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学校帰りの駅のホームで名前も知らない美少女と二人きりで過ごす話  作者: 剃り残し


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8

 高校生の胃袋はブラックホールに繋がっている。


 これは比喩ではなく、生物学的な仮説だ。


 朝に食パンを詰め込み、昼に弁当を吸い込み、それでも放課後になると胃壁が「燃料をよこせ」とストライキを起こす。


 基礎代謝という名の焼却炉が、常にフル稼働しているからだ。


 17時過ぎの草葉駅。僕はその焼却炉を鎮めるために、高校を出てすぐのところにあるコンビニで調達したシーチキンマヨネーズおにぎり封を切っていた。


 パリッ、という乾いた音が、静寂なホームに響く。


 すると、隣のベンチから鋭い視線が飛んできた。先輩だ。彼女は膝の上に上品なサンドイッチのパッケージを置いたまま、僕の手元を凝視している。


「……いい音だね」


 彼女は重々しく言った。


「おにぎりのフィルムが剥がれる音は、一種の芸術だよ。人工物が自然界に解き放たれる瞬間の、解放のファンファーレ」


「ただのビニール音ですけど」


「しかもシーチキン。マヨネーズという名の油脂と、マグロという名のタンパク質が、白米という炭水化物の海で出会った奇跡の三角形」


「先輩、お腹空いてるんですか?」


 図星だったのか、先輩はふい、と視線を逸らした。


「すっ……空いてないよ! 私の胃袋はまだアイドリング状態だから」


「じゃあなんでさっきから、僕のおにぎりを親の仇みたいに睨んでるんですか」


「睨んでない」


「おにぎりを褒め称えてましたよね?」


「褒めてない」


「見てましたよね?」


「……見てないし。ばーか」


 彼女は自分の膝の上のサンドイッチをつまみ上げた。レタスとハム、そしてチーズが挟まった、三〇〇円以上する高級ラインのやつだ。


「や、それより見てよ、これ。レタスのサンドイッチ」


「美味しそうじゃないですか、サンドウィッチ」


「……サンドイッチ」


「サンドウィッチ」


「イッチでいいじゃないですか」


「や、ウィッチの方が魔法使えそうだしオシャレだよ」


 お互いに呼び方にこだわりがあり、譲らない。


 じりじりと見つめ合い、やがて先輩がふと我に返って視線をそらした。


「や……まぁ、優等生すぎるんだよね、この子は。パン、レタス、ハム、パン。この整然としたレイヤー構造が、今の私には息苦しいわけ。もっとこう……カオスでジャンクな刺激が必要なんだよ。ポスグレみたいなさ」


「贅沢な悩みですね」


 僕がおにぎりを一口かじると、先輩の喉がゴクリと鳴った。聞こえてないフリをするのが武士の情けだが、視線が痛い。野良猫に餌をねだられている気分だ。


「……一口、食べます?」


「え? 私がそんな、後輩の食べかけのおにぎりを欲しがるような卑しい人間に見えるわけ?」


「すみません、冗談です」


「や、もらうけどさ」


 もらうんかーい!


 彼女はサンドイッチのパックを開け、一切れ取り出した。


「トレードなら、資本主義のルールとして成立する」


「トレード?」


「物々交換だよ。キミのその混沌とした炭水化物の一部と、私の整然としたサンドイッチの一部を交換する。どう?」


 彼女の謎理論によれば、一方的な譲渡はプライドが許さないが、取引ならOKらしい。僕は食べかけのおにぎりを差し出した。


 先輩はそれを躊躇なく受け取ると、代わりに自分のサンドイッチを一切れ、僕の手に押し付けてきた。


「……あむ」


 先輩が僕のおにぎりにかぶりついた。小さな口を目一杯開けて、ハムスターのように頬張る。


 普段のクールな表情が崩壊し、幸せそうな表情で咀嚼している。


「……ん。マヨネーズの暴力的な味がする」


「褒めてます?」


「脳細胞が死滅しそうな背徳の味。最高だね」


 彼女は口元の米粒を指で拭うと、満足げに息を吐いた。


「はい、返却」


「え、全部食べないんですか?」


「一口で十分。これ以上摂取したら、私の血液がマヨネーズになっちゃうから」


 返ってきたおにぎりは、角が丸くなっていた。歯型、とまではいかないが、明らかに彼女が食べた痕跡がある。


 これを僕が食べるのか。間接キス、という単語が脳裏をよぎるが、彼女のさっぱりとした態度を見ていると、それを意識すること自体が自意識過剰に思えてくる。


 僕は何も考えず、彼女のサンドイッチをかじり、続いて返ってきたおにぎりを口に入れた。レタスの清涼感と、マヨネーズの濃厚さが口の中で混ざり合う。


「……変な組み合わせですね」


「セッションだよ。異なるジャンルの音が混ざり合うことで新しいグルーヴが生まれるの」


「お腹の中でリミックスしないでください」


 先輩は残りのサンドイッチをちびちびと食べながら、遠くの空を見た。


「キミさ」


「はい」


「餌付けされたとか思わないでよ」


「思ってませんよ」


「したとも思わないでよ」


「思いませんよ」


「でも……また交換しようね」


「えっ……」


 不意打ちの言葉に先輩の顔を見ると、実に楽しそうに微笑んでいた。この営みは彼女にとっては楽しいことだったらしい。


 その時、カンカンと踏切が鳴った。お腹は満たされたが、妙な緊張感で胸がいっぱいだ。


「ごちそうさま……意外と悪くなかったよ、シーチキン」


「それはどうも」


 電車が来る。彼女は乗り込み際に、ポケットから何かを取り出して僕に投げた。受け取ると、それはミント味のタブレットだった。


「口直し。マヨネーズ臭い息で話しかけられたら、私が公害訴訟を起こすから」


「配慮が行き届いてますね」


 ドアが閉まる。窓越しの彼女は、もう文庫本を開いていた。手の中のタブレットを口に放り込む。


 ミントの辛さと、微かに残るサンドイッチの味がした。餌付けされたのは、どう考えても僕の方だ。


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