第5話 勇者
リゼのカフェはいっそう繁盛していた。もともとリゼの人柄で客を繋いでいた店だが、最近働き始めた店員の評判もまたいい。リゼの人柄に寄ってくる客だけあって店は客層が良く、店員の雰囲気ともマッチしていた。
その店員とはモルガナだ。二度目の来店でどこで働いているのかリゼにしつこく聞かれ、無職と言うと誘われたのだ。モルガナはそれをきっかけに王都に部屋を借りて引っ越し、そこで暮らし始めた。
夕暮れの塔はしたがって今は無人。
この塔の存在は、モルガナにいくつかの記憶を呼び戻した。あまりに長い螺旋階段を登る途中で足を踏み外し、落下の最中に空中浮遊魔法を思い出した。
水を上まで運ぶの大変で、折角用意した盥をぶちまかした際に怒りで水の生成を思い出した。
肉が生焼けのままで火が消えた際に炎の魔法を思い出した。
記憶が呼びさまされるたびに気分が悪くなった。そうだ、自分は所詮悪の魔女。黒い悪の魔女だ。
塔を出たい。
それは魔女が長い間抱えていた願いだったのだ。塔を出て街で人々と暮らしたい。今ならそれが出来る。
「よお、モルガナちゃん」
カーターとアベル。今日は非番のようだ。気安い感じで店内に入ってくる。
「こんにちは。一時期増えたモンスターですけど、最近はどうですか?」
「いや、何があったか知らないが、今度はめっきり見なくなったよ」
そうだろう。北の山には黒い魔女の魔力がその存在を誇るように溢れている。
「ふっふっふ。そうですかあ」
「?」
カーターとアベルはもちろんモルガナが魔力を継ぎ足したことを知らない。
「しかし、この間まではついに魔王がまたやってくると噂になってたからなあ」
アベルが言った。また、とは言ったが、実際に魔王を見たものはいない。ただ疫病の蔓延やモンスターの大量出現の際に魔王が来たと噂されたことが過去に会ったのだ。
ちなみに疫病は魔王ではなく黒い魔女がもたらしたとも言われ、これの原因とされるものは諸説ある。
話を戻すと、王都からも見える黒い煙を吐く火山。そこに魔王が住むという。定期的に起こる天変地異。それは魔王の仕業だとも言われている。
キノコの供給が安定した今も、モルガナのあの日のレシピはこの店の看板料理となって注文され続けている。この料理もまた店の繁盛の一因だ。。モルガナがその料理を盛り付けた皿を持ってきてアベルの向かいに座る。
「魔王って?」
「勇者セリオンを返り討ちにして殺した魔王バルザルドだよ」
セリオン・・・。前に聞いた気がする。たしかセリオン・ラーカムだ。くせっ毛で瞳の大きな好青年。勇敢で優しい若き勇者。容姿までもが蘇る。そう。聞いたんじゃない。
会ったことがある。
失った記憶の一部は、例えば不意の単語ひとつを耳にする、そんなきっかけで断片が蘇り、それを手繰る思考を巡らせていくうちに、軋むようだった勘合がいつかパチンと嵌るのだ。
100年前だ。あの時私はすでに100歳、魔法で寿命を延ばすことに懸命だった老婆。王都にはその年疫病が蔓延した。そんな時、魔王に挑む若者に会ったのだ。
だがセリオンは魔王に敗れて死亡し、その日火山が噴火した。しかしほどなく王都の疫病は終息し、セリオンが命と引き換えに王都を救ったのだと、そう信じられている。
夜の王都の上空を魔女が飛んでいく。15歳の若き魔女だ。向かうは森の泉。そこは1000年の間にどのように変化しただろうか。勇者の卵、セリオン・ラーカムと出会った場所。老婆にあのような場所で遭遇し、あの好青年はどう思ったことだろう。
いつしか満天の星に抱かれ眠ってしまったのだろうか。目を覚ますと木々の隙間から毀れる陽光がまぶしい初夏の朝だ。小鳥たちの唄声に、湖に口を寄せ水を飲む鹿、木々の上で遊ぶリスたち。
「よかった。目が覚めたんだね」
「え?」
そこには4人の男女が焚火を囲んでいた。自分には毛布が掛けられていた。
「あ、あなたは……」
そう。この男だ。100年前の勇者。この男こそ。
「ボクはセリオン。セリオン・ラーカム。キミは?」
「あ、あの、モルガナ・ノクスヴァレインです」
恥ずかしい。皺くちゃの顔を見られるのが恥ずかしい。
不思議なことだ。頭の中にあるのはたったそれだけ。
100年前の記憶のヒダが、今の自分の容姿を勝手に決めつけていた。老婆の姿であろうと。もっと他に思うことがあるだろうに。
いやしかし?
自分の手の甲。ふっくらしている。腕だって瑞々しい肌だ。
「か、顔を洗ってきます」
もっといろいろあるだろうに洗顔を優先した。正しくは確認を優先したのだ。
湖面に映る自分の顔を。
安堵。事態はもっと複雑だろうに最初に覚えた感覚は安堵だ。湖面には10代半ばの自分が写っている。安堵はやがて冷静をもたらす。なぜ今の世にセリオンがいるのか。
だって彼は100年前に死んでいる。
それはこの目で見たから間違いない。
いやでもおかしい。魔王討伐に同行したのではない自分がなぜセリオンの最後を知っているのだろうか。




