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学校帰りの駅のホームで名前も知らない美少女と二人きりで過ごす話  作者: 剃り残し


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 奇跡というのは、得てして日常の隙間で発生する。


 購買の人気焼きそばパンが最後の一個だけ売れ残っていた。


 厳格な数学教師がチョークをへし折って授業が30秒間中断した。


 そして……校内を支配する「絶対零度」の氷が一瞬だけ融解した。


 今日の昼休み、僕は廊下で例の先輩とすれ違った。彼女はいつも通り、友人の女子生徒たちと一緒にいながら、しかし誰とも周波数を合わせることなく歩いていた。


 通常であれば、彼女の視界において僕は「廊下のシミ」か「移動する障害物」として処理される。


 視線が合うことなどあり得ないし、もし合ったとしても、そこには感情など一切乗っていないはずだった。


 けれど、今日は違った。すれ違いざま、彼女はふと顔を上げ、僕を見た。そして、ふわりと微笑んだのだ。


 僕は動揺のあまり自分の足につまずき、危うく廊下のワックスがけされた床にヘディングシュートを決めるところだった。


 あれは幻覚か、それとも僕の脳内で発生したバグか。午後の授業中、僕はノートの隅に「スマイル」「幻覚」「疲労」といった単語を書き連ねながら、検証の時を待った。


 ◆


 17時過ぎ、草葉駅。世界の余白のような無人駅に、僕は真相究明のために降り立った。先輩は、いつものベンチにいた。


 ただ、様子がおかしい。文庫本も読まず、音楽に浸ることもなく、スマホの画面を親指で執拗にタップし続けている。BPM180くらいの高速連打だ。その形相は、親の仇を討つ武士のように鬼気迫っている。


「……先輩」


 恐る恐る声をかけると、彼女は画面から目を離さずに言った。


「話しかけないで。今、重要な通信プロトコルと戦争中だから」


「戦争ですか。相手は誰です?」


「Bluetoothの設定画面」


 彼女は画面を睨みつけながら、更に指の速度を上げた。


「私のワイヤレスイヤホンが反抗期を迎えたの。ペアリングを拒否して、『接続できませんでした』ってエラーメッセージを吐き続けてる。私がどれだけ愛情を持って充電してやったと思ってるの?恩を仇で返すとはこのことだよ」


「一度Bluetoothをオフにして、再起動すれば直ると思いますけど」


「そんな民間療法はとっくに試した。これはもう、機材側の自我の問題。AIの反乱だよ」


「ただの接続不良をSF大作にしないでください……」


 彼女はようやく指を止め、深い溜め息と共にスマホを鞄に放り込んだ。耳まで赤くなっているのが、夕日のせいではないことは明白だった。


「……で、なに?」


 彼女は気まずそうに、けれど努めて平然を装ってこちらを向いた。


「なにって、昼間のことですよ」


「昼間? 学食のAランチの白身魚フライが、先週より15パーセント小さくなっていた件について?」


「違います。デフレの影響は深刻ですけど、今はその話じゃなくて」


 僕は一歩踏み込んだ。


「学校の廊下ですれ違った時、笑いましたよね」


 世界が一瞬、静止した。カラスの鳴き声だけが空しく響く。先輩は瞬きを三回繰り返し、それからゆっくりと首を横に振った。


「……笑ってない」


「いえ、笑ってました。確実に口角が物理的な限界を超えて上昇し、眼輪筋が収縮していました。目撃者もいます。僕です」


「それは誤認逮捕だよ。冤罪。私がそんな、学校という公共の場で無防備な笑顔を見せるわけがないでしょ」


「事実は事実です」


「事実じゃない、解釈の違い」


 彼女は腕を組み、防御態勢に入った。


「いい?人間の表情筋っていうのは、感情だけで動くわけじゃないの。生理現象とか、神経伝達物質の誤作動とか、様々な要因で収縮するわけ」


「つまり、あれは痙攣だったと?」


「ん。そう。急に痙攣した」


 苦しい。あまりにも苦しい言い訳だ。あの柔らかな微笑みを痙攣と言い切る女子高生は、人類史上彼女くらいだろう。


 しかし、どうにかして微笑んでいたと認めさせたくなるくらいに、彼女の維持の張り方は可愛らしいものだった。


 案外、この人にはイジリしろがあるんじゃなかろうか、と思い始める。


 先輩はカーディガンの袖で口元を隠した。その耳は、かなり赤くなっている。彼女なりの論理武装という名の屁理屈で防御しているつもりなのだろうが、その装甲は紙のように薄い。


「……大体ね、キミがいけないんだよ」


「僕のせいですか」


「そうだよ。廊下の向こうから、いかにも『あ、いつもの先輩だ』みたいな顔で歩いてくるから」


「そんな顔してました?」


「してた。してた。パブロフの犬って知ってる?」


「条件反射の実験ですよね」


「キミは私にとってのベルなんだよ。17時を告げる時報。キミの顔を見ると、自動的に私の脳内で音楽が再生されて、それに連動して表情筋が緩むの。これは生理現象だから、私の意志じゃ制御できないわけ」


「僕は楽器の一部か何かですか」


「再生ボタンだね。一時停止機能のない、強制再生ボタン」


 彼女はため息をつき、ベンチに深く座り直した。


「でも、痙攣にしては悪くなかったですよ。可愛くて」


「なっ……ななな!?」


 先輩は突然目を見開いて椅子から立ち上がった。唇を震わせながら僕の方を見てくる彼女は、これまでに見たことがないくらいに動揺している。


「キミ! からかってるでしょ!?」


「はい。からかってます」


「……ばーか」


 彼女はふん、と鼻を鳴らし、椅子に座り直した。しかし、Bluetoothとの戦いは諦めたらしい。鞄から有線イヤホンを取り出し、物理的にスマホと接続し始めた。


「ね、キミ」


「はい」


「半分こ」


「はい」


 イヤホンを左耳につけると、先輩は「本来はね」と流す曲を探しながら話し始めた。


「ステレオ音源って、左右で音量差をつけて空間を表現しているわけ。だから、左右で分けちゃうと本来の体験が損なわれるリスクが大きい」


「そうですね」


「けど……リスクを背負ってでもしたいことって、あるよね?」


 先輩はじっと僕の方を見ながら尋ねてきた。僕が顔を熱くしながら無言で頷く。


 それと同時に先輩が再生ボタンを押した。流れ始めたのは、切なさを感じさせるとめどないピアノの旋律。


「これは……」


「『Goldwrap』。エスビョルン……なんとかって人」


「へぇ……」


「特に意味はないよ。ただただ、いい曲なんだ。歌詞はないけど」


「好きですよ、インスト」


 僕がそう言うと、先輩は顔を赤くしながらも、学校で見せたのと同じくらいに優しく微笑んでいた。


「先輩、痙攣してますよ」


 僕が指摘すると先輩は更に笑って僕の顔を指さす。


「ん。キミもだよ」


 どうやら、曲の内容に反して二人して笑いながら音楽を聴いていたらしい。


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