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三日坊主という言葉があるように、物事は三日で飽きるらしい。
それは人類が獲得した防衛本能の一つとも言える。急激な環境変化や新しい習慣は、脳にとってストレスになるからだ。
だからこそ、熱しやすく冷めやすい性質は、平穏な日常を守るための安全装置として機能している。
三日目を迎える今日あたり、先輩が駅にいない可能性は十分に考慮していた。
やってきた17時過ぎの草葉駅。
世界の余白のような無人駅に到着した僕は、期待値をあらかじめ下げておくことで精神的ダメージを最小限に抑える「保険」をかけてから、ホームを覗き込んだ。
しかし、その保険は無駄になった。
彼女がいたからだ。
ベンチの定位置に鎮座し、文庫本ではなく、虚空を睨みつけている。
学校では近寄りがたい「絶対零度」のオーラを放っている美少女だが、今の彼女はどちらかというと、待ち合わせに遅れた彼氏を呪い殺す儀式をしているように見えた。
「……遅いよ」
僕の姿を認めるなり、彼女は気だるげに言った。
「定刻通りですけど」
「私の体内時計の話だから。キミが来るまでの間、BPM180のパンク・ロックを脳内再生してたせいで、体感時間が三倍に引き伸ばされてたんだよ」
「特殊相対性理論みたいなこと言わないでください」
僕はため息をつきつつ、隣の席に座った。もはや指定席だ。
「それで、今日は何を聴くんですか? 先輩」
「その前に訂正」
「はい」
「私がここにいるのは、キミを待ってたわけじゃないから」
彼女はヘッドホンを首にかけたまま、とろんとした瞳で僕を見た。
「ただの耳のメンテナンス。学校で一日中、どうでもいい噂話とか、教師の居眠りそうな声とか、質の悪い音波を浴び続けたでしょ? だから放課後は、良質な周波数で鼓膜を洗浄しないといけないわけ」
「なるほど。僕は洗浄液代わりですか」
「洗浄液の成分の一部。界面活性剤くらいの位置付けだよ」
「汚れを浮かす役ですか……」
光栄な役回りではないが、拒絶されていないだけマシだろう。
彼女は鞄からスマホを取り出し、慣れた手つきでジャックを差し出してきた。この一連の動作が、すでに儀式化している。
「今日はこれ。『AmericanFootball』」
「アメリカンフットボール? スポーツですか?」
「や、バンド名だよ。エモの始祖にして頂点。ジャケット写真はただの家の写真なんだけど、それを見ると世界中のエモ・オタクが涙を流して拝むっていう、宗教的な建造物だから」
「カルト宗教の勧誘みたいになってますよ」
再生ボタンが押される。きらきらとした、しかしどこか寂しげなアルペジオが流れ出した。
変拍子のような複雑さはない。ただ、夕暮れの無人駅の風景に、恐ろしいほど溶け込む音だった。
「……綺麗ですね」
「でしょ? この『NeverMeant』って曲のイントロ、不純物が一切ない蒸留水みたいな音がするんだよ」
先輩は目を閉じ、小さくリズムを刻む。
「『NeverMeant』って、直訳すると『そんなつもりじゃなかった』とか『運命じゃなかった』って意味なんだけど」
「切ないタイトルですね」
「そこがいいんじゃん。過ぎ去った時間は戻らないし、誤解は解けないし、夏休みはいつか終わる。そういう諦めを、綺麗な音でパッケージしてるんだよ」
「先輩、まだ一学期始まったばかりですよ」
「気分の問題だよ。私の中では常に夏の終わりがループしてるから」
彼女は「ふぁ」と小さくあくびをした。学校で見せる完璧な立ち振る舞いからは想像もできない、無防備な姿。ダウナーで、少し面倒くさくて、でも音楽の話になると早口になる。これが、全校生徒が憧れる「氷の歌姫」の実態だ。
「……ねえ」
「はい」
「キミ、楽器やってるって言ってたよね」
「ギターを少し」
「へえ。レスポール?」
「テレキャスターです」
「ふーん……」
彼女は片目を開けて、僕の背負っているギグバッグをじっと見た。値踏みするような、それでいてどこか期待を含んだ視線。
「いい趣味してるね。テレキャスのジャキジャキした音、嫌いじゃないよ」
「どうも」
「今度、スタジオで音合わせる?」
「……え?」
突拍子もない提案に、僕は耳を疑った。スタジオ?僕と先輩が?
「冗談だよ。真に受けないで」
「ですよね」
「キミのギターが私のベースの低音に負けないレベルかどうかもわからないし。まずは書類審査から始めないと」
「やっぱり審査あるんですね」
彼女は意地悪そうに口角を上げた。冗談と言ったが、その目は笑っていない。半分くらいは本気で、僕の技量を探っているようだった。
踏切の音が聞こえる。15分間の終了の合図。
「電車、来ましたね」
「あーあ、もう終わりか。この踏切の音もさ、もうちょっとリズム感あればいいのに。四分の三拍子にするとか」
「事故が増えますよ……」
先輩はけだるげに立ち上がると、ヘッドホンを片付けた。そして、去り際にぽつりと言った。
「……明日も、メンテナンス必要だから」
「はい」
「洗浄液がないと困るし」
「界面活性剤として待機しておきます」
彼女は背中を向けたまま、ひらひらと手を振った。三日坊主の壁は、あっさりと越えられたようだ。
名前も知らない彼女との関係は、こうして「日常」の一部へと組み込まれていった。




