魔法使いは愛する人に語る言葉を持たない
絢爛なパーティー会場の中央で一組の男女が立ち止まる。
男は派手に着飾った女の腰を抱いて叫んだ。
「イドナ・バークス。こちらに」
観衆達は突然の叫び声に驚き、二人に注目する。呼ばれた女が無言で男の前に出ると、演説は始まった。
「イドナ・バークス。貴様は王太子たる私の婚約者として王妃となることが決定している立場でありながら、陰湿で醜悪だ。私の愛するこのマニーを裏で散々虐め、いたぶったそうだな。愛人の一人も許さない狭量なお前に愛想は尽きた。私、王太子クライス・ディータはイドナ・バークスとの婚約を破棄し、新たにこのマニー・コンコートを婚約者とすることをここに宣言する」
突然始まった婚約破棄に観衆達の反応は様々だ。最高のゴシップだと意地の悪い顔で笑う者、婚約者へのあまりの仕打ちに眉を顰める者。
だが婚約者であったイドナは黙して何も語らなかった。王太子であるクライスに向かって黙礼すると、黙って会場から去ってゆく。
その光景を間近で見ていた魔法使いであるグラニウスは、慌ててイドナの後を追いかけた。
こんな時にイドナが行く場所は決まっている。魔法塔の地下研究室だ。そこは一切の魔法の発生を防ぐ結界が構築されている。
魔法は言葉に宿るものだ。魔法使いの発する言葉は力を持ち、この世界の法則を無視した様々な現象を生み出す。
先ほどイドナが何も言い返さなかったのは不満がないからではない。何も言い返せなかったのだ。
イドナはこの国最高の天才魔法使いだ。感情的になった彼女の言葉は力を持ち、本人ですら予期できない様々な現象を生み出す。
イドナは先ほど、自分の潔白を証明するよりも会場に居た者達の安全を優先したのだ。
「イドナ!」
地下研究室へ到着すると、グラニウスは床に座り込んで泣くイドナへ声をかける。
「イドナ……」
グラニウスとイドナは同い年だ。そのうえ二人とも魔法使いとして一流である。辛い魔法使いの修業をいつも二人で乗り越えてきたのだ。
だからグラニウスは知っている。イドナが心から王太子を愛していたことを、そして王太子の愛人に嫌がらせなどしていないということを。
「……わかっていたの、殿下は、私の事がお嫌いなの、私がしゃべらないから、魔法使いだから、嫌いなの」
泣きながら話すイドナに、グラニウスの胸は締め付けられる。魔法使いは寡黙であるように教育される。万が一にも魔法が暴走しては困るからだ。
特に感情的になっている時ほど、悲鳴一つ上げないように厳しく教育される。
それをいいことに、魔法使いをまるで物の様に考え嘲る者が居るのだ。
王太子はその筆頭だった。最初からそうだったわけではない、婚約した当初はまだ仲が良かったのだ。しかしイドナは当時は優しかった王太子に恋をした。
魔法使いは、感情が動いたときほど口を開いてはいけない。イドナは恋をすればするほど、寡黙であらねばならなくなった。
そんなイドナを、王太子が何をしても反抗しない者として軽んじるようになるのはすぐだった。そして周囲がそんな王太子の姿に追従するのも。
今、この国の魔法使いの立場は弱い。王太子がこの国最高の魔法使いを婚約者にしておきながら軽んじているのだ。さもありなんである。
「イドナ、この国はもうダメだ。魔法塔の管理者達も、今回の事で王家を見限るだろう」
「……わかっているわ。元々魔法使いと国が友好な関係を築くための婚約だったのだもの」
この国は魔法使いを必要としていない。今回の事でこの国に居るすべての魔法使いがそう悟った。
次に始まるのは魔法使いの一斉離反だ。
「私がうまくやれていたら、こんなことにはならなかったのかな」
イドナはまたはらはらと涙を落としながら言う。グラニウスは慌てて言い返す。
「そんなことはない。王太子が最初から屑だっただけだ」
グラニウスはイドナが好きだった。だから王太子をどうしても認めることができなかった。イドナが王太子に恋をしてからはなおのこと。
しかしグラニウスはその思いをイドナへ伝えることができずにいた。寡黙であるよう教育された弊害か、いざ告白しようとすると言葉が出てこない。
イドナは王太子に傷つけられるたびに、この地下研究室で泣いていた。魔法使いが感情をあらわにできる場所はここしかないからだ。
その度に、グラニウスは何度王太子を殺してやろうかと思ったかしれない。
グラニウスが再び口を開こうとすると、地下研究室の扉をノックする音がした。
「イドナは居るか?」
入ってきたのは魔法塔の主だ。最早幾つなのかすらわからない魔法塔の重鎮である。
「はい、こちらに」
イドナは涙を拭って主を見つめる。先ほど婚約破棄されたばかりとは思えないほどしっかりとした顔をしていた。
「うむ、思っていたより元気そうじゃの」
「薄々わかっておりましたから……」
グラニウスは少しほっとした。愛する人が悲嘆にくれる姿など見たくはない。
「隣国の魔法塔に話をつけた。この国の魔法使いを全員受け入れてくれるそうだ」
恐らく事前に話を進めていたのだろう。離反の準備はもう整っているようだ。
「お前には権利がある。最後に王太子に言いたいことを言いに行ってもかまわんぞ」
イドナは瞠目して主に問うた。
「よろしいのですか?首が物理的に飛ぶかもしれませんよ?」
これは冗談ではない。感情的になった魔法使いが発した言葉は、それぐらいの効力を持つものだ。
「この国は捨てる。かまわぬだろう」
主の言葉にイドナはでは……と王太子の元へ向かおうとする。グラニウスは慌ててついて行くと申し出た。
「グラニウス、ありがとう。万が一のことがあったらよろしくね」
イドナの笑顔にグラニウスも破顔した。王太子を守るのは業腹だが、なるべくイドナに殺しはさせたくない。
二人は集中して言霊を発する。
「「転移!」」
転移した先は王太子の寝室だった。ちょうどいい具合に愛人のマニーもいる。
「なんだお前達は!?とっとと出ていけ」
王太子はバスローブだけ羽織った姿でイドナ達を睨みつける。
イドナは大きく息を吸うと、言葉を発した。
「王太子殿下。あなたは私が喋れないのをいいことに、今まで私の尊厳を傷つけるような言葉ばかり投げかけてきました」
イドナの言葉にあわせて、部屋中がきしんだような音をたてる。
「それでもあなたは、最初は優しかったから、私はいつか昔の殿下に戻ってくださると愚かにも信じていました」
天井が音をたてて崩れだす。バチバチと火花のような音がして、王太子と愛人の肌に小さな傷がついた。二人は怯えた目でイドナを見ている。
「でももう、苦しむのは終わりです。私はこの国から去ります。さようなら殿下」
最後にイドナは、晴れやかに笑った。崩れたがれきに囲まれて、王太子は腰を抜かしているようだ。ざまあみろと、グラニウスは思う。
グラニウスは視線で、これだけで良かったのかとイドナに問いかける。魔法使い修行をしていた二人には、目と目で会話するなんて朝飯前だ。
イドナが笑うのでグラニウスも溜飲をさげる。二人で転移して魔法塔に戻ると。沢山の魔法使いが魔法塔ごと転移で引っ越しの準備をしていた。
二人も協力してどの夜のうちに、引っ越しは完了する。
新しい国では、イドナもグラニウスも研究に時間を費やすことになった。風の噂では、もと居た国は他国に攻め滅ぼされたらしい。魔法使いという存在が抑止力になっていたのだから当然の帰結だ。
グラニウスは、いまだイドナに思いを伝えられずにいた。でもイドナはグラニウスから離れない。もしかしたら言葉で伝えなくても、思いは伝わっているのかもしれない。
だって二人とも魔法使いなのだから。




