先生、私、モルモットじゃないですよね?
うまく言えないまま大人になった“あの違和感”を、短い物語にしてみました。
少しだけ時間を預けてもらえたら、嬉しいです。
今日もまた?
また、行かなきゃいけないんだ。
こんな事を考えながらベッドから重い体を
起こす。
何年同じことを繰り返すんだろう。
―考えても仕方ない。今日も行こう。
転がっている帽子を拾い、ボサボサ頭を
隠すように被った。
外に出ると陽の光が眩しくて、
でも私の体は冷たく震えている。
そんなことはどうでもいい。
いつもの大きな病院へ向かった。
電車の中で、私の気持ちに合った胸が締め付けられるような歌を選んで流す。
わざわざ苦しくなるような歌をなんで選んでいるんだろう。
そんな自分に苦笑いがこぼれた。
1回の病院の時間は3時間ほど。
良くて月に2回、病院に行き終わりの見えない
闘病生活を送っている。
いつも通り病院へ着いた。
何度も、見た事がある顔ぶれの人だ。
心が締め付けられるような気配を纏っている。
(それはそうだよね。話してみたいなあ。)
なんて思いながら受付を済ませ、いつもの待合室で座っていた。
「おい!!ふざけんなよ!!」
待ってる待合室で、大きな声が響き渡った。
周りの人はいっせいに、声のする方へ振り返る。
「俺はもうここにきたくないんだよ!なんで
お母さんは連れてくんだよ。もう帰っていい?」
お母さんと息子のようだ。
隣に座って喧嘩をしているみたい。
「お母さんはあなたが心配だから、見てもらわないと治らないでしょ?大人しく座っていてよ。もう。」
「俺はどうしたらいいんだよ…」
息子は聞こえるくらいの声で泣き出した。
私は、胸が焼けるように熱くなり、
こっそりと話を聞いてることしか出来なかった。
(みんな、こんなに苦しんでいるんだ。
私だけが特別に辛いわけじゃない。
それでも私は、自分の痛みでいっぱいいっぱいだった。)
そう思った瞬間、視線を足元へ落とした。
自分の小ささを、見たくなかったんだ。
番号札を握りしめ、
呼ばれるのをそのままじっと待った。
「2460番の方。診察室へお入りください。」
私の番だ。
診察室へ向かいノックをした。
「どうぞお入りください。」
いつも通り優しい先生の声がする。
ドアを開け、椅子へ腰をかける。
「体調はどうですか?その後酷くなっていませんか?」
心が暖かくなるような優しい声。
私は、最近悪いです。
正直に伝えた。
「前回の治療プログラムは続けていますか?」
副作用が強くて、とても耐えられなかったので、辞めてしまいました。
副作用で酷くなっていると私は思っています。
本当にそうだったのかは、今思えば分からない。
先生は笑顔で笑いながら
「それは違うんです。あなたを治すために出しているんですよ。しっかり飲まないと治らないんです。」
(何回目だろう。このやりとり。)
長い年月、病気と闘いこの場所に通い続けた。
先生は絶対に、間違っている。
もう違和感を否定できなくなっていた。
何回言われて繰り返しても治りません。
効かないんです。
「今日からまたしっかり薬を飲みましょう。
絶対によくなりますから。」
…はい。分かりました。
「お大事にしてくださいね。」
ありがとうございます。
と伝え病室を後にした。
ドアを閉めた瞬間、背後で小さくため息のような音がした。
気のせいだと、自分に言い聞かせた。
でもほんの一瞬、先生の横顔が心配そうに揺れて、見えた。
気づかないふりをしていたけれど、本当は
ずっと、変だと思っていた。
採血の回数がいつも他の人より多い。
治療の説明を受ける時だけ、看護師たちの視線に違和感を、感じていた。
診察のたび、薬の治療が増えるばかりで、減ることは一度もなかった。
何より、先生が薬の話をするたびに――
笑顔の奥で、別の何かが動いている気がした。
本当は、3年前くらいから
副作用が多い薬を、頻繁に変えては増やしを、繰り返されていた。
私の病気を、しっかり見てくれるところは少ない。
それは自分がいちばんよく知っている。
幼いころから“どこが悪いのか分からない痛み”と一緒に育った。
病院をたらい回しにされ、ある病院では
原因不明。
ある病院では、何も無いです。
それを繰り返す日々だった。
今の病院はやっと診断をくれた。
私の行き場ない気持ちを理解してくれた。
そう感じたせいか、
いつの間にか、“ここ”に依存してしまったんだ。
本当に見なければいけないものが、見えなくなっていたような気がする。
そのせいで気づけなかった。
この先生は私をモルモットにしているんだ――
そうとしか思えなかった。
薄々感じていた。
なんで先生はいつも笑っているんだろう。
笑っているのに、目の奥に光がないように
ずっと見えていた。
気付かないふりはもう終わり。
この時、私は決めた。
“治療はしない”
その日から一切薬を飲まなくなった。
辞めてから続く日々は、
清々しい日常。
いつもより肌にふれる風が、心地よく感じるようになった。
同時に、音が遠くなる感覚も消えない。
それでも、見える景色全てが私に賛成してくれているような穏やかな日々が続いた。
けど不安な気持ちは心の奥底にあり、
治療プログラムは中断したけど、病院へ行く事は辞めなかった。
1ヶ月後
今日は病院の日だ。
前回とは違う晴れた気持ちで
病院へ向かった。
以前来た時より、患者たちの表情が重く、曇ったように見えた。
「1605番の方。診察室へお入りください。」
いつも通りノックをし、病室へはいる。
(ああ、またあの優しい声か。)
「体は大丈夫ですか?
あれから治療プログラムの方は?」
「はい。しっかりと薬を飲んで良くなってきました。」
私は明るい声で堂々と―嘘をついた。
「それは本当に良かったです。このまま続けていれば大丈夫ですからね。また会いましょう。
次来る時は元気な顔を見せてください。」
いつも優しい笑顔の先生が一瞬、不安そうな顔を見せたのは、気のせいだろうか。
「ありがとうございます。」
そう言い残しドアを出た。
(絶対に信じない。騙されない。)
優しい声をした仮面を被った悪魔だ。
今でも先生の事を考えると、
指先から震えが止まらない。
胸が熱くやけるようだ。
―私はもうここにはきたくない。
それから半年が過ぎた頃。
息を吸うたび、空気が胸の奥でひっかかるようだった。
胸の奥がゆっくり閉じていくような。
どこで間違えてしまったんだろう。
治療をやめたあの日か。
信じたあの日なのか。
それとも、もっと前か。
その時浮かんだのは、待合室で喧嘩していた、あの息子の声だった。
『俺はもうここにきたくないんだよ!』
その声が、やけに遠く聞こえた。
胸の奥で何かがすっと冷える。
私も、あの人と同じ言葉を言っていた。
私も、あの人も。
弱さの形が違うだけだった。
あの人は、ちゃんと家に帰れただろうか。
世界の音が、ゆっくりと水の底に沈んでいった。
―いい夢が見れそうだ。
読んでくれた時間が、どこか一瞬でも何かに触れていたら嬉しいです。
ありがとうございました。




