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第2話 入っちゃえ

 見上げるはそびえる王城の城壁。蜂蜜色のくすんだ石が幾層にも積み重なるその壁は、風雨に削られ、いたるところが柔らかな丸みを帯びていた。しかし積み重ねた時代が皺として刻まれたかのように、小さなひび割れが無数に見て取れる。その城壁に囲まれた街の最も大きな出入口、南の門は荒野と文明の境界線。巨竜の牙のように落とし格子が上から構えている。

 事故で落ちてくることなど無いのだろうか。考えるだけでゾッとした。そこで守衛のカーターに誰何された。


 覚えている。こいつはカーターだ。

「おいガキ、どこから来た?」

「カーター、私だよ」

 そう返事をしかけて口を噤む。容姿が違う。見た目が、年齢が別人だ。そして新たな発見があった。カーターはいつも通りだ。何の変化も見て取れない。最後に見た時と全く同じに見える。


 つまり――過去には戻っていない。

「カーター、いきなりガキ呼ばわりは可哀そうだろ?なあ、お嬢ちゃん」

「あ、う……」

 迂闊にしゃべれない。そう思った。会話に割り込んできたこの男も守衛の一人で勤務中は門の付近にいるから顔見知りだ。カーターの同僚アベル。この二人は悪友コンビで王都の警備をしているくせに酒場で騒ぎをこしたり、酔っぱらって店を壊したりと臣民に迷惑を掛け続けているどうしようもない奴らだ。


「あ、あの、私は先月引っ越してきた……」

 そこで一瞬詰まる。ちくしょう、名前を考えていなかった。ここでスラスラ出てこないのは不自然だ。怪しまれる。

 魔女は焦った。宮廷に出入りして彼女はその名であるウィステリアを名乗っているから、それと同じ名は目立つ。ここは偽名を使いたい。意味があるかどうかはよく分らないが、そう言う心理状態になっていたのだから仕方ない。なにしろ過去には戻っておらず、今がどういう状況なのか判断がまだつかないのだ。


 そして脳裏に浮かんだ名前を口にする。

「モルガナ・ノクスヴァレインです……」

 しまった。本名を言ってしまった。黒い魔女はウィステリアと名乗っていた。ちなみに人と滅多に会うこともない白い魔女もまたウィステリアと名乗っていたがこちらは余談だ。


 まあ、この本名から黒い魔女が連想されることはあるまい。

「さっき街の外が見たくて、出てしまったの」

「そうか。街の外は危ないからな。早く戻って」

 その言葉を好機と捉えてダッシュで街の中に入る。やはり何も変わっていない。重厚ながらところどころ削られて丸みを帯びた石畳は長い月日とそこを歩いた人の数、つまり歴史の厚みを刻み、そして息づいている。


 その左右に並ぶ町並みは主に石を組み上げた骨組みに白漆喰の壁、そして木組みのハーフティンバーのこげ茶が落ち着きと鮮やかさの融合した模様となって街に彩りを添える。ところどころにからまる蔦に窓辺の香草。並ぶ赤茶の瓦屋根は色むら。いつもと変わらぬ見慣れた王都だ。


 お金はあった。それもたんまり。黒い魔女は王宮から給金を支給されていたのだ。モルガナは記憶にある黒い魔女時代からのお気に入りのカフェに入り、はちみつとライ麦パン、キノコの燻製そしてゴーダ風のハードチーズに干し肉のスープを注文する。よく似た別世界。そんなこともなさそうだ。いたって変わらぬ日常がある。

「参ったな……」

 いくつかの可能性を探るがどうもただ若返っただけ、というのが一番矛盾のない結論だ。依然この王国はいずれ来るだろう天変地異に怯え、周囲を徘徊する魔物の脅威に晒されている。


 モルガナはキノコの燻製をもう一皿追加注文し、さっきは粗塩、今度はオイルで食べるのだった。

「お嬢ちゃん、キノコは好きかい?今日でよかったよ、明日からしばらくは値が上がりそうなんだ」

 カフェを切り盛りしているおばちゃんがモルガナにそう話しかけた。リゼと言う名のおばちゃんで名前も知ってはいるが、ここでは初対面を装うしかない。


「へえ、原因は何でしょう?もしかしてモンスターですか?」

「そうよ、北の山で野草採集の人たちが今朝、襲われてね。さっき救助されて運び込まれたんだけど、しばらく入荷量が激減する見込みなのよ。キノコの加工品も状況を見て出荷が絞られるから、値が上がりそう」

「そう……」

 その言葉に中に失った記憶の一部に何か作用するものがある。


 北の山はモンスターが来ない。それは黒い魔女の魔力を恐れてのことなのだ。黒い魔女が魔力を放つ金属の櫛を山中に差しておいた。その魔力が昨晩喪失したのだろう。そのことをモルガナは思い出した。後で魔力を再注入するか、それとも魔力を放つ何かを置きに行くか……。そうすればモンスターはまた近づかなくなるだろう。そこで再び思った。

 私って魔法使えるんだっけ?


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