第10話 泉の聖女とな?
メールガムの遺体が黒い魔素を立ち昇らせている。魔人の特徴だ。魔人は死ねばこのように魔素を立ち昇らせる。肉があるうちはずっと。放置しておけば季節にもよるが半年くらいは白骨化するまでずっとこの調子のままだ。
この日はここで探索を切り上げ、宿に戻った。その途中、広場には例の甕を抱えた聖女の像。あの像はおかしい。モルガナはベッドの上でそう思いなしていた。肩を出した格好に抱えた甕。そんな姿をかつて見た気がするが、記憶と細部が違う。
モルガナがこの街を訪れたのはまだ10代の頃だ。モルガナの師匠は弟子である彼女のことを天才だと言った。その当時は夜明けの塔も、また日暮れの塔も無かった。師匠は天才である弟子に対し、この地に行って住民の悩みを解決してこいと言ったのだ。
師匠の顔は思い出せない。ただ白っぽかったとだけしか。だが不意にあの村の記憶が蘇る。
そこは小さな村だった。時折やってくるモンスターに生活を脅かされる小さな村。なぜもっと安全なところに移りすまないのか。
理由はここの住民は老若男女例外なく皮膚病を患っていた。治らない病だ。薬でも魔法でも完治しない。
自己免疫疾患を原因とするもので、この頃には免疫抑制をする薬は無かったし、治癒魔法も一時しのぎでしかなく再発を抑えることは出来なかった。
魔法使いであるモルガナは途方に暮れた。
魔法による治療を試みた年齢の近い年頃のエスタ。一時的に治癒できても、すぐに再発した。
私だって普通に生きたい、友だちもたくさんほしいし、恋も。エスタはそうボソッと言って泣いた。
「感情の無いあなたにはわからないよね」
不意にその言葉が胸を抉る。自分が言われた記憶。そうだと思うが前後がはっきりしない。
あの泉の聖女はどんな格好をしてたんだっけ・・・?泉ってどこだっけ?
記憶を手繰ろうとしながら、いつしかモルガナは眠りの世界に沈んでいくのだった。
翌日再び一行は昨日のあたりを見に行く。魔人メールガムの死体が相変わらず魔素を撒き散らしている。しかしこれは人間同士の殺人ではないという証拠でもあるのだ。
メールガムの死の報せは魔王に元に届いているはずだ。だが昨日と特に変わった様子はない。周辺は岩場がごつごつしており魔王城に関する形跡も情報も、何も見つかりはしない。
「こんな麓にはねえだろ。だが、魔王城は存在する。昨日の魔人がその証拠だ」
ガランの言葉に一同頷く。魔王はいるのだ。魔王の側近がいるのだから。
「きっと標高の高いところよね。こんな麓にあるわけないもの」
モルガナが呟く。
「まあそうなんだが、登山口的なものがないと、魔王も不便だろう?」
なるほど。それを探すのか。
なにしろ側近も下りてきたのだ。そういうルートがあるはずだ。いやでもおかしい。魔王城は洞窟から入るはずだ。断片的に記憶が蘇る。魔王城に行ったことはない。だが魔王城に繋がる入口は見たのだ。確かに見た記憶がある。
「ねえ、セリオン。この辺に温泉ってある?」
「いや、ないと思うけど」
そうだろうか。一行は日没前に街に戻り、セリオンが宿の主人に温泉の有無を聞いてくれた。
「ああ、80年くらい前に温泉が湧いて長い間、名物だったと聞きますね。王による温泉禁止令が出て廃れたらしいですよ」
温泉はいまも貴族の社交場として存在する。しかし一時良俗公序の建前から庶民の利用できる温泉は弾圧を受け、法律でも禁止されたのだ。
宿の主人の言う、80年前だという出来事が蘇る。そうか、あの日は今日から見て80年前なのか……。以前数えた時の計算に合致する。本来はその80年の間にここは火山の溶岩に呑みこまれるのだ。しかし、師匠はなぜあの時、この地に行くよう言ったのだろう。
当初は皮膚病患者の村だから。そう思ったが魔法で治せない。もしかしたら魔法の活用法、または新しい魔法を生み出すことを期待されたのではないか。それともこの地には特別な魔力でもあるのだろうか。
掌を地面にかざし地脈を探る。魔力の活脈を探す。
「駄目だ、何も分からん」
だが二か月ほど経った日、患者のエスタの泣くのをなだめていた時、地面のごく小さな揺れを感じた。
地震だが、通常のそれとは何か違う。
魔力の活脈か。掌をかざす。掌に大地の鼓動が、血流が伝わる。それは魔脈を通じてエネルギーの流れる気配だ。モルガナは長老たちに相談した。地面に穴を開けたいと。
地面を掘る。長老たちは一時的とはいえ、魔法で治療の効果を発揮したモルガナを信用していた。村人は一丸となって穴を掘った。人力で引っ張る鉄の杭を魔法でさらに引き上げ、一気に岩盤に叩きつける。土嚢にして土を運び出す。モルガナはいつも髪の毛まで泥まみれだ。杭を打ち続け、やがて巨大な振動。間欠泉のように噴き上げたもの。それは温泉だった。
温泉には皮膚病の治癒効果があった。村人の症状は次第に治って行き、一方町は温泉で旅人が訪問するようになった。
温泉の聖女。モルガナはそう呼ばれた。それは事実なのだ。
しかし、今そう言う伝承は泉の聖女という呼称に置き換わっている。だがその聖女の伝承は、それが発生した時期も、起こった出来事も、モルガナのそれに重なる。いつの間に泉の聖女になったのだろうか。モルガナは当時を思い出しておかしくなる。
あんな熱いお湯、甕でなんか運べないって。
そしてもう一つ、出立前にやったことを思い出した。地下の温水が流れたことで火山の麓に大きな地盤沈下の穴が開いたのだ。
そこに魔人はいた。お互い不意の遭遇にギョッとした。こいつは魔人。幼きあの日、知識と経験の上書きを重ねながら少しずつ失っていた直感を、人生のどの段階よりも深く具えていたあの頃。モルガナは相手の正体を看破した。
「あ、あの、この穴、塞いでもいいですか?」
恐る恐る魔人に話しかけるモルガナ。
「あんたは?」
「ひいい……。そうですよね、名乗る必要がありますよね。あの、張本人です。この穴を開けた……」
「そうか。これは俺たちやこの先に住む魔王様にとっても困る。人間の居住域と気軽に往来する気はねえからな」
「では塞いでも?」
「できならそうしてくれ」
「助かります!大地よ、再生の力よ。崩れし礎、蘇らせん!アーセナルウィンド」
地面に穴を開ける魔法は知らないが、穴を開けた地面を埋める魔法なら知っている。
「おお、おまえ、すげえな」
魔人は感嘆してそして去って行った。
そうだ、魔人に会った。だが今思い返すと不思議だ。当時、恐怖と言う感情ではなく、怯えを演じなくてはならない、そんな感覚だったように思うのだ。
感情の無いあんたにはわからないよね。
あの日のエスタの言葉を思い出せば、突き刺さったままそれは今も抜けない。




