第二章3 『歩兵と執事』
雨は止み、雲の隙間から光が差し込み始めていた。
アルトはまだ私を抱きしめたままだ。
胸に感じる彼の温もりと、濡れた衣服の冷たさ。心がぎゅっと締め付けられる。
「アルト…」
そっと呟くと、彼の瞳がゆっくりと私を見る。
「シグレ、大丈夫か……?」
微笑むその声に、思わず胸が熱くなる。
その時、後ろから低い声が響いた。
「……君たち、こんなところで何をしている?」
振り返ると、赤い外套の男――バトラーが立っていた。
私は今の状況を顧み頬が赤くなった。
「ち、ちがくて…!これは、……その…。」
あまりの恥ずかしさに口ごもる。
するとアルトが爽やかに笑った。
「あはは。バトラー、シグレって可愛いだろ。」
「な、何言ってるのよ、アンタ…!」
「……惚気に私を巻き込まないでくれ。」
バトラーが溜息をつく。
なんだかすごく恥ずかしい。穴があったら入りたい気分だ。
「そのままだと風邪を引く。…来い、シャワーと替えの服ぐらいは貸してやる。」
そう言うと赤い外套を翻し、書物庫へと戻って行った。
私とアルトはどちらもずぶ濡れでお互い顔を見合わせ笑う。それからしばらくして、バトラーを追いかけるように書物庫へと向かった。
書物庫の奥には簡易のシャワー室が設けられていた。書物庫にシャワー室があることを疑問に思いバトラーに聞くと、長時間の研究に耐える学者たちのためだと言っていた。
そこは、しっかりと整備されていてカビや汚れはなかった。シャワーの温度も適温で快適に使えた。
気分よくシャワーを浴びそのまま渡された服に着替える。黒色のワイシャツは私には大きく、袖を余らせた。
「……これでいいのかな。」
備え付けてあった鏡を見ながら呟く。少し不格好だが、仕方ない。
ワイシャツをぎゅっと胸元で整え、深呼吸をひとつ。
「よし…戻ろう。」
濡れた髪はまだ少しひんやりしているけれど、胸の奥のもやもやした気持ちが少し落ち着いていく。
そっと書物庫の扉を開けると、アルトは机の横に立って、私の方を見ていた。
「シグレ…戻ったのか」
声に少し安心したような響きがある。
私は小さくうなずき、ぎこちなく笑う。
「うん、ちょっとさっぱりしたよ」
アルトはにっこりと微笑むけれど、その目線は私と合わない。何処か明後日の方を向いている。
「……アルト?」
「い、いや、その………すまない。」
よくわからないが謝られた。アルトは若干顔が赤くなっていた。
すると、本を読んでいたバトラーが顔を上げた。
「その辺にしておけ、アルトはまだそういうのに慣れてない。」
「そ、そんなことない…!!
……大体、君は俺のことなにも知らないだろう。」
その言葉を聞き、本を閉じて肩をすくめた。
「…何も知らないのは君の方だ、アルト。私はほとんどの候補者の情報を把握済みだ。
例えば君なら、年齢は18、身長176cm、体重62kg、称号はポーンで既にナイト、リージェントと接触済み。
一家の長男であり、下には年の離れた弟と妹がいて心配だからと妹の初デートを尾行しーー」
「ーーわー!!わかった!わかったよ!!俺が悪かった!」
「……フンっ。私の情報網をなめないほうがいい。王戦は情報が武器になる。覚えておけ。」
アルトは「ぐぬぬ」と悔しそうな声を上げた。それにしても、バトラーの情報網には驚いた。アルトの反応的にどれも合ってるのだろう。
(……初デートの話は少し気になる、あとで聞こう。)
「さて、私は君達を助けたんだ。対価を支払ってもらわなければならない。丁度いい、ずっと探していたんだ。」
そうすると、バトラーはじっと私たちを見つめた。
「同盟を組め。」
「……同盟?」
「あぁ、そうだ。既に組んでいる候補者もいる。そこの警戒ともう一人、個人的に潰しておきたい奴がいる。」
「なるほど、でも俺らが協力する理由には少し欠けるな。確かに対価を払うことは必要だ。
だが、怪我一つでそこまで協力できない。俺達の利点が少なすぎる。」
「もちろん、それは分かっている。だから、必要な情報を提示しよう。何でも聞いてくれ」
おずおずと手を挙げる。
私は今までずっと思っていたことを聞いた。
「あのさ、私そもそも王戦のルールとか知らないんだけど教えてくれない?」
「……君、教えてなかったのか。」
「し、仕方ないだろう…。時間がなかったんだ…。」
バトラーは少し間を置き、視線を遠くに向ける。
「まず、王戦には“紋章”と“祭壇”が関わる。
紋章――それは“王印”と呼ばれる、生まれつき候補者の体に刻まれる印だ。
王印を持たぬ者は、そもそも戦いの場に立てない。
——いわば、王を目指す資格の証だ。」
私は手の甲にある王印に触れる。
「俺のは首にあるぞ。」
誇らしげにアルトが言った。
「そして祭壇――戦いの終着点。
ペンダントを嵌めれば儀式が動き出す。
だが、それだけでは足りない。
王候補者と鍵、二つの王印が揃ったとき、
祭壇は真に応え、王への扉が開く。」
「…そうなんだ。」
「他に、質問はあるか?」
アルトが手を挙げた。
「はい!君が警戒する人物ってのは誰なんだい?」
場の雰囲気が冷たくなった。
「ルークだ。君達も知っているだろう。」
ルーク。前、アルトから説明された王候補者の一人だ。
「ルークのことはあまり知らないな。俺の耳に入ってくる話はナイトとリージェントのことばかりだ。他の候補者のことは聞きかじりの知識しかない。」
「そうか、なら私が実際に相対したときのことを話してやろう。」
少し間を置き、話し出す。
「ルークは普通の候補者じゃない。戦闘狂、というより……手がつけられない、危険なタイプだ。力だけじゃなく、戦い方が狡猾でね。」
私は思わず息を飲む。
「……狡猾……?」
バトラーは少し眉を寄せ、真剣な目で続ける。
「力が強いだけならまだ対処はできる。
しかし奴は、自分より強い者を見極めるために、戦う手段を選ばない。臣民のことなどお構いなしだ。酒を口にしながら三節棍を振り回す──手段も手加減も知らない。」
アルトが小さく唸る。
「……なるほど。こういう危険人物は、早めに手を打つべきってわけか。」
「そうだ。利害が一致するなら、同盟は自然な選択だ。どうする?」
「…わかった、俺も手を貸すよ」
「あぁ、いい選択だ。」
同盟を示すように二人は握手をした。
――そんな様子をきり裂くように何処からか爆発音が響いた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
次話は、ナイトであるヴェインが出てきます。そして、新たな敵ルークとも対峙します。
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