第二章2 『覚悟の共鳴』
時計塔の内部は、朝とは思えないほど薄暗かった。
高窓から差し込む光は、白く濁っている。
アルトはまだ眠ったままだ。
「……アルト。」
彼の体を抱きしめ、細い金色の髪を撫でる。アルトの傷は既に血が止まっていた。
肩にかけていたマントが切れ、血に染まっていた。その光景を見るとさっきまでの自分を思い出す。
アルトが剣を振るたび、私は一歩も動けなかった。自分の無力さが胸を締めつける。
「……私の、せい…。」
何度も自責の念に駆られる。アルトが私を庇う光景が脳裏にこびりついて離れない。
そんな時アルトの指がわずかに動いた。慌てて呼ぶと、アルトはゆっくり顔を上げ、私を見るとふっと表情が和らいだ。
「…シ、グレ。無事か……?」
第一声は、それだった。
自分のことじゃない。
私のこと。
喉の奥が熱くなる。
「っ……アンタこそ……!」
「……俺は、平気だ。その様子だとシグレも大丈夫そうだな。」
アルトは体を私に預けたままこちらを見て安心させるような微笑みを浮かべた。
その様子に思わず唇を噛んだ。
――時計塔を出ると、曇天の空から細かい雨が落ち始めていた。
濡れた石畳を踏みしめながら、私はアルトの腕にそっと手を添えた。
アルトは自分が何処に連れて行かれるのかよくわかっていなさそうだったが、とりあえず私に着いてきてくれた。
「……このまま歩けるかな。」
アルトからの返答はない。呼吸することさえ苦しそうにしている。彼を支えながらリージェントの言っていた書物庫を目指す。
書物庫へ行けばきっとアルトの体調も良くなる。その一心で雨の中進み続ける。
雨の冷たさが、胸のざわつきとぴったり重なった。
町外れの道を進むにつれ、家々の灯りは少なくなり、周囲の景色は灰色に沈む。
そして視界に現れたのは、崩れかけの石壁と、屋根が半分抜け落ちた古い書物庫だった。
中に入る直前、ペンダントが一瞬光った気がした。
扉を押すと、軋む音とともに埃の匂いが鼻を突く。中は暗いが、どこか静かで整った空間だった。
私は小さく息を呑んだ。
しかし、ここがリージェントの言った「気難しく扱いが難しい人物」がいる場所。足を恐る恐る踏み入れていく。
足元の埃が舞い、古い本の匂いが鼻をくすぐる。
背筋をピンと伸ばし、私は深呼吸をする。
奥の影が、かすかに動いた気がした。思わず身構える私に、アルトも警戒の色を浮かべた。
「…シグレ、気をつけろ。相手は相当な手練だ。」
肩をすくめ、冷たい目で見下ろす男。吐き捨てるように言った。
「全く、結界を張っていたというのに入ってくるとは流石鍵といったところだろうか。」
上背がある屈強な男だった。
七三に分けられた髪は、自然に額にかかり、少し無造作だ。
瞳の緑色は白金寄りのブロンドの髪を引き立たせているようだった。
「アンタは、誰?」
「相手に求めるのならまずは自分からだろう…。」
「私は、シグレ。……アンタは?」
「私は……。」
一瞬、言葉を選ぶように視線を伏せる。
「……バトラー、と呼べばいい。」
フン、と鼻を鳴らし、視線を逸らした。
バトラー。アルトが言っていた王候補者の称号の一つのはず。こいつ、あんなに偉そうなこと言っといて何で本名言わないのよ。
すると、そんな私の心を読んだようにアルトが不満そうな声を漏らした。
「…君、あんなに偉そうなこと言っておいて自分は称号を名乗るってどうなんだい……。」
「うるさい、君には関係のないことだ。」
仕立ての良い赤の外套を翻し、そっぽを向いてしまった。胸元にある銀の紋章が光り輝いた。
「それで、君達は用があって来たようだが私は王戦中に他の候補者と関わるつもりはない。お引き取り願おうか。」
何処からか短剣を取り出しこちらに向ける。
私達を追い出すようにジリジリと寄ってくる。
「ま、待って!私達“王候補者リージェントの紹介”で来たの。ここに来ればアルトの怪我が治せるって……。」
リージェント、と言うとバトラーは嫌そうな顔をした。
「………いいだろう、着いてこい。」
短剣をしまいこちらに背を向け奥へと歩いていく。
奥へと進むとベッドと机と椅子だけがある簡素な部屋があった。バトラーが椅子に座りアルトをベッドに下ろすよう伝えてくる。
「この怪我なら完治には2、3日かかるだろう。怪我はすぐに治せるが、魔力不足が深刻だ。」
バトラーは手際よくアルトを診ていく。
「…治るのね。よかった。」
そう言うとアルトがこちらを見て少し笑った。
「助かったよバトラー。…これで、シグレを守ることができる。」
その一言に言葉が詰まる。
しばらくの間の後私はずっと思っていたことをアルトに問いかけた。
「……なんでアルトはそこまでして私を守ろうとするの?私は、アルトに何もしていないのに…。」
「俺がしたくてしてるんだ。君に何かしてほしいとかじゃない。ただ、君を守りたい。」
「……私が、王選の“鍵”…だから?」
「…は?」
目が熱くなる。鍵だ。今まで会った候補者は全員私のことを鍵と呼ぶ。私が王選の鍵。だから、アルトも私のことを守るのだ。だったら…
そう思わずにはいられなかった。
「王選の鍵が欲しいなら私のことなんかとっとと殺すなりなんなりすればいいじゃない…!こんな役立たず生かしといて何にもならないよ!」
こんなの八つ当たりだ。自分が何もできなかった怒りをアルトにぶつけてる。それでも、止められなかった。
そんな自分も嫌で嫌でたまらない。
「守らなくていいよ、そこまでして守らないで……。私みたいな足手まとい、アルトのためにもいないほうがいい。」
私は走って書物庫を後にした。アルトが何か言っていたが聞きたくなかった。背後で椅子が軋む音がしたが振り返らない。
自分が情けなくて仕方ない。
いっそのこと、このまま消えてしまいたかった。
雨の中走る。来たときは小雨だった雨が今や滝のような勢いになっていた。ゴロゴロと雷鳴が轟いている。
お気に入りのヘアセットや制服が汚れるのも構わず走り続ける。
しかし、泥濘んだ地面に足がもつれ転ぶ。頬から流れる雫はもはや何なのかわからない。
転んで少し頭が冷えた、一度立ち止まり、荒れた息を整えながら、自分がさっきアルトに向かって吐いた言葉を思い出す。
胸がぎゅっと痛む。怒りや焦りのままぶつけたけれど、あの時の言葉は酷すぎた――。
「……私、言いすぎたかも……」
足元の水たまりに映る自分の顔は、涙と雨でぐしゃぐしゃだ。
アルトのことを思うと、胸が苦しくなる。あの優しさに、報いるどころか傷つけてしまった――。
もうアルトと一緒にいれない。あんな酷いこと言ったんだアルトも私のこと嫌いになったに違いない。
思考が気分とともに下がっていく。すると、遠くから聞き慣れた声がした。聞くだけでこっちまで明るくなれるような温かい声。
慌てて立ち上がり逃げる。彼はもう私の傍にいたらいけない。
「シグレ!待ってくれ!!シグレ…!!」
振り絞るような声がした。だけど、振り返らない。そのまま真っ直ぐ走る。
声が段々と大きくなっていき、ついに直ぐ側でした。
「シグレ…!!俺の話を聞いてくれ!」
息も絶え絶えで私の手首を掴んで離さない。
足元がふらついているのがわかった。それでも、その手は強く――。
「離して…!!」
「…離さない。」
彼の凜とした声が響いた。
「なんで、どうして…?私、アンタに酷いこと言ったんだよ…。
これ以上、私と一緒にいたらアンタのこともっと傷つけちゃう。……もう、私に関わらない、……でーー」
言葉の途中、アルトに抱きしめられた。その腕は不器用な程に強かった。温かい人肌のぬくもりは冷たい雨のなかで心強く感じる。
胸の奥がじんと熱くなった。
「君が、どうしてそう思ったのか、俺はわからない。でも俺が君を守るって言ったのは君が鍵だからっていうのは関係ないよ。」
青い瞳が私を見つめる。
「俺の隣にいてほしい。」
私の頭を撫でながら優しい表情を浮かべた。
「そのために、君を守りたいんだ。」
「…バカ。アル、トの、……バカっ。」
その優しすぎる言葉に泣きじゃくる。言葉がつっかえて上手く話せない。
アルトはそんな私に何も言わず抱きしめてくれた。
◇◇◇
アルトは、雨で濡れたシグレをしっかりと抱きしめた。彼女の小さな肩に手を回し、頭を撫でる。
泣きじゃくる声が、雨音にかき消されるようにかすかに聞こえた。
(俺が必ず、シグレを守る)
心の奥で固く決意し、胸の奥でひりつくような熱を感じた。
ふと首元にある小さな紋章に視線が行く――普段は目立たない、銀色に輝く王候補者の証。
その紋章が、シグレの胸元のペンダントと淡く反応しているように思えた。
雨の水滴に反射して、一瞬だけ煌めいたように見える。
アルトはぎゅっと息を吸い、目を閉じた。
この反応……まさか、シグレと何かで繋がっているのか。まだ理由はわからない。けれど、この感覚は確かに彼女と俺を結んでいる。
シグレはそれに気づいていないようだった。濡れた髪を手で払いながら、ただ立ち止まって小さく震えている。
アルトはそっと彼女を抱き直し、胸の中で思った。
(何に代えても――この手で守る。)
雨の中、二人を繋ぐ微かな光と熱。
アルトは誓った――
この先、何があろうと、守る。
そう胸に強く誓った。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
5話は“戦い”ではなく、“覚悟”の回でした。
次回から物語は少しずつ動き出します。
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