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学校帰りの駅のホームで名前も知らない美少女と二人きりで過ごす話  作者: 剃り残し


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ゴールデンウィーク明けの月曜日というのは、人類に対する懲罰に近いかもしれない。


一週間の休みを与え、自由の味を覚えさせた直後に、学校や会社という檻に連れ戻す。


体感速度で三秒くらいしかなかった連休が終わった日、僕たちは再びグレーの制服に身を包んでいた。


そんな1日も終わりかけた17時過ぎの草葉駅。


一週間ぶりの聖域に彼女はいた。


宇部三咲という名前の先輩。定位置のベンチに座っている彼女は、いつも通り文庫本を広げていたが、そのページを捲る手は止まっていた。


そして、僕が近づいても顔を上げない。まるで、知らない人間が来たかのような反応だ。


「……あの、先輩」


僕が声をかけると、彼女は恐る恐る顔を上げ、焦点を合わせるのに三秒ほど時間をかけた。


「……誰?」


「記憶喪失ですか!?」


「ふふっ、冗談だよ」


彼女はパタンと本を閉じると気だるげに髪を耳にかけた。


「……」


「……」


どこか、ぎこちない空気が流れる。連休前、あんなにスムーズに交わしていた会話のラリーが、今日はネットに引っかかっている感じがする。


一週間のブランクは、僕たちの関係に薄い膜を張ってしまったらしい。


「……元気でしたか?」


「見ての通り。辛うじて生命維持装置が動いてるレベル」


「連休中、何してたんですか」


「冬眠」


彼女は即答した。


「一歩も家から出てないんですか?」


「コンビニに二回行った以外は、自室というコクピットに引きこもってた。ベースを弾いて、寝て、起きて、ベースを弾いて、また寝る。酸素と電力と低音があれば、人間は生きていけることが証明された一週間だったよ」


「光合成しないと枯れますよ……」


「日焼け止め塗る手間が省けてエコでしょ」


「幸せ物質も光を浴びないと出ないっていいますよ。セロトニン」


「や、私はセロトニンをオルタナティブロックから生成できるんだよね。ベースラインがうねるほど生成量も増える」


「新人類過ぎません!?」


先輩はベンチの背もたれにぐったりと寄りかかった。


「……」


「……」


「……いい天気ですね」


「そうだねぇ……」


会話の境目が目に見えるようだった。


名前を教え合ったはずなのに、その「名前」を呼ぶタイミングすら見失っている。


このまま電車が来るまでの時間を、天気の話題で埋めるのはあまりに不毛だ。


僕は意を決して、ギグバッグのポケットに手を入れた。


「……あの、これ」


「なに?」


「お土産です」


「えっ、お土産?」


先輩が怪訝な顔をする。僕は小さな正方形の紙袋を差し出した。


楽器屋のロゴが入った、安っぽい袋だ。彼女はそれを受け取ると、爆弾処理班のように慎重に中身を覗き込んだ。


「ペナントとか提灯じゃないよね?」


「そんな昭和の修学旅行生みたいなもの買いませんよ」


「じゃあ何? 木刀?」


「ある程度は『三咲先輩がもらって嬉しいかな?』って考えられるくらいの気遣いはあります。開けてみてください」


彼女は「木刀も嬉しいけどなぁ」と心にもなさそうに言いながら袋を逆さにし、中身を手のひらに落とした。


出てきたのは一枚のピックだ。黒地に、白で幾何学的なロゴがプリントされた、おにぎり型のベース用ピック。


「これ……ピックだね」


「連休中、弦を買いに楽器屋に行ったついでに買ったんです」


先輩は黙ってピックを見つめている。反応がない。


もしかして、好みじゃなかったのだろうか。


「……嬉しい。まさか連休明けからこんなサプライズがあるとはね」


先輩は顔を赤らめ、両手で大事そうにピックを握りしめた。


「100円です」


冗談めかして手のひらを見せながらそう言うと、先輩はピックを持っていない方の手を置いてきた。


「ふふっ。プラス10円だよ。消費税を忘れないで」


彼女は握りしめたピックを、太陽に透かして見上げた。


その瞳が、さっきまでの「死んだ魚」状態から一変し、キラキラと輝き始めている。


やはり、この人はチョロい。いや、音楽に関しては純粋すぎる。


「……わざわざ、これ買いに行ったの?」


「いや、だから自分の弦を買うついでです」


「ついででも、楽器屋のピック売り場という樹海の中で、私の好みの厚さと形状を特定してレジに持っていくという労力を割いたわけでしょ?」


「すっ……数十秒の話です!」


「その数十秒間、キミの脳内を私が占有したという事実が重要」


先輩はピックを指先で愛おしそうに撫でた。


「キミ、これでおにぎり何個買えたか分かってる?」


「一個も買えませんよ。コンビニおにぎりは高いですから」


「や、買える。私の心の計算式では、このピック一枚の価値は、高級焼肉弁当三個分に相当するから」


「インフレがすごいですね!?」


彼女は「ふふん」と鼻を鳴らし、制服の胸ポケットからスマホを取り出した。


「よし、撮影会」


「え?」


「この神々しい三角形をデジタルデータとして保存するの。角度を変えて一〇〇枚くらい撮る」


「連写しすぎです。ただの消耗品ですよ」


「消耗品じゃない。これは観賞用」


彼女はベンチの上にハンカチを敷き、その上に恭しくピックを安置した。そして、様々なアングルから写真を撮り始めた。


「……使わないんですか?」


「使えるわけないじゃん。この聖遺物をガリガリ削るなんて、バチが当たる」


ついにただの安物ピックが聖遺物と化してしまった。


「使ってナンボですよ、楽器の小物は」


「だめ。これは私のベースケースのポケットにある『絶対に使わないゾーン』に封印して、ライブ前に拝む用にする」


「お守り代わりですか!?」


「ん。そう。スラップが上手くいかない時に、これを握りしめて精神統一を図るための触媒」


彼女は撮影を終えると、再びピックを手に取り、今度は匂いを嗅ぎ始めた。


「……新しいプラスチックの匂い。工業製品の冷たさが最高だね」


「変態的な感想はやめてください」


「キミも嗅ぐ?」


「嗅ぎません」


先輩は満足げにピックをギターケースに大切そうにしまった。それから、改めて僕の方を向いた。さっきまでの「他人行儀な壁」は、もう跡形もなく消え去っている。


「……ありがと、常盤くん」


不意打ちだった。連休前、最後に呼び合ったきりだった名前を、彼女はごく自然に口にした。


「どっ……どういたしまして、三咲先輩」


僕もたどたどしく返す。彼女は少しだけ照れくさそうに視線を逸らし、また髪を耳にかけた。その耳たぶが、ほんのり赤い。


「……まあ、リハビリにしては上出来な処方箋だったよ」


カン、カン、と踏切の音が鳴り響く。連休明けの最初の15分間がもうすぐ終わる。


「あーあ。日常が始まっちゃうね」


「憂鬱ですか?」


「ん。明日からまた、質の悪いポップスと教師の説教に耐えなきゃいけないと思うと、鼓膜がストライキを起こしそう」


先輩は立ち上がり、スカートの埃を払った。


電車に乗り込み少しするとドアが閉まる。


窓越しに、彼女が財布からまたあのピックを取り出し、こっそり眺めているのが見えた。


そして、絶えていたものが噴出したようにニヤニヤとしていたのを僕は見逃さなかった。


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