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現代社会において、スマートフォンは臓器の一部とも言える。家に置き忘れた時の絶望感は、心臓を家に忘れてきた時のそれと大差ない。
世界中の人間が、手のひらサイズの板に支配されている。通知音という名の命令に従い、既読という名の監視システムに怯える。
17時すぎの草葉駅。今日の先輩は、その「支配者」を忌々しそうに見つめていた。彼女のスマホの画面には、禍々しい赤い丸が表示されているのが遠目にも見えた。
「……呪いだよ、これ」
僕がベンチに座るなり、先輩は画面を突きつけてきた。
「通知バッジですね。未読が13件溜まってますよ」
「13回も私を呼びつけてるってことだよ。何様のつもり? こっちは今、サカナクションの『ネイティブダンサー』のピアノリフを脳内再生するのに忙しいのに」
「友達からの連絡じゃないんですか?」
「クラスのグループLINE。文化祭のTシャツのデザインについて投票しろって通知が五分おきに来る。みんな指先が寂しいならベースの弦でも張り替えればいいのに。暇なの? 馬鹿なの? 死ぬの?」
「ご立腹ですね……」
彼女はため息をつき、画面を伏せてベンチに置いた。まるで汚染物質を隔離するかのような手つきだ。
ただ、僕に対して怒っているわけでもなければ、無表情なため余計な気遣いはせずに話しかけてみる。
「……そういえば」
「ん。なに?」
「僕たち、連絡先知らないですよね」
ふと、そんな言葉が口をついて出た。出会ってから一週間近くが経つ。毎日のように会話をしているのに、お互いの連絡先どころか、僕はまだ彼女の名前すら呼んだことがない。
先輩は、伏せたスマホをじっと見た後、気だるげに僕を見た。
「……交換したいの?」
じとーっとした視線に、まだ早かったか!? と内心でドキリとする。
「あー……いや、現代の高校生の付き合いとして、自然な流れかなと」
「ふふっ。確かにね。けど、キミはデジタルの怖さをわかってないよ」
「便利さの間違いでは?」
彼女は首を横に振った。
「LINEを交換するということは、この神聖な『一五分間』の価値を暴落させる行為なんだよ」
「経済の話ですか?」
「希少性の話だから当たってるね。今はさ、ここでしか会えないから、キミは私のありがたい音楽講義を真剣に聞いてるわけでしょ?」
「ありがたいかどうかは別として、まあ、そうです」
「ありがたいよね? ね???」
「あ……ありがとうございます」
言わされた感丸出しだが、それでも先輩は胸を張って「よしよし」と満足げなので良しとする。
「でさ、もしLINEが繋がってたらどうなる? 24時間365日、私たちはどこでも繋がってることになる。私が夜中の二時に『ベースの4弦が切れた絶望』を長文で送っても、キミは寝ぼけ眼で既読スルーするでしょ」
「寝てたらそうなりますね」
「それが嫌なんだよ。私の情熱が、通知の中に埋もれて『その他大勢』になるのが。ソシャゲのスタミナ回復の通知、スパムメールの通知、電車の遅延、天気。そういうものたちと同列になっちゃうじゃん」
先輩は、自分の胸に手を当てた。
「ここでの会話は、ライブなんだよ。生演奏。やり直しが効かないし、ログも残らない。だから尊いんじゃない」
「LINEは録音音源みたいなものだと」
「そ。しかも低ビットレートの圧縮音源」
独特すぎる比喩だが、言いたいことはわからなくもない。彼女にとって、この場所での会話は、単なる暇つぶし以上の「セッション」なのだ。
「それにさ」と言って彼女は視線を線路の向こう、夕焼け空に向けた。夕焼けのせいか、僅かに顔が赤く見える。
「……『今日もいるかな』って考える時間、嫌いじゃないし」
「……」
「連絡先を知ってたら、『行く?』『行くー』で終わっちゃうでしょ。その確認作業が、再会の感動を薄めるんだよ。約束がないのに会えるから、奇跡的な何かが生まれるわけ」
「ただの通学電車で……大袈裟ですね」
「人生には演出が必要なの。キミだって、セットリストが全部わかってるライブより、何やるかわからないライブの方がワクワクするでしょ?」
「それはまあ、そうですけど」
「何が起こるか分かる予知された一日より何が起こるか分からない一日の方がいいでしょ?」
「そうですね」
「何が出てくるか分からないフルコース料理がいいでしょ?」
「そうで――いや、それは分かってる方が良くないですか!?」
「ふふっ。ま、そういうことだよ」
彼女は結論が出たと言わんばかりに、スマホを鞄の奥底にしまい込んだ。
このデジタル全盛の時代に、あえて不便さを選ぶことで、関係性の解像度を上げようとしている。そんな風に理解すると彼女が拒む理由もすとんと腑に落ちた。
あるいは、単に返信が面倒くさいだけの可能性もあるけれど。
「……わかりました。じゃあ、連絡先は交換なしで」
「うん。キミがどうしても私の声が聞きたくなったら、テレパシーでも送ってよ。受信拒否するから」
「送る前から拒否しないでくれます!?」
「ふふっ。やだよー」
カン、カン、カン。踏切が鳴る。一五分間の終了合図。僕たちは立ち上がる。
「じゃあね、キミ」
「はい、先輩」
彼女は電車に乗り込む際、振り返ってニヤリと笑った。
「あ、でも安心して」
「何がですか?」
「明日は絶対来るから。新しいエフェクター買った自慢をしなきゃいけないし」
「結局、自慢ですか」
ドアが閉まり、電車が走り去る。僕の手の中にあるスマホは、何の通知も告げていない。誰とも繋がっていない静寂が、今の僕には心地よかった。
約束なんてなくても、明日も彼女はここにいる。その不確かな確信だけが、僕たちを繋ぐ唯一の回線だった。
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