは、発光体とマフィアの消えた道先を見つめつつ、問いかけた。

「結局、ロヴィーネ島から何を盗んだ?」

「それを君が聞くの? 知らないほうがいいんじゃない? 聞いたら共犯になるよ」

「もう俺の取調べは終わってる」

 そういえば、と思い出す。国際警察はジョルノの身辺を見張ってないのだろうか。彼は辺りを見回して、消えた発光体とマフィアの姿を探す。突入してきた警官隊は国際警察だったのだろうか。

 彼と一緒にいたら、捕まるかもしれない。だが、ジョルノは腹をくくった。共謀犯となるかどうかは、司法の判断に任せればいい。そこは自分の仕事ではない。今、この男を見逃す方が間違っている。

 マックスは気楽な笑顔で答えた。

「あの島にある値打ち品といえば、決まってるじゃないのよ。アヴィリオンで作られた製水機だよ。いい金で買い取る奴らがいたんだ……途中、邪魔が入って、運び出しに苦労したけどね。まさか、あそこで君に邪魔されるとは思わなかったよ。ジョルノくんもいい勘をしてたよねー。何連勝したって? 君も怖いもの知らずだ、あはは!」

 一瞬、何を言われたのかわからなかった。数秒後にルカの顔を思い出し、にやりと笑った。イウェンに誘われて、気晴らしに出かけた賭場だったが、あの騒動の中、マックスは盗品を運び入れるのをやめて外に出たようだ。ニアミスしていたらしい。

 彼はおそらく、ビュルラク島から流されて、第二気団にたどり着いたのだろう。その後、その場所で少し身を潜め、事態が落ち着くのを待っていた。一般観光客を装って滞在していただろうけれど、恒星フレアが観測され、第一気団へ降りた。が、ケアフルール島の旅客機や宿泊施設はキャンセル待ち。手っ取り早く移動できる島に避難して、遅れが生じた。それでマフィアに盗品を渡す時期が遅れ、マックスを始末するヒットマンが派遣されてしまった、ということだろうか。

 マックスにとっては、ジョルノとの出会いが全ての計画を狂わせる原因だったのだ。

「君に出会ってから、いろいろと狂いっぱなしだよ。計画が甘かったのかなー……まさか、機長が心臓発作で死んじゃうなんて、副操縦士が着任三ヵ月の新人だったなんて、彼女が天空域の地図を知らないなんて……普通にチェルキオ空港を経由して、ケアフルールに行くべきだったね……リディックたちに会うときに、また苦労しただろうけど」

 一般旅客が、北線経由で侵入する空賊たちと連絡を取る方法はない。

 第二気団以上の高度へ直接乗り入れる航空機を持っているのは、南西線の島に存在する飛行場だ。今の時期の天空図ではケアフルール島が最適の位置にある。

「結局、ケアフルールで雇うパイロットは俺しかいなかっただろうな。お前らのような酔狂な冒険につきあえるバカといったら」

「あははは! やっぱり、君とは会うべき運命だったのか」

 マックスはきれいな笑みを浮かべて「じゃあ、しょうがないな」とつぶやいた。さっぱりした男だ。恨みつらみを引きずらない気持ちよさがある。

 諦めた笑顔になって、彼は口を閉じた。

 優しい顔つきだが、それは彼の本当の顔なのか。変装しているのか。黒いラバースーツの下に小麦色に焼けた素肌が見える。その首元に鉤の付いた二重十字の紋章が見えた。ジョルノはその形を目に入れて、見なかったふりをする。

 その紋章は、今は地図から消えた天空の島のもの。

 四つの気団の気流から外れてしまい、空を浮遊する孤島となった。地図から消えたのははるか前の話。今はもう天空域のハンターでさえ、その島を見つけるのは難しい。浮遊装置がまだ生きているなら、同じ高度の空域でさまよっているだろう。だが、島の上にある建造物が風化して消えてしまえば、第四気団以上の高さに昇ってしまい、もう人の技術では入ることすらできなくなる。

 だから、地図から消えた幻の島となっている。地図から消えた島の情報を手に入れることはもうできない。だが、その紋章は航空関係者の間では有名だった。

 鉤十字が二つ絡み合って八本の放射線となったその紋章は、天空図を作った神族の印だからだ。この空中都市を作った最初の古代天空人の暮らした島なのだ。

 神の紋章を肌に刻んでいる人間を見たことがない。

 そんな大それた紋章を掲げる犯罪者なんて、見たことがないのだ。

 彼は何者なのか。

 だが、それを問いかけることはためらわれた。神の血を引く人間の多くは、王族を名乗る。ジョルノは一瞬、ハルシュのことを思い出し、胸が痛んだ。彼の親類はほとんどすべて処刑されていた。彼自身も王族の血を引くことを公言できずにいる。

 ただ、ハルシュは一般人として労働者となって生きる道を選び、マックスは空の遺産を奪う犯罪者となった。どこにいても、どんな生き方をしても、それは本来の自分の生き方とは異なる。どこにも溶け込めず、社会からはじき出され、一人で浮いてしまっていることを感じつつ、それでも、借り物の世の中に必死で適応しようとして、あがいている。

 空の上に存在した神の王国。

 今はもう、空は万民のものとなった。

 通りに浮遊車が止まった。中から、ホテルドオランデのコンシェルジュが出てきて、丁寧に一礼する。マックスは「人工生命だね」とつぶやく。RT3が「ジョルノさま、お迎えに上がりました」と微笑む。

 後部座席の扉を開いて、RT3が「どうぞ」と手招く。

 ジョルノは一度マックスを見た後、彼の背をそっと押した。マックスは抵抗することなく、車に乗り込む。RT3は助手席に入ってから、二人に話しかけた。

「では、ゴールドバーグ財団へ参ります」

「いや、このまま警察へ向かってくれ」

 ジョルノは心に蓋をして、そう呼びかけた。マックスの正体が何であれ、そうするのがいいだろうと思った。それがこの社会の慣わしなのだ。

 が。

 車が動き出した瞬間、二人は同時に素早い動きを見せた。

 マックスは片手に持っていた自動小銃をジョルノのこめかみに当てていた。他方、ジョルノは素手でマックスの喉元をつかみ上げていた。それは頚動脈を的確にとらえている。ジョルノは指先にマックスの拍動を感じた。この場所をそのまま押さえれば、気絶するはずだ。脳内に血がいかなくなれば五分以内に壊死が始まる。

 もう、マックスがどんな人間なのかは理解できていた。油断もすきもない奴だ。狙い通りの行動だった。ジョルノは慌てることなく指先に力を込める。

 二人は同時に声を出した。

「撃てるものなら撃ってみろよ。俺の手から力が抜けるまでの時間を生き抜くことができるかどうか、試してみろよ」

「やだなー。こめかみに当てちゃったよー。君、背が高いなー。この角度では死なないじゃん。でも、脳みそはたくさん吹っ飛ぶと思うよ? 痛いだろうなあ」

「前頭葉なんかいらねーよ。もともと使わないし」

「あはははは!」

 二人の前方でRT3が「このまま警察署へ参ります」と平然とした口調で話した。二人はその体勢のまま、座席から動けなくなり、おとなしくしていた。

 オフィス街を出たとき、マックスが小さく「参った」とつぶやいて、先に銃をおろした。ジョルノは片手でその銃を取り上げてから、彼の首を手放す。マックスは小さく咳をしてから、首をさすり、不機嫌そうに窓の外を見た。

 彼の視線と共に、夜のオフィス街を目に入れる。ネオンもなく、すっぽりと暗い空間に立ち上るビルの陰影。グラフヴェルズ製薬会社らしきビルを探すが、結局、どれがそうなのかわからない。

 マックスは完全に諦めたようで、座席に深く腰掛けて足を組んだ。素が出ているらしく、横顔は冷たい無表情だ。この状況は気に食わないらしい。

「盗品はマフィアに渡ってないんだろ? 自首したら、遺跡保存委員会に盗品を返せば、刑は軽くなるんじゃねーの?」

 ジョルノはそんなことをボソッとつぶやく。マックスは無反応だ。しかし、数秒後、瞳がすっと滑るようにして、ジョルノを捕らえた。目があってから、少し口元に笑みが浮かんだ。彼の笑顔を見て、少しほっとした。ジョルノも優しい笑みを浮かべる。

 マックスは次の瞬間、表情を崩して片手で顔を覆った。彼は笑いを押し殺しながら目を覆う。ジョルノに声をかけた。

「君って……もう、本当に、君はずるいよ。ひどいよね、そういう言葉を口にするなんて、本当に、さっき、本当に殺してしまえばよかったのに、俺はどうして……俺はどうして君を殺せないのかなあっ! どうして、君はそういう奴なのかなあ。どうして、君は俺を助けようとしちゃうのかなあっ! どうして、君なんかに出会っちゃったのかなあっ!」

 マックスは顔を上げ、ジョルノの胸に拳をドンと強くぶつけた。至近距離で彼に睨まれる。彼の目が少し潤んでいた。その目つきがハルシュの印象と重なる。ああ、だから、この男を憎めなかったのか、と思った。

 嫌いになれるわけがない。彼との思い出を嫌いになりたくないのだから。

 空賊の出だという理由で浮いた存在になった訓練校時代。あからさまな差別をしてきたのはキースぐらいだったが、ジョルノは衆目に監視された状態で、更生させられた。誘拐された被害者ではあったが、それから犯罪者として生きた。その過去を背負い、不意に孤独を感じさせられた。良家の子息たちは明言してジョルノを非難することはない。上辺だけ取り繕いつつも、明確な境界線を引いた。キースはそんな無言の均衡線を打ち破った数少ない明言者だ。彼にはよく嫌味を言われたが、冷たい空気をいつも消してくれた。キースからジョルノを守るようにして、ユージンが傍に張りつくようになり、その均衡の中でジョルノは自分の居場所を見つけた。彼らは結局のところ、心根の温かい人間たちだ。

 ハルシュはそのいずれでもなかった。

 彼自身、社会からはじき出された旧家の出身で、その高貴な血筋とはうらはらに、この世界のどこにも身をおくところのない浮浪者だったのである。だから、在学中、彼との間に心を通わせる余地があったのだろう。傍にいて落ち着いた。自分によく似た人間だと思っていた。俗世の中にいながら、どこか浮世離れした、現実感のない存在。

 彼はその教養の高さから、よくジョルノを守り、導いてくれた。学業の面で彼には救われっぱなしだ。しかし、在学中、ジョルノもまた彼を守りたいと思っていたのだ。

 ふとした瞬間に、ハルシュが消えてなくなりそうな気がしたから、彼の傍にずっといた。彼がいたから、学業を続けようと思った。彼と一緒に過ごす時間を守りたかった。彼のためにいろんなことも我慢して、在学し続けた。

 彼は大事な友人だから。

 なぜ、マックスを見て、彼を思い出すのだろう。その男のどこにハルシュと同じ匂いを感じるのだろう。

『だから、死ぬ気でこの航空機に乗ったんだ』

『生きてるって感じだね』

 かつて、彼はそう言った。この世界に、同じ生きにくさを覚えているのかもしれない。

 マックスは、この世界の中で生きたいと思っているのだ。この世界に適応して、生き抜きたい、と。犯罪者になろうとも、この世界で生きたいと思っているはずだ。

 不意に、爆音と共に車が真上に飛び上がった。

「うわっ!」

「わあああ」

 シートベルトをつけていなかった二人は、頭を抱えて車内を転がっていく。RT3が助手席に座ったまま「伏せてください」と声を出した。その後、続けて「攻撃されました」と伝える。ジョルノは「遅いっ!」と叫び返し、座席に落ちた。

 車は横転した後に、再び体勢を戻し、急ブレーキをかけた。その衝撃で位置情報が錯綜したらしく、運転席から真っ赤な光が漏れていた。RT3はシートベルトを外し「私が運転いたしますので」と言いながら外に出て行く。

 だが、ジョルノは車外を走り抜けた数台の車を見て「出るな!」と叫んだ。マックスの体に覆いかぶさったとたん、後部座席のガラス窓が真っ白になった。幸いにして、防弾用のガラスだったらしく、割れたのは外側のみだ。内側のガラスは歪曲し、のめりこんだ弾痕の周囲に細かく放射線状の筋が現れる。RT3は助手席から出てしまった。

 ジョルノは後部座席から割り込むようにして前方に手を伸ばすが、こういう時に高級車は融通が利かない。運転席はきちんと隔離されていた。機械制御されたコックピットの中に人の姿はない。たくさんの光が点滅し、緊急停止中であるアラームが鳴っている。

 RT3は外に出たとたん、被弾して動きを止めた。

「彼女には同位体がいるんでしょ? すぐに応援が来る」

 マックスがジョルノを押しのけて、自動小銃を運転席に向けた。操縦席を隔てているガラスを撃ち割ると体を押し込むようにして、前の席にいく。ジョルノが途中で「俺が中に入る」といって、マックスを退けた。

 ガラスまみれになった狭い運転席に入ると、ジョルノはハンドルを縛り付けている機械制御用の配線を全て引きちぎって取っ払う。スターターに繋がっている配線から、エンジンを始動させてナビゲーションシステムからの入力を切った。手動切り替え用のレバーを探して右往左往していたら、助手席でマックスが安全装置を引き、硬質な摩擦音が響いた。

 片手間に助手席を振り返れば、RT3の背後から、数人の男が浮遊車から降りて歩いてくるのが見えた。全て、黒尽くめの男たちだ。

「嫌ぁな雰囲気を醸し出してるぜ、こいつら」

 ジョルノが手を動かしながらそう言うと、マックスは「ごめんねー」と気楽に答えた。

 運転席の下にもぐって、配線を全てぞろっと引き出した。ハンドルに繋がっている配線をよりわけ、エアコンや車内装備品に繋がっている配線をよりわけ、途中でナビゲーションから連なっている配線を見つけた。指先で辿っていき、ギアチェンジを制動している部位を見つける。配線を一本切って、レバーを手で動かしたらギアが切り替わるのが見えた。

 体を椅子の上に起こしたら、乾いた音がパンと聞こえた。

 助手席のガラス窓が白く濁る。マックスは弾倉を手にして、中に詰めてある実弾の数を数えている。車は四方囲まれている。防弾とはいえ、至近距離に来て数発打ち込まれたら、篭城しても無駄だ。

 相手もプロだ。次の瞬間には、発車する前にフロントガラスに打ち込んで、視界を奪う。

 マックスは実弾を確認した後、弾倉を元の位置に戻して「万事休すー」とぼやいた。そんな間抜けなことをつぶやいている余裕はないはずなのだが、こういう時、ハンターの緊張感のなさにイラッとくる。

 ジョルノは見えにくい視界の向こうを睨みつつ、ガラスだらけの座席に入り、緊急停止を知らせていたランプを止める。片手でコントロールパネル上の操作を行い、車体下部にある半導体に電力を供給しながらつぶやいた。

「何なんだ? こいつらは……グラフヴェルズが雇ってるマフィアのヒットマンか?」

 マックスは銃口を前方のフロントガラスに向けてから答えた。

「グラフヴェルズ? あはは、君って本当に嫌な奴じゃないの。そんなことまで調べないでよ。彼らはこんな間の抜けた攻撃なんてしないよ。地上で俺を襲うなんて、自分の不正行為を世間にアピールしているようなもんじゃないか……奴らは違う。地下組織の利権を狙ってる奴だ。君はそれ以上のことは知らなくてもいい」

「何に巻き込まれたんだよ? お前……もしかして、マフィア間の抗争に巻き込まれて」

「もう出られるなら、撃っちゃうよ? 無駄口を叩いている時間はないでしょ、ほら」

 マックスがトリガーを引いたら、狭い車内に爆音が鳴り響いた。ジョルノはびっくりして「音がでかい!」と叫んだ。直後、マックスは続けて二つ発砲し、フロントガラスを片足で大きく蹴りだした。

 前方に黒衣の男たちが入り込むのが視界に入った。ジョルノはとっさにギアを入れ替えて、ハンドルを大きく抱え込んだ。身を隠しながらアクセルを強く踏み、マックスの肩をつかみ、真後ろへ急発進する。直後、背後にあった車にぶつかって衝撃が走ったが、構わずにアクセルを踏み込み、走り抜ける。周囲に男の悲鳴が聞こえてきた。

 マックスはダッシュボードに両肘を乗せて固定し、前方の窓から見える敵に発砲を続ける。ジョルノは背後を視認しながら、ひたすらまっすぐ車を走らせた。背後の車からギシギシと軋む機械の音が聞こえている。相手の車にもまだ人が乗っていたらしく、背後から銃声が聞こえていた。

 前方にいた追っ手から離れると、片手を大きく回してハンドルを切り替え、車体を急転回させる。そのまま追っ手を振り切って走り出した。

 マックスは助手席の窓ガラスにも発砲して、足で蹴破った。

 ジョルノは片手でナビゲーションを起動させ、走れる道の検索を急いだ。手動では、走れる距離に限りがある。都市域を出れば、動力源を入れ替えて、フーバーを使って移動することになる。下方面に強く吹き出す風の力を使って移動する。水の上であろうとビスの上であろうと水平移動は可能だが、速度が落ちる。

 操縦席を見回して、このリムジンには小型の飛行装備も付いていることに気がついた。つまり、流体エルロンを出して滑空することもできる。エネルギー量を見ながら、逃走経路を考える。

「警察署はどこだよ、くっそ!」

 ジョルノはそんなことを怒鳴って、ナビゲーションを指で操作する。マックスが「あははー、ジョルノくんって真面目ー」と笑いながら、片目に四角いレンズ状の機器を取り付け、半身を外に出した。直後、彼は背後から追って来る浮遊車に銃口を向ける。

 車体の上に上半身を預け、車内では助手席に足を絡ませて体を固定させる。車体上部に腕を乗せてまっすぐ伸ばす。片目にかけた四角いレンズに、青い光で標的までの距離と速度が浮かび上がった。マックスは片目に映っている標準にあわせ、銃口を乗せる。落ち着いた様子で静かにトリガーを引いた。

 車の真上で爆音が聞こえたが、ジョルノは舌打ちしただけでマックスの攻撃を無視した。サイドミラーを見てみたが、マックスの攻撃の効果は不明だ。今はとにかく逃げることに専念するに限る。

「ジョルノーっ! まっすぐ走らないでよー!」

 天井を叩いてそんなことを言われたが、それは道路交通法違反だ。ジョルノは「知るかっ!」と叫んで、車線を変更する。直後、サイドミラーに着弾し、それが吹っ飛んで消えるのが見えた。

 前方から吹き込む風に髪をあおられ、目を開け続けることができない。ジョルノは片手で自分の胸を触って、いつものくせでサングラスを探していた。

 両サイドに黒い浮遊車がやってきた。ジョルノは左右をさっと見て、エンジンを切り、ハンドルを急に横に切った。彼らにぶつかりながら「マックス、中に入れっ!」と叫ぶ。滑るようにしてマックスが中に入り、天井の上を浮遊車がこすれて動く感覚がした。車体が地面にぶつかった直後、ジョルノはサイドレバーを引いて、下部のノズルから圧縮空気を放出させ、浮上した。上を通っていた浮遊車はバランスを崩して横転し、背後から来た車にぶつかってしまう。

 その脇をすり抜けながら追跡車が通り、直後、前方に割り込んできたが、その車の上を滑りながら空中に飛び上がる。浮遊車を体当たりで止めるのは実は難しいことなのだ。

 それは、三次元空間の中を自在に動き回る。航行高度に限界はあっても、垂直方向に移動ができるなら、無限の逃走が考えられる。

 マックスは車内で飛び跳ねながらも、冷静に弾倉を入れ替え、にんまり笑った。背後を確認して「やるね」と一言返す。ジョルノは横目にナビを見て、警察署を見つけた。

 マックスはそのナビゲーションを自分の方に向け、地図を調べ始める。

 背後から浮遊車が二台追いかけてくる。ジョルノは全身の感覚を研ぎ澄ませ、背後から迫ってくる風の音を聞き分けていた。道路の設置面を見ながら、高速道路を通るか、警察署へ直行するかで迷った。警察署に付く前に追いつかれる。

 ふと、気になる事実に気がついた。

 なぜ、彼らがここにいるのか、ということだ。ジョルノは青くなる。

「おい……あいつらって、さっき、街中で追い掛け回していた奴ら、だよな?」

 マックスは「んー?」と気のない返事をした。直後、トランクに銃弾を打ち込まれ、鈍い音が車内に入る。だが、二人はその音の存在を無視して、会話を始めた。

「ロヴィーネ島の戦闘機はどこにいったんだよ? 突入してきた警察機動隊はどこにいったんだよ。なんで、あいつらだけが俺たちを追いかけてるんだよ!」

「無茶言わないでよー、俺にその答えがわかるわけがないじゃないの」

「あのなあ!」

「だけど、普通に考えたら、ロヴィーネ島の戦闘機はともかく、浮遊車だけが逃げられるわけがないじゃない」

 背後から打ち込まれる銃声の種類が変わった。サイレンサーを外したらしい、いや、機関銃らしい、連続する発砲音と今までとは桁違いの衝撃を車体に感じ、白濁としていたガラス窓が全て弾け飛んでしまった。もはや、小細工は不要というわけだ。

 ジョルノは悲鳴を上げる間もなく、座席を滑り落ちて、身を隠す。マックスは再び後部座席に入って、そこから背後に発砲した。風と共にマックスの声がする。

「ジョルノくーん! フーバーを使って町の外に出よう! 一度、高速道路に乗って、高架から下にある森の中に入ろう」

「無理だ! 高速道路の周囲は電気網が張られていて、車が外に出られない」

「だから、俺が銃を持ってるんじゃないの。高速の入り口に警官が張ってると思う。突き抜けて入って!」

「簡単に言うなよー、俺は」

 会話の途中で視界の端に白い発光体を見つけた。ジョルノは口を閉じ、意識下で見つけた白い光を目で探す。それはバックミラーの中だ。背後に、複数台の浮遊車が増えていた。その背後に白い発光体と暗黒の空を移動する空軍の戦闘機が見えた。合流したようだ。

「……何人の犯罪者が、お前の計画に関わったんだよ」

 青ざめてそんなことをつぶやいたら、マックスが背後を覗きながら「あっちの正しい数は知らないね」と小さく答えた。

 ロヴィーネ島の戦闘機を捕らえるのは大変だ。地上の警官隊では無理だろう。空軍の出動要請が出されたはずだ。とんでもない規模の捕り物になる。もはや戦闘である。

 白い発光体が見えたとき、ジョルノは緊張して冷や汗が出た。

 この中で、一番厄介なのがあの戦闘機なのだ。彼らがその性能に気づいたら、ジョルノが持っている知識ではもはや太刀打ちできない事態に陥る。

 天と地が正しく設置されている中で、飛行は行われるものなのだ。

 重力場がコロコロ変わるような場所で、翼の効力を一定に維持することはできない。別の力学で飛行する必要が出てくる。そして、それは翼には全く関係ない物理学の世界だ。

「やつらがエネルギー切れで飛べなくなることを祈るぜ」

 そんな独り言をつぶやいて、高速道路の標識を見つける。彼は腹を決めて方向を変えた。すぐに警察の検問が見えたが、ジョルノは舌打ちして車内に落ちていた白い上着を取りあげる。ミーナのおかげで全身がずぶぬれだ。早口で「女なんかくそったれ!」と悪態をつきながら、ハンドルに上着を巻きつけて固定させた。マックスが大急ぎで傍に来て、ジョルノの耳に入っていた携帯電話を外に出して捨てた。

 直後、停止サインを通り過ぎ、過激な光が視界を覆った。車体に衝撃が走る。電気によるショックを受けて、マックスが後部座席でのた打ち回った。ジョルノも足元から痺れを感じたが、歯を食いしばって、検問を通り抜けた。それでも、数秒間の空白時間があったようで、意識が飛んでいた。慌ててハンドルを握りなおす。

 検問を通り抜けた後、サイレンが鳴り響いて高速道路の明かりが全て落ちた。

 ジョルノの座椅子をつかんで、マックスが起き上がる。

「途中で、赤外線スコープを使って配電盤を撃ち抜くから、速度を一定に」

「電撃は大丈夫だったか?」

「何とかね」

 二人の髪は逆立ち、互いの肌に触れたときに、ピシッと鞭で打ったような痛みがあった。互いに「いでっ!」「あっち!」と叫んで身をそらす。

 マックスの耳に入っていた携帯電話はもう使えなくなっていた。首筋にやけどの跡がある。彼は片手でその跡をなぞり、苦笑いしていた。自分の身を守る前に、ジョルノの身に付いている電子機器を取り外したようだ。

 背後で激しい光が連続して瞬いた。マックスが「しつこいなあ」と小さく吐き捨てた。 ジョルノもバックミラーで、追跡者たちが検問を通り抜けたことを知る。

 上空にいる発光体を探して、ジョルノは問いかけた。

「ロヴィーネ島の戦闘機を奪ったのは、お前の仲間、でいいんだよな?」

 マックスは地図で高速道路の位置を確かめながら答えた。

「前を見ててよ?」

「重力発生装置の使い方と反動をきちんと理解したパイロットが乗ってるんだろうな? 下手したら、この周囲にいる人間たちが全て死ぬぞ」

 あの装置は、ただ星の重力に反発するだけではないのだ。重力発生装置を動かすには、座標計算が必要だ。現在位置を示す空間の絶対座標が。

 公転と自転をしている星の上の座標軸は浮動のもので、これを相対座標という。動いている星を基準にしたもので、全ての飛行計画は相対座標で作られている。この星から出て行く必要がない航空機の場合、それで事足りる。

 しかし、重力発生装置を使う場合、相対座標は意味を成さなくなる。垂直方面で固定されていた高度が規定できなくなるのだ。主星の重力の中心からの距離が高度である。しかし、重力場を生み出せばこれが崩れる。重力発生装置を用いて飛行を行う場合、地面の設置面は飛行の基準とはならない。絶対座標からの距離が必要になる。

 地面の上1センチであっても、高度1万メートル以上の空域であっても、大気圏外六百キロメートルの宇宙空間であっても、この装置の原理は同じなのである。風や大気圧という物理的な影響を全く受けない。

 空間から空間への移動……それを理解できているパイロットなら、街中であんな追跡劇は見せなかっただろう。時間を操れば、目標の補足はいつでも可能なのだから。

 一つ一つの隣り合わせの空間を移動する必要がない。座標による移動が可能だ。実はそこに重力の影響は関係ない。絶対座標の計算さえできればいい。空間規定の要因のみを重力発生装置で操れば、不意に何もない空間へ出現する事だって可能になる。移動するとき、座標の境界線に、一時的な重力場のゆがみが発生するだけだ。

 もし、普通の航空機と同じ感覚で、この装置を使い、上空へ逃げようとしたらどうなるか。ジェットエンジンと同じように、速度を上げるために重力場を増大させて空に上がろうとしたら。

 戦闘機一台を吸い込ませるために必要な力以上のものが周囲にかかれば、真っ先に重力発生装置がつぶれ、次に戦闘機がつぶれ、影響範囲にある全ての空間がつぶれる。

 この星に暮らす全ての生物の生活空間が消失する危険があるのである。

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