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とある王国の物語

護衛の述懐

作者: 豊川颯希
掲載日:2026/06/04

【とある王国の物語】シリーズ第三弾です。

 婚約者が、王太子の側妃となった。

 そんな馬鹿な話があるか、他国の王女や公爵令嬢でもあるまいし。オルグは笑い飛ばそうとして、伝えてきた相手の真っ青な顔を見て固まった。

「……本当、なのか?」

「本当だ」

「マリアは、男爵家の娘だろ? 王太子殿下とは、学年も違ったよな?」

「それでも、結ばれたんだ。王太子殿下から、望まれて」

 本来ならそれは、光栄な話のはずだ。既に“元”の付くらしい婚約者──マリアの生家である男爵家は地方の田舎者で、まかり間違っても王家から目をかけられることなんてない。

 それなのに、マリアの婚約者だったオルグにそれを知らせに来たマリアの兄の顔に、喜びは微塵もなかった。マリアが自ら望んで王太子に娶られたのなら──不義理を働いたと誠心誠意オルグに謝るだろうが、それでも少しは雰囲気が浮かれるだろう。それくらい、マリアの家は聖人でも悪人でもない、平々凡々な男爵家だ。

 側妃になったことがマリアの本意ではなかったと、言われずとも理解してしまう。

「もう、マリアは王太子殿下の子を孕んでいるらしい」

「………………そうか」

 我ながら、魂の抜けた声だと思った。



 オルグは、男爵家に仕える騎士の息子だ。それも次男で、何か功績をあげなければ将来平民になる。

「私、オルグのお嫁さんになりたいな」

 それなのに、遊び相手として幼い頃から一緒にいた男爵家のお嬢様──マリアに想いを寄せられてしまった。まんざらでもない、どころの騒ぎではない。オルグも、いつもにこにこと笑って、男爵領のために何かできないか真剣に考えているマリアに惚れきっていた。曲がりなりにも貴族令嬢であるマリアを、食いっぱぐれさせる訳にはいかない。騎士として身を立てるべく、オルグは鍛錬に励んだ。マリアと想い合っていることとオルグの実直な態度から、男爵は渋々折れて婚約を認めてくれた。

 成長したマリアは学園に通うため、王都へ赴いた。オルグは残念ながら座学はからっきしで、入学すら頭になかった。

「領地のために、最新の学問を学んでくるわ!」

 そう奮起するマリアを眩しく思って、快く送り出した。彼女が帰ってきたら、一段と頼れる男になっていよう。オルグは黙々と研鑽を積みながら、日々を過ごしていた。

 マリアとは、月に一度程度手紙のやりとりをしていた。それが、ある時ぱったりと途絶える。男爵家でも同様だという。それから何度か送るも、音沙汰はない。何かあったのだろうか。最後の手紙は、とある公爵令嬢と畏れ多くも親しくなった、と踊るような筆跡で書かれていた。何か、例えば彼女の気分を害して立場をなくしているとか──しかし、マリアが綴っていた公爵令嬢の為人は寛大で、たとえ本当にマリアが失礼なことをしたとしても理不尽な罰を与えるようには思えない。そもそもマリアは非常識な娘ではないから無礼を働いたとは思えないし、公爵令嬢に関して嘘を書いたとも考えづらかった。男爵領と王都は遠く、おいそれと向かえる距離ではない。それでも直接会いに行くべきか、と話していた所で冒頭の知らせだ。

 世間では、王太子と男爵令嬢の身分をこえた真実の愛と持て囃されているらしい。秘密裏に訪れた公爵家──マリアが親しくなったというあの公爵令嬢の家だ──の使者が伝えた事実と、全く違うじゃないか。

 使者は、あくまで内密の話だと前置いてマリアの身に起きたことを男爵家に伝えた。王家はこれを美談として処理したがっており、言いふらせば身の危険があるかもしれないと忠告した上で。

 王太子と相思相愛だというマリアはその実──王太子によって純潔を散らされ、子供ができたばかりに強引に側妃に召し上げられてしまった。

 あんまりにもあんまりな事態だ。怒りの矛先すらうまく定まらず、ただ呆然とするしかない。

 一度だけ、王太子の使いだという男がやって来た。オルグを騎士とするので、かわりに比較的平穏なこの国では珍しい紛争地帯である北の国境に行くように宣告される。分かりやす過ぎる厄介払いに、乾いた笑いがもれた。王太子の使いは公爵家の使者によって拘束され(この時点で王宮の歪さが見て取れた)、命令は撤回されたがオルグは受けることにした。マリアを案じてはいたが、万が一マリアと顔を合わせれば、自分がどう行動するか分からない。マリアをさらおうとして、自分が斬り捨てられるだけならいい。目の前で幼い頃からの婚約者を殺され、ただでさえ憔悴しているだろうマリアが決定的に壊れてしまうのを避けたかった。マリアは、そういう心優しい娘だ。野心なんかあるものか。ましてや、妃の位なんて大それたものを射止めようなんて心にも思っていない、ごく普通の令嬢だったのに。

 マリアの産む子は、王太子しか直系のいない王家にとって待望の子だ。マリアの心情はともかく、待遇的には悪くないだろう。将来平民になるかもしれないオルグの隣より、ずっと良い生活ができるはずだ。王族の子を孕んだマリアの解放は、公爵家でも難しいようだった。公爵令嬢は、使者を通じてマリアの同意なく王太子を近付けることはない、と断言する。王家や公爵家からすれば吹けば飛ぶような身分であるオルグたちは、それを信じるしかなかった。

 そして、オルグは故郷を離れた。騎士を目指していたが突出した剣の才能がある訳ではない自分は、激戦地でとっととくたばると思っていた。マリアとの思い出を抱いて、独り死のうと思っていたのに──運命は、残酷だ。これ以上の絶望が、あるとは思わなかった。

 マリアが死んだ。オルグは生き残った。

 オルグの生死をいとわない戦い方は常軌を逸していたらしく、気付けば武功をたて、戦いを終結に導いた英雄と呼ばれていた。その功績で正式に騎士となり、手持ち無沙汰で故郷に戻れば、男爵家は喪に服している。

 出産の際、マリアは儚くなったという。

 オルグは神を恨んだ。王太子を恨んだ。英雄と呼ばれるオルグをしても、王宮の守りを突破して王太子の首をとることは難しいだろう。鍛えた剣は、振るう先を見失っているのにこれ以上ないほど研ぎ澄まされている。身の内に(うらみ)を飼いながら、無為に生きるのは苦しかった。

 次の死に場所を求めたいのに、国内は平和だ。賜った騎士の位を返上して、外国の戦場へ行こうか。そうオルグが考えた矢先、王家から呼び出しがかかった。

 憎い王太子ではなく、その妃。かつて公爵令嬢だった、今では王太子妃と呼ばれる方からだ。

 王太子に一方的に言い寄られ、いわれなき中傷に晒されていたマリアを守ろうとしてくれた方。美談をそのまま伝えても良かったのに、マリアの家族に真実を隠し立てしなかった誠実である意味残酷な方。

 そして、マリアの友人だったかもしれない方。

 元より、今のオルグに惜しむものは何もない。二つ返事で了承し、オルグは王宮に足を踏み入れた。

「よくぞ、来てくれました」

 騎士の位は得たとはいえ、戦場にいたオルグはろくな作法も身に付いていない。そんなオルグの所作は粗野だろうに、王太子妃は咎めなかった。

 王太子は、最愛の側妃を喪った心痛で(まつりごと)が手につかず、自室にこもっているとか。彼に代わって王太子関連の公務を取り仕切っているのが、目の前の王太子妃だ。望めば何でも叶うだろう方が、たかだか成り上がりの騎士に何の用だろう。王太子の自室に放り込まれて首を斬れ、とでも命じられたら喜んでするが。

「貴方に、頼みたいことがあります」

 一瞬、本当に王太子を殺せとの命令かと思い血が沸き立つ。思わず漏れた歓喜の混ざった殺気に、周囲にいた近衛騎士たちが血相を変えて剣の柄に手をかけた。戦場の血生臭さなど知らない侍女たちは、青ざめて王太子妃の盾になろうとする。戦場で培われた狂気を浴びても平然としていたのは、王太子妃だけだ。

「入りなさい」

 王太子妃が声をかけると、何かを抱えたお仕着せの女が入室する。猫の鳴き声のような声が、何かからした。あまりにも弱々しい喃語に、オルグは毒気を抜かれる。

「マリアの子、フリードです。貴方には、この子の護衛となってもらいたい」

「正気ですか?」

 取り繕う間もなく、本音がこぼれた。周囲の人間が、顔をしかめかけてとどまる。王太子妃の家臣は、躾が行き届いているらしい。王太子妃は、静かにこちらを見つめていた。無言の促しに、オルグは続ける。

「マリアの子、ってことは第一王子でしょう? あの男……王太子殿下の、子だ」

 オルグが男爵家より真実を知らされていることなど、王太子妃ならとうに調べがついていよう。更には、マリアを死にやった元凶である王太子を恨んでいることも。

「その通りです」

「なら、何故です? その子がマリアに似ていて、俺が絆されるとでも?」

「いいえ、フリードは王太子似でしょう」

「なら、尚更だ。マリアの仇の子、と俺がその子を殺すかもしれない」

 フリードを抱えた女──恐らく乳母が、こちらを睨みつけているがかまうものか。どうせ、失うものなどない命。ここで、失言で誅されたとしてもそれでいい。

「オルグ・リブラン」

 リブランの姓を賜ったのは、騎士として叙勲された時だ。慣れない呼称で改まって呼ばれ、しかも声を発したのが王宮でも指折りの権力者である王太子妃だからか、自然と背筋が伸びる。

「この子には、敵が多い。わたくしの陣営ですら、この場で話を聞いているもの以外は、()()()()()()()()信用が置けないのです」

「それはまた……王太子妃殿下にしては、人材不足ではないですか?」

「返す言葉もありません。ですが、わたくしは──マリアに頼まれたのです、この子のことを」

“フリ、ジア様……フリー、ドを、この子を、……この子を、どうか、お願いします”

 王太子妃からマリアの最期の言葉を聞いて、オルグは手紙の一節を思い出す。

『すごい方と、お話ししたのよ!』

『いつかお会いできなくなることを考えたら、今からさびしいわ……』

 マリア、お前は本当に──この方を、信頼していたんだな。我が子の名前を、取るくらいに。

「貴方の怒りも、無念も、理解しているとは言いません。ですが、貴方の動向を調査した結果……わたくしには、貴方よりふさわしい者は考えられませんでした」

「第一王子には、半分あの男の血が流れていますね」

 王太子妃には、それだけでオルグが何か言いたいか分かったのだろう。王太子妃の眼差しが、為政者らしい無機質なものに変わる。

「フリードが、王太子と同じような気性に育った場合は──」

「俺が、引導を渡します」

 きっぱりと宣言したオルグに、やはり動揺を見せなかったのは王太子妃のみだった。

「それが、この子の護衛を引き受ける条件です」

「貴様っ、無礼だぞ!」

 いきり立つ近衛の一人を、手の動きひとつで黙らせた王太子妃は鷹揚に頷く。

「良いでしょう。貴方に任せます」

 王太子妃の指示で乳母がオルグに近付き、フリードを抱かせた。つぶらな瞳の色も柔らかな髪の色も顔つきも、何もかもマリアの面影がない。

「ははっ。ほんとだ、ぜんっぜんマリアに似てねえ……」

 ぼた、と大粒の水滴がフリードの頬に落ちる。むずがるフリードを潰さないように抱え直して、オルグは泣いた。マリアに会えなくなってから、はじめて流した涙だった。



 フリードは大人しい子供だった。賢妃──いつの間にかあの男は王位を継ぎ、それでも自室にこもりっぱなしなので事実上の最高権力者となった王妃はそう呼ばれはじめた──の庇護があるからか、直接命に関わることは少なかったものの、世話をする乳母や侍女、護衛や従者は最低限だ。第一王子にも関わらず、ひょっとすると男爵令嬢だった母親よりも使用人の数は少ないかもしれない。男爵家が出しゃばらないお陰で、“見逃されている”。そんな形容がしっくりくる、目立たない王子だった。

 フリードの弟であり、賢妃の息子である第二王子が生まれた頃。フリードは、虫に興味を持ったらしい。まだ文字を読めないだろうに、絵が目当てなのか、小さな手で持つのも大変そうな分厚い図鑑をぱらぱらとめくっている。

 男爵領でも、特定の物を異様に知りたがる子供はいた。フリードのそれも同じだろうと、オルグは深く考えなかった。

「オルグ」

「坊、どうした?」

 フリードに仕えて数年。殿下と呼べば国王(マリアの仇)(とは言っても、オルグはついぞ直接顔を合わせることはなかったが)が浮かぶし、フリード様と呼べば賢妃が浮かぶ。苦肉の策で、オルグはフリードをそう呼んだ。乳母たちはいい顔をしなかったが、「フリードが嫌がっていなければ、私的な場では許します」と賢妃のお墨付きをもらえたので変えていない。

「本」

 フリードの目の前では、ひらひらと白い蝶が舞っていた。庭に出るのに、わざわざ重い図鑑をオルグに持たせたのは観察がしたかったからか。

「はいはい」

 返事をしながらも、オルグはフリードの所望するページを開く自信はない。オルグは虫に興味がないし、詳しくもなかった。オルグと共についている乳母は、虫自体苦手なようであまり図鑑を目に入れないようにしている。

「これ」

「……は?」

 唐突に、枝を手に取るとフリードは地面に“28”と書いた。まさかと思いながらその数字のページを開くと、果たしてそこには目の前の蝶と寸分違わぬ蝶の絵が描かれている。

「坊、お前読み書きができたのか?」

 フリードは首を横に振った。隣の乳母に視線をやれば、驚きつつフリードの言葉に嘘はないと首肯する。だが、と物言いたげなオルグを押し切り、フリードは「読んで」とせがんだ。オルグが図鑑の説明を読み上げている間、フリードはじっと蝶を見ていた。

 この種類の蝶は、庭でよく見る。だから偶然、よく開くページを覚えていたのかもしれない。字が書けずとも、そのページを示す“記号”として、たまたま数字を書いたとも考えられる。

 しかし──もし、そうではなかったら。

「坊」

 オルグの雰囲気が真面目なものに変わったのを察したのか、フリードがこちらを向く。子供にしては感情の色が薄い彼の表情を見ながら、オルグは指をさした。その先には、花にもぐり込む蜂がいる。

「あれは、この図鑑のどこにのっている?」

 ややあって、フリードは数字を書いた。オルグは該当のページを開く。正解だ。嫌な予感がどんどん膨らむが、今更後戻りはできない。オルグがたずねる。フリードが書く。確認する。そうしたやり取りを虫を変えて何度か繰り返した。フリードが数字を書く手つきはよどみなく、──ああこれは、隠していたなとオルグは察した。片手の指にも満たない年齢の子供が、虫の種類を正確に見極め、図鑑のページを示すために数字を独学で書きこなしている。そして、それができる異常性を、誰に教わるまでもなく悟って隠していた。末恐ろしい、どころではない。

 虫の絵で青い顔をしていた乳母は、今は違う意味で青くなっていた。今にも倒れそうな彼女は、フリードの危うい立ち位置を嫌というほど知っている。オルグは舌打ちしたくなったのを堪えた。ここから先の判断を間違えば、フリードの存在は容易くこの世から消えるだろう。

 どうする。どうすれば、この子を守れる。マリアを側妃にされた時の無力感を、嫌でも思い出した。嫌な汗が顔と言わず背中と言わず、流れていく。

 唐突に、図鑑を置いたオルグの指を小さな手が握った。

「やはりわたしは、……よくないことをしたか?」

 今にも泣き出しそうな声音だったので、オルグはぎょっとしてフリードの顔をうかがう。彼の目は潤んでいない。しかし、握ってきた手は細かく震えていた。

 ──全く、この王子様は。

 握られていない方の手で頭をガシガシとかいてから、オルグはフリードの頭をやや乱暴に撫でた。

「オルグ?」

「子供が難しいことを考えるな、とは言えねえ。お前の立場じゃな。だが、お前は面倒な所にたまたま生まれただけで、お前のこの……頭の良さ? は本来ならすげえことだ。ほめられて、喜ばれることだ。それは、忘れんな」

「……うん」

「坊、今まで俺たちにも黙っていただろう? なんで今日、教えてくれたんだ?」

「部屋にある本は、全部覚えたから……もっといろいろ知りたい、と思って」

 見飽きたから、別のものが欲しい。そう、普通の子供のように見せかけてねだる手もある。だが、それでは大人はフリードが絵だけに関心があると思い込んで、挿絵を変えた同程度の内容のものが用意される可能性が高い。それでは、フリードはすぐ退屈になってしまうのだろう。

「……そっか。やっぱ、お前はすげえ。すごいやつだ」

 フリードの頭を撫でる手に、力を込める。いざとなったら、こいつを背中にくくりつけて王宮から逃げ出せるだろうか。そんな馬鹿げた考えが、頭をよぎる。

 結局、オルグは賢妃に報告することを選んだ。あちらがフリードに関して一枚岩でないことは百も承知だが、──フリードの知性が公になった場合、オルグたちだけでは守り通せない。

 賢妃に伝えた翌日、家庭教師が派遣された。当然、口は堅い。フリードは様々な検査を受け、結果を見た家庭教師は「殿下は、稀代の天才です!」と興奮していた。その日のうちに、賢妃がフリードの元へ訪れる。鋭い彼女のことだ、もしかしたらそれとなく見抜いていたのかもしれない。フリードの非凡さに驚愕し、警戒する様子は一切なく、あらかじめ知っていたような動揺のない眼差しで賢妃は問いかけた。

「フリード」

「はい」

「貴方は、学びたいですか」

「わたしは……」

 口ごもったフリードは、オルグを見た。思うまま言え、と頷いてやる。

 フリードは、賢妃に向き直った。その背は迷いを吹っ切り、幼くして既に王族の気風が漂っている。

「はい、学びたいです」

「ならば、全て手配しましょう。ただし、貴方の才能は広めてはなりません。理由は、……」

 賢妃は目を細めた。

「口にせずとも、貴方はよく分かっているようですね」

 賢妃の声に、わずかに感情が宿る。様々な色の混じったそれを、オルグは黙って聞いていた。

 こうして、フリードは天より与えられた才を着実にのばし、一方でそれを秘密にしなければならず──自らを平凡と見せかけねばならない歪な環境で育った。しかし、フリードの才知は並の大人をはるかに凌駕していて、何故そうでなければならないのかを正しく理解している。故に曲がらず静かに力を蓄えるフリードの側で、オルグは護衛として付き従った。

「あにうえ!」

 フリードの暮らす区画には、時に第二王子──異母弟であるエカードが会いに来る。フリードとそう年の変わらない彼は、フリードと比べるとかなり幼く見えた。賢妃から、彼は平均的な情緒の平凡な子供だと聞いている。母親の違う異母兄弟ではあったが、大人たちの微妙な空気をものともせず、エカードはフリードによく懐いた。長じてからも、フリードの凡才が見せかけで本当は規格外の俊才と知ってからも、ひねくれることなく兄を純粋に慕ったエカードには舌を巻く。そんな彼に、フリードは安らぎを感じているようだった。

「エカードは、良き王になる」

 大好きな兄に構ってもらえて嬉しいのか、エカードは輝きを振りまくように笑っている。弟の頭を撫でながら、フリードは感慨深く言った。

「もし、お前に意地悪をする者がいたら──私が取り除こう」



 父母が邂逅した忌まわしき学園にも、王族の一員であるフリードは通った。能力は凡庸とはいえ、凛々しい顔立ちのフリードには、時にその見目につられた女子生徒が近付こうとする。そうなると当然、近くにいる古傷だらけの大男である護衛──オルグを目にすることになり、「ヒッ」と悲鳴を上げて去っていった。

「お前がついて来てくれて、良かった」

「……そりゃどうも」

 中には、オルグに怯えない奇特な者もいた。

「恥ずかしくないのですか、殿下! 仮にも王族でありながら、並程度の成績など!」

 そう吹っかけてきたのは、地方の伯爵家の三男・ヴェインだ。生家は武門の家柄で、第二王子派閥に属している。フリードの擬態を見破って、という訳ではない。賢妃に目をかけられながら、平凡な成績のフリードに不甲斐ないと発破をかけにきたようだ。如何にも甘っちょろいボンボンの、余計なお世話である。フリードがやんわりとあしらったのに何度も突っかかってきたので、面倒になったオルグが陰でこっそりのしてやったら。

「つ、つええ! さすが英雄……リブランの叔父貴! 俺に稽古をつけてくれよ!」

 今度はオルグにも絡んでくるようになり、更に鬱陶しくなった。

 どうしたものか、とオルグが顎をさすっていると、

「私は、彼に武術を習っていてね。君、手合わせしてくれるか?」

とフリードが申し出る。

 一体、どういうつもりだ。フリードは何事もちょうど平均くらいの成績で、ヴェインは武術に関してなら上位に入る。

 傍から見れば、十中八九ヴェインが勝つ──と、予測するだろう。フリードが本気を出せない以上、この手合わせに意味はない。フリードなら下手なことをしないと思っているが……万一を考えて、人払いをした状態で希望通り手合わせをさせる。

「ようやくやる気を出されたのですね、殿下!」

「ああ。なので、手加減は不要だよ」

「ならば、いざ!」

 刃を潰した剣を用いた手合わせは、一瞬で終わった。

「…………え?」

 ヴェインの間抜けな声が響く。一度刃を合わせただけで、ヴェインの手から剣が弾き飛ばされた。その隙にフリードは彼の喉元に刃を突きつける。

「私の勝ちだな」

 フリードは一切、己を偽らなかった。

「……ちょ! おい、坊!」

 つい人前で“坊”呼びしてしまうほど、オルグは焦った。まさかとは思ったが──第二王子派閥のヴェインに、実力を明かしてしまうとは。一応、フリードの従者である乳兄弟のフォルカーがヴェインに関して調査しており、間者ではないことなどは把握しているにしても、だ。

「何考えてんだ!」

 フリードは、しばし無言だった。目線がほぼ変わらなくなったのに、やけに合わない。オルグが引く気はないと分かると、フリードはぼそりと呟いた。

「彼が、お前になれなれしかったから」

「はあ!?」

「殿下、やればできるじゃん! 何で隠してたんですか?」

 事態の深刻さを理解していないヴェインは、のんきに瞳を輝かせている。

「ほらこうなる! こいつから広まるかもしれないんだぞ!」

 オルグの苦言に、フリードはため息をついた。何だか嫌そうな顔をしている。こんなに感情をあからさまに出すフリードは、はじめて見るかもしれない。

「では、ヴェイン。私の実力を黙っていてくれたら、……仕方ないが、オルグに稽古をつけるよう口添えしてもいい」

「分かった! 絶対言わない!」

 真剣な顔で頷くヴェインに、疑わしい目を向けながらオルグは一応脅しておく。

「本当か? もしそれを違えたら──命で贖ってもらうぞ」

 戦地を生き抜いた殺気は、さすがのヴェインもはじめて浴びたらしい。ビクッと大きく震えてから、「これが本物の、英雄……」等とごにょごにょ口にしつつ何だかにやにやしている。本当に大丈夫だろうか。やはり、始末するかと悩むオルグをよそにフリードが口を開く。

「君、忘れるなよ。オルグは私の護衛だ」

「んん? そりゃ、そうだろ? ……何だよ、ひとり占めできなくなるから拗ねてんのか殿下? いたたたた!」

「このお喋りそうな口を閉じさせるために、もう何度か叩きのめそうか?」

「おっ再戦か! のぞむところだ!」

 そうして剣を構え、二人は再び打ち合いはじめた。あのフリードが、年相応の青年に見える。同年代の臣下としてフォルカーがいたが、彼は良くも悪くもフリードの片腕だ。諫めはすれど、口喧嘩をするような仲ではない。フォルカーを見れば、「彼なら、こちら側にしても問題ないでしょう」とそつなく答える。こいつはじめからそのつもりだったな、と呆れながらオルグは若人たちを眺めていた。

 後日、「ヴェインを、こちらの陣営に引き抜いてきました」とフォルカーが報告してきた。本当に、得がたい忠臣である。

 そして、フリードが無難な成績で学園を卒業し、後はほどよい時期に臣籍降下するだろうと思われた時──事態は急変した。



「貴方が王になるのです、フリード」

「承知しました、賢妃陛下」

 強大な軍事力を背景に、隣国があやしい動きをはじめている。それは、かつてオルグが経験した紛争よりもはるかに大きな動乱となって、王国を飲み込もうとしていた。

 平時なら、王太子であるエカードは良き王として君臨しただろう。しかし、時勢の逼迫した乱世は、彼ではしのぎきれない。圧倒的な才を持つ、フリードでなければ。

 賢妃の宣言も、それを承知したフリードの姿も、オルグは直接見聞きした。どちらも冷徹な表情であるのに、見るものが見れば分かる悲しみを背負っているところが、痛々しいほどよく似ている。

 婚約破棄騒動という茶番をでっち上げ、エカードが表舞台から退場した後。フリードはつつがなく立太子したが、彼をよく思わないものはいくらでもいた。

「卑賤な王子に鉄槌を! エカード殿下、ば、がっ!?」

 何度目か分からない襲撃は、フリードが新たに婚約者となった公爵家の令嬢とのお茶会で起きた。

 エカード殿下、万歳とでも言おうとしたのか。その前に襲撃者を殴り倒して意識を刈り取ったオルグは、フリードに視線を走らせる。彼と公爵令嬢の近くでは、ヴェインをはじめとした騎士が守りを固めていた。フリード自身、隠し持っていた剣を抜いている。これで十分対処できる、と騎士たちの気が一瞬緩んだのが分かった。

 しかし、戦場を経験したオルグだけが気付く。まだ、殺気は途切れていない。第一、はじめの襲撃者からしておかしかった。わざわざ暗殺するのに、声を上げるなど愚の骨頂だ。そいつが、陽動だとすれば。

 オルグの視線がフリードからずれる。襲撃者は、何が何でもこちらの陣営に損害を与えたいらしい。最も強い殺気をたどれば──騎士の守りが手薄な従者の一人、フォルカーが斬り捨てられようとしていた。彼は頭が回るが、武術はてんで駄目だ。フリードの忠実な右腕であるフォルカーを失うことは、こちらにとって計り知れない痛手となる。

 即座に体が動いた。オルグは、襲撃者とフォルカーの間に体を滑り込ませる。咄嗟のことで、一太刀浴びた。たかが切られた程度なのに、傷口が大きく脈打って口から血を吐く。毒か、と認識しながら構わず剣を振るった。襲撃者の首は、呆気なく胴体から離れる。そこまでやりきって、オルグは倒れた。

「オルグ殿!」

「叔父貴!」

 オルグが動いたことで他の騎士たちも気を引き締め直したのか、他の襲撃者も返り討ちにできたらしい。目がかすむ。体から力が抜けていく。何となく、戦場の勘から致命傷をもらったことを悟る。

「誰か、医者を! 何としても、助けよ!」

 フリードが、見たことない必死な表情で指示していた。

 あーあ、せっかく有能な為政者として評判を上げる段階なのに、そんなに取り乱しちゃってまあ。

 音が遠い。視覚もぼやけている。それでも、倒れた自分の側に跪いたのがフリードだと分かった。

「オルグ、嫌だ、死ぬな! 死ぬことは許さぬ!」

 何だっけ。前にも似たことを言われた気がする。

“オルグ、嫌! 死なないで! 死んだら許さないから!”

 そうだ、遠い昔。幼少期、男爵領でマリアと遊んでいた時のことだ。木になっている林檎を欲しそうにマリアが眺めていたから、いいところを見せたかったオルグは登ってとった。そのまま渡せたら良かったのだけど、手足をすべらせて頭から落ちたのだ。脳しんとうを起こして立ち上がれないオルグにすがって、マリアは泣いていた。

 何だ。坊……お前、確かにマリアの子だったんだな。

 オルグは鈍い痛みと共に、意識を手放した。



「……死んで、ないのか?」

「許さぬと言っただろう」

 オルグは奇跡的に死ななかった。王宮の医者が、力を尽くしてくれたらしい。紛争地帯の医療体制なら死んでいただろうが、さすが国で有数の医者たちだ。

 オルグが目を開けた時、部屋にはフリードがいた。書類が運び込まれいるので執務はしていたようだが、ほとんどオルグの側にいたらしい。

「坊、俺についてて良いのかよ? 公務とかさ」

「心配ない。婚約者殿から、“表情も取り繕えないなら、表に出ることは許しません。新しい王太子は、護衛の安否も気にするほど慈悲深いと噂を流しますので、その通りにしていてください”と言われている」

「ははっ、そりゃ頼もしい婚約者様だ」

 フリードの目は赤くなっていた。オルグは医者の診察を終え、少しの休養で回復するだろうと判断される。医者が去ってから、フリードは真面目な顔つきになった。

「オルグ」

「何だ?」

「私は、一生の後悔をする所だった」

「何だよ、大袈裟だな」

「お前を父と呼ぶ前に逝かせてたら、きっとこの先ずっと引きずった」

「……なら、一度呼んだらもう後は用済みってか?」

 フリードが目を見開く。オルグはニカッと笑って、その頭を乱暴に撫でてやった。フリードはむっとした表情で、それでもオルグの手を受け入れている。

「……父さんは、時々私に辛辣だ」

「悪い悪い。お前にそう呼ばれるの、存外悪くないが照れくさくてな」

 フリードの口が引き結ばれた。こいつの泣きそうな顔は、珍しい。

「何度も呼ばれるために、まだまだ俺も死ねないな」

「当たり前だ。私が暗君になったら、父さんが引導を渡すんだろう」

「賢妃陛下か、それ話したの? 参ったな、俺はもうそんな気ないのに」

 お前はもう、俺にとって命より大事な息子だからよ。

 ぽたりと、水滴がフリードの膝に落ちる。耐えきれない嗚咽を押さえるために口を覆ったフリードを、穏やかな気持ちでオルグは見ていた。

 マリア。俺はまだ、こっちにしがみつかなきゃならないらしい。向こうにいったら、お前の……俺の、誇らしい息子のことを話してやるから、堪忍な。

 マリアを失ってから、幾年も経て──オルグはようやく、まだ生きていようと心から思えた。

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