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学校帰りの駅のホームで名前も知らない美少女と二人きりで過ごす話  作者: 剃り残し


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5/10

5

 天気予報士というのは、現代におけるシャーマンだ。


 彼らが「晴れ」と予言すれば市民は洗濯物を干し、「雨」と予言すれば傘を持つ。社会の行動様式をコントロールする権力者と言ってもいい。


 だからこそ、その予言が外れた時の罪は重い。


 17時。世界は水没していた。春の嵐による横殴りの雨が、草葉駅の頼りないホームを容赦なく叩きつけている。


 僕たちはいつものベンチではなく、ホームの端にある古びた待合室に避難していた。待合室といっても、アルミサッシと曇りガラスで囲われただけの、電話ボックスに毛が生えた程度の空間だ。


 定員は四名だが、今の人口密度は二名。僕と、先輩だ。密室。湿気。そして、不機嫌な美少女。最悪の密閉空間である。


「……湿度が、飽和してる」


 先輩が、曇ったガラス窓に指で数式を書きながら言った。


「100パーセントだよ。つまり、ここはもう空気中じゃなくて水中ってこと」


「物理法則を無視しないでください。まだエラ呼吸は必要ないです」


「時間の問題だよ。さっきから私の髪の毛が、大気中の水分を吸収して膨張を始めてるのがわかるから。あと10分もすれば、私はアフロヘアーの深海魚になる」


「ははっ! それはそれで見たい気もしますけど」


 先輩はジロリと僕を睨むと、自分の長い黒髪を両手で強く押さえた。彼女は湿気を憎んでいる。


 正確には、湿気によってベースのネックが反ることと、自分の髪がうねることを、親の仇のように憎んでいるんだろう。


「電車、来ないですね」


「スマホ見た? 倒木だって」


「倒木!?」


 僕の驚き具合とは対照的に先輩がコクリと小さく頷いた。


「ん。風速20メートルの風が、線路脇の脆弱な杉の木をへし折ったらしいよ。杉花粉を撒き散らすだけじゃ飽き足らず、私の帰宅まで阻むなんて、杉の木は前世でどんな大罪を犯したわけ?」


「植物に罪はないですよ……」


 運転見合わせ。再開の目処は立っていない。いつもなら、上りと下りの電車がすれ違うまでの15分間で解散だ。


 けれど今日、そのタイムリミットは消失した。


「帰り……どうするんですか?」


「ん。私はもう親に連絡した。車で迎えに来てもらうよ」


「なるほど……」


「キミはあてはあるの?」


「僕も親に連絡します」


「そっか」


 親にメッセージを送る間、雨が屋根を叩く音だけが、BGMとして流れている。


 バララララ、という銃撃のような激しい打撃音。会話が途切れると、その音がやけに大きく聞こえた。


 狭い待合室の中、先輩の制服からは、微かに濡れた布の匂いと、甘いシャンプーの香りが漂ってくる。距離が近い。


 僕は視線のやり場に困り、曇りガラスの向こうの、灰色の景色を眺めた。


「……ポリリズムだね」


 不意に、先輩が言った。


「はい?」


「雨の音。屋根を叩く音は16ビートなんだけど、窓ガラスに当たる音は3連符になってる。天然のポリリズム」


「よく聞き分けられますね」


「耳をすませば聞こえるよ。世界はリズムでできてるんだから」


 彼女は目を閉じ、指揮者のように小さく指を振った。


「風の音がシンバル。遠くの雷がバスドラム。……悪くないセッションだね。ちょっとBPMが速すぎて落ち着かないけど」


「自然現象相手にグルーヴを求めないでください」


「や、求めてないよ。ただ、分析してるだけ」


 彼女は目を開けると、ポケットから有線イヤホンを取り出した。いつものヘッドホンではない。


 彼女は片方のイヤホンを自分の耳に入れ、もう片方をぶらりとさせたまま、僕を見た。無言の圧力。


「……つけろと?」


 無言で先輩が頷くと僕は黙ってそれを受け取り、左耳に入れた。


 流れてきたのは、ピアノだけの静かな曲だった。雨音のノイズに、透明なピアノの旋律が重なる。


『Goldmund』。静謐なアンビエント・ミュージック。外の嵐が嘘のように、耳元だけが静寂に包まれる。


「……これなら、湿気に負けないと?」


「ん。乾燥剤代わり」


 先輩は小さく頷き、壁に背中を預けた。会話はない。ただ、同じ音を聴き、同じ雨を見ている。


 本来なら気まずくなるはずの沈黙が、不思議と心地よかった。彼女がここにいる。僕がここにいる。電車は来ない。それが、どうしようもなく「正解」であるような気がした。


 10分、20分。あるいはもっと長い時間が過ぎたかもしれない。ふと、雨足が弱まったその時、後ろの駐車場から車のクラクションが聞こえた。


 どうやら先輩の親が迎えに来たらしい。


「……あーあ」


 先輩が、イヤホンを外しながら大きく伸びをした。


「やっと解放される。深海魚にならずに済んだね」


「残念です。アフロヘアーの先輩、写真に撮りたかったんですけど」


「ふふっ。肖像権の侵害で訴えるから」


 彼女は鞄を持ち直して立ち上がる。


 待合室を出ようとしたその時、彼女が足を止めた。背中越しにボソリと言った。


「……まだ」


「え?」


「まだ来なくてよかったのにね。お母さん」


 雨音にかき消されそうな、小さな独り言。


「空気読めないよね。せっかくいいアンビエントが流れてたのに」


「……そうですね」


 彼女は振り返らず、そのまま駅舎の外へと歩き出す。


 ガラス越しに見えた先輩は車に乗り込んだところだった。


 もういつもの「氷の美少女」の顔に戻っていたけれど、耳にはまだ、あの白いイヤホンが刺さったままだった。


 ◆


三咲みさき! 三咲〜!」


 車が走り出すなりお母さんが運転席から名前を呼んできた。


 私はイヤホンを外して仕方なく「何?」と答える。


 バックミラー越しのお母さんの目は明らかにゴシップを狙っている人のそれだ。


「さっき、待合室に誰かといなかった?」


「さあね。誰もいなかったんじゃない?」


「へぇ……そっかぁ……」


「何?」


「何でもないよ〜」


 私はニヤニヤしているお母さんの背中に向かって「……来るの、早いんだって」と小さく呟いた。


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