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オレ様は元気なひきこもり

作者: ひまわり

オレ様は、へ、みたいな理屈98%でできた私の息子である。

オレ様とは、17年の付き合いであるが、そのうちの12年くらいはやられっぱなしだ。

勿論、可愛いことも言うし、優しい所も沢山ある。

オレ様が幼稚園時代、次々と、やらかしてくれるもんで、私がひきこもりになりそうだった。

実際、幼稚園に送っていき、門を入る時拒絶反応を起こしたこともあった。

お友達のママさん達からは、冷ややかな目で見られたり、コソコソヒソヒソありがちな陰口を横目に先生の所まで送り届け、笑顔でバイバイ!脇目も振らず競歩選手も顔負けの早歩きで門をぬけた。

当時は苦しくて、頭の中がごちゃごちゃで、鬱状態に陥った時もあった。

そんな俺様の出生は、3080gramの標準サイズで、幸い健康に生まれてきてくれた。

頭には、黒々と既に髪をたくわえていた。その、増毛っぷりがのちに厄介なことに繋がろうとは、その時は知るよしもなかった。


元気な可愛い天使ちゃんには太陽と名付けた。

出産して、一週間の入院の末、1ヶ月を目安に私の実家に行かせてもらうことになった。初めての事に、戸惑うことばかりで、でも、父も母も、目尻を下げて可愛がってくれた。

旦那さんとの新居は実家から車で約二時間かかるので、週末にしか太陽に会えない旦那(まさき)は、少しずつ少しずつ不満が溜まっていっていた。

まさきはとても優しい旦那さんだ。優しいとは言えども、昔から短期な性格ではあった。

些細なことで、口論となると、普段は絶対に出てこない、オラオラ系が顔をのぞかせるのだ。

そんな時は、何が原因で口論になったか、私の発言で始まったことかなんて、全くどうでもよくなり、その、まさきのオラオラ口調に最大の怒りが込み上げてくる。

「何その言い方?」

から始まり、話の方向性がずれていく。

そして、結末はよくわからないもやもやっとした感じになる。

大概次の日、私がメールに言いたいことうちこんで、まさきはそれにたいして言い過ぎた。ごめん。

と返ってくる。

いつも、こんな感じだ。

その時も、太陽に会いたいのに、会えない状況がすとれすとなり、ちびりちびりと愚痴を言ってきたのだ。気持ちはわかるが、まさきの気持ちを全ては理解出来なかった。

実家にいるとはいえ、慣れない子育てで睡眠もままならない状態で、可愛いけれども、子育てって大変なんだなぁと実感していたやさきで、自分中心に発言してくるまさきに腹が立ち、情けない気持ちにすらなった。結局電話でのやりとりでは、もやもやしたまま一方的に私が切った。

そんな私に追い討ちをかけるようなショッキングな事がやってきた。母乳が止まったのだ。

今から思うと対した事ではないのだか、当時の私にはこの世の終わりかよ!というぐらいショッキングで、実家の家族を前にわんわん泣いた。

まさきからの電話にはとことん出なかった。

まさきを不憫に思った母が、代わりに電話にでた。申し訳なさそうに、言いにくそうに、状況を説明していた。

まさきと話した母が、まさきの気持ちもわかるから、話をしてごらんと言ってきた。わたしには、冷静に考えて発言したり、まさきの気持ちを思いながら話をすることは出来なかったので、母にその事を告げて、切ってもらった。

週末、早朝太陽に会いに二時間かけてやってきた。

すまなさそうな顔で

「この前はごめん」

「仕事で色々あって、帰っても一人だし太陽に会いに行きたいのに直ぐに行けないもやもやで、あんな言い方してしまった」

気持ちはわかるけど、言い方よね。

「後で凄い後悔した」

.....。

そうでなくても、産後でナーバスになってる私は、留めの一撃をくらわした。

「あのね、言いたいこと言い合える夫婦はとても良い事だと思うのよ。」

「でも、そろそろ考えて発言してくれない」

「あの日から母乳でなくなったんだけど」

「すごくすごくショックで、辛くて辛くていっぱい泣いたよ」

まさきは、申し訳なさそうに黙っていた。

私も、歯止めがかかりそうにないので、この辺で攻撃は止めた。

母が太陽をみてくれていたので、まさきと太陽のところに行った。 まさきは、でれでれだった。

一週間ぶりの再会は、さきほどまでのピリピリとした空気を一掃した。


出産して実家での慣らしの子育てを終え、約一月後まさきの待つ新居へ帰った。

3人の新生活が始まった。

お風呂や、ミルクのあげかたは、実家にいるときにまさきは何回かしていたので、率先してやってくれた。

まさきは、外で体を使う仕事なので、しっかり睡眠がとれていないとかなり支障がでるので、夜中は気を使った。

その代わり仕事から帰ってくると、あれやこれやと、お願いしてしてもらった。

ある晩、まさきとテレビを観ていたら、太陽が泣き出した。私は、疲れから、パッと行動が出来なかった。ぼーっとしていたら、まさきが、「はぁ」とため息をついて太陽をあやしに行き、寝かしつけてくれた。また再び私の横に座ると、唖然とする一言を放った。

「ありがとうは?」

「えっ?」

何が何だかわからず、何いってんだろ。

という感じで顔を見たら

「太陽が泣いとって、俺が泣き止まして来たんだけど」

はあ....。

それが何か?

「いや、何かではなくて、お礼を言うのが当たり前だろ」

開いた口がふさがらない

って、この事だ。

状況や気持ちを説明する前に、大~きな紙に毛筆で

開いた口が塞がらない!

と空想で書いた。

私は、状況を把握するのに時間がかかった。

私は疲れのせいもあり、喧嘩する気にもならず、

おかしいよ!

と告げて、太陽と寝室に行った。

次の日少し元気になった私は、メールで、あれはなんなんだと昨晩の発言について、激怒した。

実家に居たときに、私の母乳を止めてまで自己主張してきた、あれは何だったのか。

新居に帰ってきてまだ一月もたっていないのに。

自分がどれだけひどいことを言ったのかわかっているのか。

そんな心構えで子育ては撒かせられない。

一切太陽に関わるな。

とメールした。

案の定反省文の文章がかえってきた。

正直、自分でも何であんなことを言ったのかわからない。本当にごめんなさい。これから心を入れ替えて頑張るから、本当にごめん。

.....。


自分が言ったことを、何であんなことを言ったのかわからない。

なんて、無責任にもほどがある。ましてや、何故にあのシチュエーションで

そんなことをやらかしてくれるのか。

おそるべきまさきよ。


宣言通りその日から色々と頑張っていた。

3人の色々な始めてにバタバタしながら、笑ったり、泣いたり、怒ったりしながらばたばたと月日がたっていった。


家からあるいて一分の所にわりと大きな公園があった。

滑り台、砂場、クモの巣(縄で編んだ遊具)

ブランコ。そして、ボールを蹴ったり、ちょっと野球をしたりするぐらいの敷地があった。

家の中だけではぐずるので、まだ、歩かない時期から、シートを持って公園に行き、砂をさわったり、葉っぱをさわったり、一緒に滑り台をしたり、ブランコにのったりした。

お昼ご飯を食べ、ベビーカーで散歩をすれば、ころっと寝るので、寝たら家に帰り、そーっと抱っこして布団に寝せる。

そして、わたしもお昼寝。

この時間が結構好きだった。

子供が寝た隙に、夕飯を作るひと。

自分のしたい趣味をするひと。

私は、夜あまり寝られないので、この時間が唯一の至福の時間だった。


大きな病気もせず、標準より早く歩き、早く喋りだし、元気にぐんぐん大きくなっていった。


歩いたり、喋ったりできだすと言うことは、公園に行ったら、座っているだけのときに比べ、できることが増えて、当然、同じように公園に遊びにきている子供さんとトラブルが発生することは多々あった。

でも、有りがたいことに、周りのお母さん方も、少々のことで目くじらをたてる人はいなかったのには救われた。

その頃から少しずつ子育ての難しさを感じていた。

子育て1年目の私には、感情のコントロールがとても難しく、常識だの、育児書にみる良い子育て論だのに振り回されていたように思う。

いけないことへの叱り方、受け止め方などの正解がわからなかったけれど、私自身の中にある引き出しから出すしかなかった。

私の父母が超ド級に真面目だからか、こういう時はこうする、こんな時はこうするべきだ。

人様に迷惑をかけてはならない。

それを正しいと思い、当たり前だという思いが、より発言を増長させていたのかもしれない。

今から思うと、もう少しゆったりで良かったんだよ。

って、凄く思う。


太陽が3歳の時に長女ひまわりが産まれた。

出産は太陽の時よりもかなり早く、陣痛がおきて病院に行ってから僅か二時間弱で産まれた。

太陽にとっては初の母さんと離れた生活となった。

昼間は、まさきの姉の家で過ごし、夕方まさきと一緒に帰ってくる。

昼間におねえさんが病院に太陽を連れてきてくれることもあった。

太陽はひまわりをとろけそうな顔で見つめていた。

座って抱っこして

「ひまちゃん可愛い!」

首を支えてないといけないよ、と私がしつこく言ったもんだから、太陽は小さな左手の手首を、ひまわりの首にあてて、一生懸命支えていた。

その体制のまま固まっている太陽が、凄く愛おしかった。

疲れたでしょう!

「ふふ!ん、うん...」

申し訳なさそうなような、

照れてるような感じの返事をした。

太陽が帰る時、太陽より私が泣きそうだった。

涙がでるのを必死にこらえた。

太陽が泣いて、嫌だ嫌だとだだをこねるんではないかと思っていたから、

笑顔でまたねが出来た太陽が、凄く誇らしかった。

と同時に、私が太陽と離れる事が辛かった。

まさきに夜メールで昼間の出来事を説明した。

まさきも、義姉から聞いた話をしてくれた。

ママに会いたいな~

と太陽がさみしそうだったこと。

義姉が病院来る前に太陽とお話をしていたこと。

お母さんとひまわりの状態を言って、帰る時もちゃんとバイバイして帰ろうと決めてたこと。

ひまわりと母さんに会って帰る時にちゃんと泣かずにバイバイ出来たこと。

帰りの車の中で

「もうちょっといたかったな~」

「でも、太陽頑張ったよ」

って言ってたこと。


太陽がどんな思いできてくれたのか。本当は、一緒にいたいのに、駄々をこねずに笑顔でバイバイ出来たことを思うと涙が止まらなかった。悲しいのではなく、寂しいのでもなく、ハッキリした感情ではなく、何とも言えないが

涙か溢れた。



太陽4歳の時に幼稚園に入園した。

ひまわりはまだ2ヶ月で、首もまだしっかりしてない状態なので、ベビーカーにミニ毛布を敷き詰めて園まで通った。

最初は幼稚園に慣れるために、かえりが早いので、保護者の方も一緒に過ごした。

太陽は張り切って、お便り帳にシールを貼ったり、コップやお皿を出したりと、いそいそと動いて、朝の支度が済むと、外行こー!

このぶんだと、来週からは、帰っても大丈夫そうだな。と思った。

園の決まりで、1週目は保護者付きで、2週目からは、離れられるお子様は、保護者は帰って良いとのこと。

ひまわりもいるし、僅かだが、太陽が園に行っている間に家の事をしておけるので、2週目からの午前中のスケジュールを頭の中でやんわり組み立てていた。

担任の先生はベテランのさくら先生。笑顔が素敵で、元気な先生だ。

太陽もすぐ慣れて、さくら先生!さくら先生!

と、まとわりついていた。

太陽はキラキラしていた。

太陽のキラキラ笑顔が2週目に消えるとはその時は思いもしなかった。

2週目に入り、送ってきて

ばいばーい。と元気に手を振る子が、1日、2日、とだんだん多くなり、気づけばあれ?私はひまわりを抱っこしてまだ園にいる。

しかも、太陽の他に最後にバイバイ出来ずに残った子は、見るからに外見は太陽と真逆な、大人しそうな、か弱そうな女の子。その子と太陽かさだけだった。

私も、どうしたものかと思いながら、少し焦りと疲れがででいた。

これではいけないと園の方も作戦を考えて、同じ園の中にいるが、教室にはいないという状態をしてみた。

結局、何をやっても長引くばかりで、もう、断ち切るしかない!

ある朝、泣きながらママー!と呼ぶ太陽を笑顔で後でね!と手を振り、いそいそと帰った。

帰ったからといって、ひと月前に頭の中で空想していたスケジュールがこなせるわけがない。

かなり後ろ髪を引かれる思いで帰ってきたのだから。

頭も心ももやもやしていた。ひまわりが寝たので、スケジュールの一つでもある、洗い物をした。

結局、そのひとつがぎりぎり出来た。

帰りの会に間に合うようにお迎えに行くルールなので、すやすや寝ているひまわりをまた再びベビーカーに寝かせて出発。

どんな顔してるかな?

楽しく遊べたかな?

涙はすぐ止まったかな?

そーっと教室を覗いてみると、男の子のお友達と、新聞をクルクル巻いて作った刀を振り回しなが走り回ってあそんでいるキラキラした太陽がいた。

ホッと息を吐いて、部屋に入った。

夢中で遊んでる太陽は私に気づいていない。

さくら先生の

「帰りの用意をします」

の号令で、子供達がカバンを持ってきたり、コップを入れたりといそいそと動いていた。

一生懸命帰りの用意をしている太陽を見ることができた。

先生のピアノの前に座った時にこっちを向いて

「あ!ままー!」と

満面の笑みの太陽。

朝とは真反対の太陽の姿に、またまたホッとした。

帰りに、さくら先生が、

「お母さん!たいちゃん全然大丈夫だったよ!」

「お母さん帰った後、直ぐお友達と元気にあそびだしたのよ」

「お母さん心配したね~」

と暖かい言葉をかけてくれた。

さくら先生は良い先生だ。


帰って、昼ごはんの支度。お腹空いた~!

の太陽に、おにぎりを作った。ぱくぱく食べながら、園の事を話してくれた。

お友達のこうちゃんと、剣でレンジャーごっこした。

砂場でさくら先生と山作ったよ~!

おやつにいりこでた!

ニコニコして話してくれた。

朝ママとバイバイした時のことは、聞いてみようかと思ったが胸に封印した。

ご飯を食べたら、「公園行く!」

が、太陽の口癖みたいなもので、また、ひまわりはベビーカーへ、そして公園へいざ出陣!

さて、これから何時間いるのやら。まだ13時だ。

14時ころから近所のちびっ子が少しづつ集まってきて、夕方頃には小学生がわんさかやってくる。

時々、小学生のお兄ちゃんお姉ちゃんに遊んでもらえるときは、おまかせしている。その間は、手を休め、木陰で見守り隊に徹している。そろそろ帰ろう!という最初の声掛けから、最終的に帰宅するまでは1時間はだいたいパターンだ。

7月、8月になると公園を転げ回って、ドロドロのびちゃびちゃで遊びまくる。

少しづつ脱いでいき

帰る時は全裸だ。

4歳だから、許される。

家までの1分間の間に、何人のおじちゃんおばちゃんに「お!元気だね~!」

と声をかけられることか。

その度に、どうだ。と言わんばかりに堂々と全裸で歩く太陽を横目に、よそ行きの笑顔で、頭を下げる私。

ほぼ毎日が、こんな感じではあったが、特に恥ずかしいとか、腹が立つという感情はなかった。

楽しいのが1番

という思いがあったが、このスケジュールはかなりきつくもあった。


少し風がひんやり感じる頃には太陽も幼稚園にすっかり慣れて、朝もすんなりバイバイできるようになっていた。

この日も朝元気にバイバイした。帰ってひまわりと遊んでいた私に園から電話があった。

お母さん申し訳ありません。

太陽君がお友達とトラブルかあって、前歯がかけてしまいました。

すぐに来て頂けますか。


という内容だった。

何がなんやら、ひまわりをベビーカーに乗せ、ほぼ歩かずに駆け足で園に向かった。

行きながら頭の中で整理した。

まず、歯がかけたのは太陽で、お友達に怪我をさせた訳では無い。

トラブルって何があったんだろう?

いづれにしても、行ってみないとわからない。

太陽は元気だというのは分かっているから、安心だ。

園につくと、会う先生が皆さん、すいません!すいませんと謝罪をしてくる。

教室に着くと太陽がとんできた。

「ママ、歯がなくなった!」

「あきらくんが押したんよ」

今日はさくら先生に代わり、副担任の京子先生がいた日だった。

京子先生は、本当に申し訳なさそうにペコペコと頭を下げながら、事の経緯を話してくれた。

太陽は外で遊びたかったのだが、あきらくんは中で太陽と遊びたかったようで、太陽が

「オレは外に行く!」

と言った時に

「ダメだよ!」

って突き飛ばしたらちょうど机があって、顔から突っ込んで歯がかけてしまったということだった。

私はあきらくんに、腹は立たなかった。太陽も、以外と落ち着いていて、周りで見ていた子供達の方が大興奮状態だった。しかも、そのかけてしまった歯は、過剰歯だったので、幸い永久歯には何ら影響がなかったので良かった。

相変わらず京子先生は、申し訳ない申し訳ないと、表情が強ばっていた。

たまたま京子先生がいるときで、逆に申し訳なく思ってしまった。

先生大丈夫ですよ。

大怪我したわけではないですし。大勢みないといけないのに、先生も大変です。不可抗力ですよ。

と私が言うと、悲しそうなようなホッとしたような顔ですいませんでした。と、

深々と頭を下げた。

私も、連絡頂いてありがと

うございました。

と深々と頭を下げた。

太陽は帰る支度をして今日は早い帰宅となった。

本人は、まだいたかったようだが、園の方に、大事をとって今日は帰宅を進められたので、しぶしぶ帰ることになった。

その足で歯医者に行った。結局、過剰歯なので、抜く事になり、初めての麻酔をして過剰歯君とさようならをした。

麻酔が思ったより痛かったようで、もう行かない!

もう嫌い!と夜までずっと言っていた。

家に帰ると、あきらくんのお母さんが、すいません!大変な事をしてしまいました。申し訳ありませんでした。

と、謝罪の電話をしてきてくださった。

「太陽も言い方がきつかったのかもしれないし、歯も大丈夫なので」

「あきらくんもしょんぼりしてたので、大丈夫よって言って上げてください。」

「また遊んでやってください」

と言って電話を切った。

正直こういう電話は苦手だ。

性格上強く言えない。

しかも、太陽だって、わんぱく坊やなので、いつ何をしでかすかわからない。

今回はたまたま被害者だったが加害者になることもゼロではない。

そう思うと、相手にも理由があったかもしれないし、結果だけで、目くじら立てて怒鳴り散らすことはできなかった。

次の日、同じクラスのお母さんから、昨日大変だったね!

と声をかけられた。

歯が折れたんでしょ?

血が出たんでしょ!

あきらくんとこは謝りにきたの?

と、質問攻めにあった。

まあ、歯は過剰歯だったから昨日ついでに抜いてきたし、血もほとんど出てないし、あきらくんのお母さんから電話があったよ。

と返したら

「え!」

「電話だけ?」

「普通菓子折り持って来るでしょう!」

あそこは、乱暴だから、気をつけて!


ああ、はは ....

私は返す言葉もなく苦笑いして帰った。

ふと、自分の子が加害者になった時にどうするだろうと考えてみた。

うーん。

きっと、菓子折り持って謝罪に行くだろう

と思った。

だからといって、あきらくんの親御さんが非常識だとは思わない。

だから、謝罪に行くのが常識とも思えない。

なかなか難しい問題ではあると改めて思った。



5歳になるとますますパワー全開太陽くん。

もちらん、毎日、トラブルが耐えない。

だが、幸い大きなトラブルはなかった。

幼稚園は家に帰った後、お約束 という行事があって、園で、子供が約束をすると、どちらかのお家に遊びに行くという行事だ。

これが真に面倒くさい。

自分の子で手一杯なのが、よその子までみないといけない。楽しく遊んでくれれば良いのだか、これくらいの年齢の子は、難しい。

特に太陽が自己主張が強いため、必ずトラブルがおきる。それを間に入りなだめたり、解決したりと大変なのだ。

遊びに行くことより、来てもらう方が比較的多かった。だから、余計に疲れた。

太陽が遊びに行かせてもらうということは、母つきで。と、なってしまう。

たかし君のお母さんは、太陽が私を離さないのをみて、良いよ一緒で。

と言ってくれた。

それからは、たかし君と遊ぶ時は、一緒に入らせてもらって帰るまで居させてもらった。

よくよく考えると、人の子が家にいるだけでも、大変なのに、親までいるのは、1度や2度ならまだしも、毎回となると、うんざりするのは間違いない。

ただ、私は、口では遠慮しつつも、社交辞令に胡座をかいていたのかもしれない。

ゆうちゃんという女の子と約束してきた時に、太陽以外にもお母さんと離れれない女の子がいた。

ゆうちゃんのお母さんは、子供だけなら大丈夫なんですが.....

私も、もう1人のお母さんも、必死で説得した。

ママは一緒にはいれんから、太陽が1人で行かれないなら、帰ろう!と。

もう1人のお母さんも、同じ事を言っていた。

遊びたい気持ちはあるが、少し不安なのだろう。

でも、無理やり入るわけにも行かない。

太陽帰ろう。

1人で遊べるようになったら来させてもらおう。

すると、太陽は泣き出した。ゆうちゃんママも困っている。

そしたら、ちょっと遊んでみて帰りたくなったら、迎えにきてもらおうや。


少し遊んでみる。

と言って中に入っていった。しばらくいて、ゆうちゃんママが、大丈夫そうよ!と言いにきてくれた。

では、お願いします。

やっとの帰宅だ。

夕方までは、あっという間だった。迎えに行くと、元気に、楽しかった~!と、飛び出てきた。

少々不安症なところがある太陽は、こうやって積み重ねが必要なんだろう。


女の子でも、兄妹に兄がいれば、活発で、太陽と良く遊ぶリンちゃんという子がいた。

リンちゃんは、我が家にもたくさん遊びにきた。

1、2回はお母さんも上がっていったことがある。

案の定リンちゃんのお家に行く時も、太陽はひとしきり騒ぐ。そして、また御合意に甘えさせてもらう。

ひまわりも連れていくので、可愛いとかわいがってくれた。

今思うと、家に上がらせてもらったお家の方の何人が、裏の顔があったのか。

そして、どうしてもっと早くにそのことに気が付かなかったのか。

日を追う事に、太陽のわんぱく度は増し、すいません。と頭を下げることも多々あった。

しかし太陽は相変わらずお約束をしてくる。

その頃には、このお約束が恐怖ですらあった。

少しづつ1人で遊ばせて貰えるようになっても、それはそれで、迎えに言った時に、太陽君は、あれをしてこれをして、こう言いました。こうしました。

だから、言わせてもらったよ。

と言われることもしばしば。

中には、え?そんなことで?

って思うことも。

我が家は、来る方が多かったので、色んな子の嫌なとこ、良いとこ、凄いとこやんちゃなとこ。と、色んな部分を知っても、余りに酷いこと以外は、コラコラ(笑)

ぐらいで、しかも、迎えに来た時に、〇〇ちゃんは今日こうでした。

とか、言ったことがなかった。

だいたい、お友達だけを預かる形で、その子の兄妹はお断りしていた。

ある日、ゆうちゃんがきた時に妹も一緒に良いかと言ってきた。最初はちょっと難しいかな。

と、やんわりお断りしたのに、ひまわりを遊んでくれそうな事を言っていたので、しぶしぶ一緒に預かることになった。

皆で遊びだしたら、よちよち歩くひまわりが、遊んで~って、とてとて歩いてゆうちゃんの妹のさきちゃんに手を伸ばしてるのに、怖い~!と、さきちゃんは、ひまわりを遊ぶどころか、大きな声を出して、避けるように、逃げていきました。

ひまわりは、わからないから、遊んでくれると思いまた、ついて行こうとしたが、蛇かネズミでも嫌う様に、ひまわりをみて、ちっとも遊ばなかった。

それに、最悪なことに、トイレトレーニング中だと言うのだ。

ということは、そのままジャーっと漏れてしまうことがあるということだ。

ただでさへ太陽の友達、ひまわりの世話で大変なのに。

たしか、前に1度ゆうちゃんのお家に遊びに行った時に、親は無理だと断られたことがあった。

それはそれで、おかしいことではない。むしろ、はっきり言うところだとも思う。

その、きちっとしたゆうちゃんママが、モンスターを置いて帰ったのだ。

言わずと知れた状態に、私はほとほと疲れた。

ちょうどゆうちゃんママが迎えにきた時にモンスターをトイレに連れていって、てこづっていた。

玄関を入ってすぐの所にトイレがあり、私が苦労しているのもそっちのけで、ゆうちゃんママは、すぐ側に座って、ぼーっとしていた。トイレが終わったモンスターは、先ほどまでのモンスターぶりを微塵も思わせることなく

「ママー!」

ちょっぴり寂しかったよ~

と言わんばかりの猫なで声を出して

ママが、楽しかった?

と聞くと、

「ん~楽しくなかった」

あらまぁ!そうなん。

と不服そうなママ。

はぁ?

またもや開いた口が塞がらず状態。


ある日たかし君が遊びにきた。おやつを食べたり、外で遊んだり、帰る時間の少し前に楽しくLEGOブロックをして遊んでいた。

太陽も、たかし君も好きなものを作った。

恐竜!車!電車!家!

思い思いに作っていた。

太陽が、ロボットー!と満足気に言った。

するとたかし君が、

「何それ!そんなんロボットと違うわー!」

と太陽のロボットを批判してきた。

太陽は、悲しい顔で、ロボットだし!

と返した。

「変なの!!」

とたかし君。

太陽は、しょんぼりして、私をみてきた。

私は、優しく、

「たかし君、一生懸命作ったのに、変なのって言われたら太陽は悲しいよ」。

「たかし君が作った恐竜を変なの!って言われたら嫌だよね」。

と、私が言い終わるか終わらないかぐらいで、泣き出した。

「お母さ~ん」

「お母さ~ん」

て。

運良くか悪くか、たかし君ママが迎えにきた。

ママをみるなり、さらにヒートアップ!

ママは、何?何?

て感じだが、既に何泣かしてんだよ!オーラが伝わってきた。

事のいきさつを話したら、

それは、たかしいけないよ。

とは、言っていたが、とりあえず言った感じで、本心は違っていたようにかんじとれた。

それは、泣いているたかし君を抱っこしながら、

「そうかそうか。いけんかったなあ。」とママ。

たかし君も何やら言い訳をダラダラと言っていた。

「よしよし。辛かったなぁ

」お家に帰ろうな。

と、言いながら、帰っていった。

はて?なんなんだろうか。


その頃男の子特有のカードゲームが流行っていた。

カードでもトラブルが尽きなかった。

カード交換

自分がいらないカードと友達のいらないカードがあり、それをお互いに欲しいときに、交換が行われていた。

しかし、交換した後から、やっぱり返して欲しい。というトラブルだ。

太陽には、交換する時は、よくよく考えて、相手にもよく聞いて、お互いに納得してからなら良いよ。と伝えていた。

相手が、悩んでいたり、嫌なのを無理矢理はダメよ。

それに、交換したカードが、やっぱり返して欲しくて、頼んだ時に、ダメ!って断られたことがあり、ずっと泣いていたことがあったため、そんなことになったら悲しいから、1度交換したカードは返してもらうのはないよ。と、強く言っていた。

しかし、私と太陽の気持ちとは逆に、カード交換した後から、やっぱり返して。とか、子供が言えないから、親が言ってきたりすることもあった。

親の手前、こちらの主張ばかりが出来ないところが厳しい状態でもあった。

そんな時に空気を読め!と5歳児に思いは伝わらず、相手のママが、

「ごめんよう、〇〇が交換したんだけど、やっぱり返して欲しいって言ってるんよー」

それに対して太陽は、

「嫌だ!ママと約束したもん。交換する時にちゃんと話をして交換するって。」

「交換したら返しては無いよ!」て。


言っちまった.....。


私は苦笑いで、カードでトラブルがありすぎるから、決まりを作ったのよ。

と伝えた。


そうよね。ごめんね。

〇〇は、よく分からずにしたみたいで、今度から気をつけさすから、今日は返してもらえないかな。


私も、太陽との約束があるだけに強く言えないし、

相手のお母さんが言ってる事をそのまま言った。

太陽も、しぶしぶ返した。


またある時は、たかし君家に遊びに行った時に、知らない間にカードをもらってたみたいで、帰りの車のなかで、

「ママ!たかし君にカードもらった!」

え?

交換?

うんん

いい!って言ったけど上げる!ってくれた。

「ほんとに?頂戴ちょうだい言ってないのに、くれたの」?

うん。

分かった。

その日の夜長々とたかし君ママからメールが入った。

内容は、

今日たかしが太陽君にカードを渡したみたいだけど、あれは私たちがたかしの為に買ってあげたカードなので、返してください.....。

という内容でした。


私は太陽が言ったように、今日遊びに行った時に、たかし君が上げる!と言ってくれたこと。

交換ではないから、貰えないと言ったが、いらないからあげると言ってくれたことをメールで返した。

何かが違う

何か違和感を感じながら

次の日カードを持って行った。

何だか、たかし君ままは態度が悪かった。

たかし君ままとは何だか距離を置きたかったのだが、子供達はそんな母達の気持ちは知らんぷりで、また遊ぶ約束をしてきた。

2人は仲良しなのかどうなのか良く分からないが、約束をしてくるのはお互いにたのしいからだろう。


ちょうど夏休みになったので、無料で入れるプールがあるのでそこに一緒に行くことにした。

何だか最初の頃より距離を感じながらも、太陽の為と、頑張った。

プールにはいり、出てから畳のお部屋でゆっくりできる施設で、子供達もはしゃいでいた。

ひまわりのおしめを交換してくるので、太陽をお願いします。

と伝えて、おしめ交換をして帰ってきたら、押し入れの奥で太陽が泣いている。


え?どうしたの?


すかさずたかし君ままが、

「棒を持って遊んでて、たかしを太陽君が叩いたから、叱ったんよ」。


冷たく言った。顔も無表情。

太陽に聞いても、泣いてるばかりで何もわからないから、とりあえず、ごめんなさいと謝った。

こんな空気だし、それ以上一緒にいるのが苦しくなったので、ひまわりが下痢気味だから、先に帰るね。

と、下手な嘘をついてその場を離れた。

太陽は、しょんぼりしていた。

少しづつ話を聞いたら、遊んでて当たっただけだという。そうしたらたかし君が、泣いたのだろう。

その後、叱られたようだ。

きっと、太陽にとってとても恐怖の時間だったに違いない。

叱り方も何となくわかる。

優しいなんてつかない、感情的な感じだと思った。

何ぶん、見ていないから、なんとも言えないのだが。

でも、怖かったのは確かだ。

可哀想なことをした。


夏休みがあけ、幼稚園が始まった。

相変わらずお約束の嵐だが再びやってきた。

5歳になってから、遊ぶ友達も少し変わってきた。

太陽より大人しい感じのしゅうちゃん。

しゅうちゃんとは、何度かお約束で遊んでいる。

そのしゅうちゃんと、今日も約束をしたようだ。

帰りに、お母さんに聞いてみた。すると当の本人のしゅうちゃんが、あまり乗り気ではない感じだった。

私は太陽に、また次にしたら?と聞いてみた。

すると、太陽は

嫌だ!遊ぶって言ったもん。の一点張り。

これは困った。

最近、太陽の友達とのトラブルが耐えないので、色んな書物を読んだり、人に聞いたりして、太陽に対する接し方を少し変えてみた。

それは、こちらから一方的に言うのではなく、十分太陽の気持ちを引き出してやり、気持ちをしっかり聞いてやる方法だ。

その日も、しゅうちゃんとの約束トラブルで、帰りに話をした。

話をしたというか、こちらの気持ちは伝えていた。

しかし、しゅうちゃんのままは、何を聞くでもなく、ただ、困ったもんね、と言わんばかりの顔でこちらをチラチラ見ながらしゅうちゃんの横にたっていた。

太陽は、しゅうちゃんと約束をした。その事を伝えた。そうしたら、しゅうちゃんは、遊びたくなさそうな感じをままに伝えていた。太陽に、私は、しゅうちゃん今日は、ダメなんだって。帰ろう!と言っても、太陽は、余程遊びたかったらしく、嫌だの一点張り。

無理矢理連れて帰れたが、それでは、太陽の気持ちが宙ぶらりんになってしまう。私が気持ちを分かってやらなきゃ。太陽はダメになる。

そんな気持ちがあった私は、雨が降ってきても、その状態からどうすることもできなかった。

何故何も言わないのだろう。

呆れたような、困ったような顔をしたしゅうちゃんのママは、相変わらず何も言わない。

一言、太陽に、

太陽君と約束したけど、今日しゅうちゃんは、用事があって遊べないのよ!

約束したのに、ごめんね。とでも、言ってくれれば

太陽も諦めがついたであろう。

結局、最後はまあ、今日は、もう帰ろう.....

なんて、曖昧な感じでさようならした。

もちろん太陽は、納得が行ってないし、私ももやもやしていた。

次の日、担任のともこ先生から、昨日は何かひつこかったんだって?

「え?」

まりこ先生が昨日のことをおしえてくれたのよ。

「いや、あれは....」


太陽くんのお母さん!

ああいう時には、無理矢理でも引っ張って帰らないと!!

「?....」


何?何だか、太陽と私が悪者になってる。

何この感じ....

更に追い討ちをかけるようなことがおこった。


少し前から、太陽絡みでトラブルになっていたケンくんのままが、どうやら私に怒りを顕にしているということだ。

ケンくんともよく遊んでいたが、ある日を境に遊ばなくなった。


それというのも、太陽と、ケンくんが喧嘩をした時に、やられたらやり返せ!怪我したら慰謝料払ってやる!

と、私が言ったというのだ。

私にはそんなことを言った記憶が全く無いために、どこからそうなってしまったのか悩む所だった。

旦那のまさきが、学生の頃喧嘩をするなら、自分から行くな。

1発目は我慢しろ!

2発目されたら、殴れ!

と言われていたらしく、その事を話したことがあったのかどうかも定かではないし、その後の慰謝料なんて話、自分でも絶対言わない言葉だけに、かなりショックだった。

その事を、ともこ先生にケンくんのままが相談し、それを私に言ってきたのだ。

当然、ともこ先生は私がそんなことを言わないわよね!って思っていると私も思いながら話をした。

すると、ケンくんのままは、太陽君のお母さんがあんな事を言うから凄く怒っているよ。

近々話をしないとね

「でも、先生、私がそんなことを言うと思いますか?」

ともこ先生は、ん.....

と、言葉を濁した。

私は唖然だった。

私が何をしたというのだ。先生にまで、信用して貰えないなんて、どういうことだろう。

更にさらに、悪いことは続いた。

しゅうちゃんままと仲のいいかずくんままが夜電話をしてきた。

この前、やらかしたんだって?

「やらかしたってなんのこと?」

しゅうちゃんと約束したって言って、雨が降るのに、引かなかったんでしょ!

「いや、あれは、太陽が約束をしたって言ってたから、しゅうちゃんにどおかなぁ?って聞いてただけで、用事があるとか、遊びたくないとかなら、しゅうちゃんままが、一言そう言ってくれたら良かっただけだとおもうけど。」

何かね、しゅうちゃんは、太陽君と遊びたくないらしいよ。だけど、太陽君押しが強いから断れないんだってなやんでるみたいよ。

幼稚園でも、あれして、これして!って、パシリみたいにされるのが嫌だって言ってたよ。

「そう ...なん...だ」

なんだか色んなことが頭をぐるぐるして倒れそうだった。

何だか皆、付き合いにくい。自分達の主張が正しいと思い込んでる。

私が何か間違えていたのなら、あなた達も、間違えているのでは?

私は自分が1番正しいとは思わない。

でも、何かがおかしい。

この頃からケンくんままは、私をみても無表情で通り過ぎる。

私も、悪いことをしていないのに、罪悪感を感じることは無いと、私も無表情で通り過ぎた。

少しづつ園にいるのが窮屈になっていった。

変わらなく接してくれるまま達もいたのだが、そういうママは、本当に心優しいママで、唯一園に行くのにささえらた。

ある日帰る時園から出る時に太陽がケンくんを蹴ったと、ケンくんままが怒りを顕にしてきた。

太陽によると、先に蹴ったのはケンくんだと。

怒り狂ったケンくんままは、太陽に対して、「なんで蹴ったの?」と強い口調で言ってきた。

私は蹴ったことは悪いから太陽に謝らした。

最初に、ケンくんが蹴ってきた!って言ってるんだけど、

「ケンは蹴ってない!って言ってる、」

そんなことを言い出したらきりがない。

何が正しいかなんて、子供達の間にしか真実はないのだから、それをどこまで親が分かってやるか。

私は、トラブルが起きた時、自分の子供を信用するということと、相手の子供の意見を聞き入れないと言うことはイコールではない。

太陽の気持ちを聞く。話を聞く。と同時に、相手の子の話や気持ちを聞く。それから、話し合いをする。

でも、私が大きく間違えているのか。

太陽が通う園には私と同じ考えの人が少ないような気がする。先生までも。


少しづつ私は心が病んでいき鬱状態になった。

顔からは笑顔が消え、太陽が園庭で遊ぶ姿も、以前のように微笑ましく見ているのではなく、鋭い目で監視するようになっていた。

その頃私の母が私の異変に気づき遠い道のりをわざわざきてくれた。

後から聞いた話によると、その時母は1度家に帰ったが、今の状態でほっておく訳にはいかないと、1度帰り、また次の日にきてくれた。

母は、色んな趣味を持っていて、サークルに入ったり、施設にボランティアに行ったりしていたので、スケジュールの調整が難しかっただろうが、娘の一大事に飛んできてくれた。

有難いことだ。

実は、1度母が帰った時に、まさきがこっそり母に電話をしていたらしい。

内容は、

日中心配だから、来れないか。と。

母は、まさきが言うまでもなく、帰る時に、こりゃダメだわ。明日も来よう!ともう既に来るつもりだったという。

実際母がきてくれたことで、何が変わるって、特に何が変わる訳では無い。

だが、太陽やひまわりのお世話が任せられる。

それだけでも、少し気持ちが楽だった。

母は、夜までいてくれて、夜ご飯も、次の日のおかずも色々してくれた。

太陽とひまわりが寝てから、「帰るね!」

「また来るから。頑張らなくていいから」

「何かあったらすぐ呼びなさい」

と、帰っていった。


太陽が幼稚園に入ってから、あまりにも色んなことがあり過ぎた。

1人で抱えてぱんくして、辛くて、辛くて、涙がいっぱいでた。

ある晩、私はまさきにこう放った。

「もう無理だ」

「もう、子育てしていく自信が無い」

「もう嫌だ、どうでもいい!」

すると、まさきは困ったように、

「でも、いっちゃんがそんなことを言ってたら、太陽はどうなる?」

「気持ちは分かるけど、いっちゃんが頑張らないと...」

私は頭の中が真っ白になった。

涙がいっぱいでた

「がんばれ?」

「何を頑張るの?」

「もうこれ以上、何を頑張るんよー!」

私は喉がちぎれるくらい

叫んだ。

悲しいのか、悔しいのか、辛いのか。

感情がわからない。

訳がわからないけれど

涙が止まらなかった。


どんなに辛くても朝がきて、また現実がやってくる。

私は決心した。

幼稚園についたら、さくら先生に、話をした。

「太陽を連れて児童相談所に行きます。」

「もう、辛くて耐えられない。」

すると、さくら先生は、優しく

「たいちゃんはいい子よ」

「お母さんも、いっぱい頑張ってる。」

「大丈夫よ。大丈夫」

さくら先生の言葉に、昨日で、もう無くなったと思っていた涙が、また溢れてきた。

さくら先生は、私の背中を擦りながら、大丈夫だから、大丈夫だから。

と言ってくれた。

私は、うん。うん。

と頷くことしかできなかった。

それからさくら先生は、児童相談所に行くには、幼稚園に通っている以上、園長先生の承諾がいることを教えてくれた。

私が、園長先生に話をしてみるわ!と、さくら先生は言ってくれた。

幼稚園のお迎えの時に、園長先生から呼び止められた。

園長先生は、「だいたいはさくら先生から聞いてるわ!大変だったねぇ!今度、太陽君のお母さんのお話を聞きたいから、時間を少しとれるかな?」

私は園長先生に合わせます。でも、できるだけ早くが良いです!お願いします。

と伝えた。

その日は、すぐ設けてくださった。

私は何故児童相談所に行こうと思ったか。

今まで何があったのか。

1時間ぐらい喋った。

園長先生は、太陽の様子を知った上で、児童相談所に先に行くのではなく、1度こちらに任せては貰えないか。と言ってきた。

園には、市から子供達の成長を詳しく見てくれる団体があり、毎年園に来て視察してくれているそうだ。

その団体の先生に相談してみるので、少し待っていて欲しい。と言われた。


次の日に園長先生が、市の方と話をしたので、今度は直接、そちらに行って話をして欲しい。と言われた。


市の団体の方は、高岡先生といわれる女性の方だった。

高岡先生は、主に、市が運営する、不登校の子供達が、通う施設でお仕事をされている先生だ。

高岡先生は、自己紹介をさっさと済ましたら、私の事を聞いてきた。

どういう経緯で児童相談所に行こうと思ったか。

それについては、だいたい園長先生の方から聞いていると言われた。

私が現在どういう精神状態かということも、だいたい把握していると言うふうな口ぶりで、話を進めていった。


お母さんとしては、太陽君が、精神障害とか、いわゆる、何かしら障害があるのではないかと思っていて、それを明らかにしたいということですね。

「はい、そうです。」


私は、太陽が入園してから今に至るまでの事を高岡先生に話した。

高岡先生は、優しく、お母さん頑張ったねえ。

と言ってくれた。

また涙がでた。

ほんとによく頑張ってきたわ〜!

と。優しく言ってくれた。

今度私が太陽君に直接会えるように園長先生とお話ししてみるね!

それからまた、私と会ってくれますか?と言われました。

「わかりました。」

「お願いします。」

も〜!そんな固くならずに。リラックス。リラックス。

と高岡先生は私の肩をトントンと軽くたたいた。


それからひと月ぐらいたって、高岡先生からお話しをしたいと連絡があった。

私は身体が固まった。

もし、太陽に障害があったらどうしよう。どうやって育てていけばいいのか。

私みたいなダメな母親に、ちゃんと育てられるのだろうか。

たくさんの重い気持ちが乗っかってきた。

とうとう、話しを聞く日がきた。

高岡先生は、前回と同様に笑顔で迎えてくれた。

私は、社交辞令でも笑顔ができなかった。


「まず、単刀直入に言います!太陽君は、いっさい障害はありません。」

えっ!

は、!

本当に?

「はい!大丈夫よ。」

私は、一気に体の力が抜け、気がつくとポロポロと涙が出ていた。

でも。その涙は、不安や、苦しみではなく、悲しみや怒りでもなく、

気がついたら笑いながら泣いていた。

高岡先生も笑っていた。

高岡先生が、そう言える根拠は、実際に三日間、太陽のクラスに入り、一緒に遊んだり、お弁当を食べたりと、自然な姿の太陽をいっぱい感じられるように、

時間を割いて下さっていたのだ。

その事にも感謝し、感動した。

太陽君は、少し周りの子より成長が早いから、皆のお兄さん的存在で、周りの子が、太陽君!太陽君!と、まとわりついていて、頭の回転も早いから、次に次にと遊ぶ事を思いついて、行動にでるから、まだ太陽君より幼いお友達は、ついていけなくて、泣いたり。怒ったり。

だから太陽君が、泣かせたり、意地悪なことをしたりしているのではない。

元気にいっぱい遊んだんだよ〜!楽しかった〜!

と、高岡先生は言ってくれた。

それと、お母さん!

児童相談所に行かなくて良かったね。

「えっ!」

もし、児童相談所に行っていたら、太陽君酷いことになってたよ。危ない危ない!

それというのは、太陽君は、頭が凄くよく回るのね。

だから、ああいうとこらに行って、次に次に検査していってるうちに、何で僕がこんなことをしないといけないんだ!て、強く思ってしまうのだと。

だから、何もなくて行く必要がないのに、行ってしまったことで、精神状態がおかしくなるところだったと先生は、言った。

私は、一瞬身震いがした。

私はなんてことをしようとしていたんだろう。

危なかった。

最初に話をしたさくら先生。力になって下さった園長先生。そして、私にホッとするプレゼントをくれた高岡先生。

外には。私のみかたになってくれる人なんていない!と思っていただけに、凄く凄く嬉しかった。

私は、深々と頭を下げた。

「本当に、本当に、ありがとうございました。」

「今までつっかえていたものが、とれました。」

「これで、また、頑張れます」

いやいや、もう十分頑張ってるよ!それ以上頑張らなくて良いよ!ね。

と、最大のホッとする言葉を、気持ちを、もらいました。


また、何か、相談したいことがあったら、言ってね。

と、高岡先生はそう言って、仕事場に戻られました。




ひまわりもスクスクと元気に成長し、幼稚園に入りました。ひまわり3歳の春。

お家の関係で、太陽とは違う幼稚園に通うひまわり。

私にとっても新鮮な感じで、良いことがありそうな予感!


ひまわりは2月産まれなので、3歳になったばかりで入園しているので、4月産まれの子に比べると身体から、見た目の幼稚さや、喋ることから、全て幼かった。だが、小さい幼稚園児は、元気に走り回り、直ぐにお友達と仲良くなった。

私にとってもとても新鮮だった。

ひまわりを通じて、私にも新しいママ友ができた

その人はしょうこさんといって、いつもにこにこしていて、いつも綺麗な服を着ていて、誰とでも、気軽に話せる社交的な方だ。

私も直ぐに馴染み、よく、おしゃべりをした。

時には。ランチに行ったりもした。

しょうこさんの悩みを聞いたりしたこともあった。

お金持ちだけど、それをひけらかさない、自然さが、好感を持てた。

太陽が幼稚園に通っていた時には、感じることがあまりなかった、嬉しさや、驚きや、楽しさを

ここでは、感じることができた。

太陽がしていたように、ひまわりもお約束をして帰るようになった。

遊びに行かせてもらって、時間になったら迎えに行く。

お約束が難しい時には、幼稚園で少し遊んで帰る。

何だか、当たり前なようで当たり前ではないような

不思議な感覚だった。

最初に感じた、いい予感は、当たったのだ。


太陽は1年生。近所のお兄ちゃんお姉ちゃんと一緒に

小学校まで歩きます。

大きなランドセルにまだまだ、小さな身体。

家から集合場所までの道のりの間に、直線が50mほどあり、その直線を行き、曲がり角で曲がるまで太陽が行く姿を見送るのが毎日の私の勝手な決め事。

あの直線を行く後ろ姿を6年間見守った。

時々後ろを振り返り手を振っていた1年生が、学年が上がるにつれ、振り返ることはあっても手を振るのはだんだん照れくさくなったのだろう。


小学校に入ると、太陽の通った幼稚園の子も、半分ぐらい違う小学校に行ったり、よその幼稚園からきたり、保育園からきたりと、以外とマンモス校だ。

幼稚園の時には気にもしていなかった、自分の体毛について、嫌な気持ちになることが増えていった。

それを初めて感じたのが1年生の夏だった。

クラスの子に

「太陽君はなんでそんなに毛があるの?」

と聞かれたそうだ。

それまで気にもしていなかったことを言われた太陽は、次第にいけない事だと、自分だけ何か違うと

少しづつ思うようになっていった。

先生に、ありのままをお話しして、気にかけて貰うようにした。

毛深いことは学年が上がるにつれ、言われる言葉もきつくなっていった。

高学年には、ゴリラって言われたこともあったようだ。長袖を着ていても、ちょっとめくって!

と、女子が言ってきて、太陽が、「はぁ?嫌だ!」

って言うと

太陽は毛がすごいんよ!

ってバカにしたように言われたそうだ。

腹が立って、殴りたかったけど、母さんが、女の子は特に殴ったらいけない!って言ってたから、我慢した。

凄いよ!偉かったねえ。

嫌だったねえ。

そんな言葉をかけても太陽の心は回復しないことは分かっていた。

インターネットで、肌にやさしくて、毛が薄くなるローションを購入してみた。

きやすめだろうが、少しでもと望みをかけた。

結局使い切っても毛の量は減らなかった。

太陽の体毛は、同じ年代の子に比べて量が多かった。発育が早いんだよ。

って言っても、なんの解決にもならない。

でも、太陽は、1年生から6年間ずっとプールは入り続けた。

きっと、私が知らないだけで、色んな悪質な言葉がけや、態度に、心を痛めることが、度々あったのだろう。

その事を後に太陽が私に勢いよく言ってきたことがある。



小学校に入ってからの友達付き合いは、また変わった。自転車で、行ったりきたり、と、ガラッと行動範囲が広くなった。

それでもあまり変わらないとこは、自分の家が1番落ち着くこと。

だから、遊びに行くよりも、ほぼ毎日のように友達が遊びに来ていた。

毎日、2人以上は遊びに来ていた。

外で、サッカーをしたり、砂山で遊んだり、カードゲームをしたり。テレビゲームをしたり。

太陽は、少々ストレートに物を言うことがあり、喧嘩になることも少なくなかった。

そんな太陽を利用して、

「なぁ太陽、あいつが嫌なこと言ってたぞ!」と、ケンカをしかけられたりしたこともあった。

そういう子は決まって、弱い奴だ。

気に入らないことや、少し自分の思い通りにならなかったら、泣くやつ。

太陽は、そんなやつが嫌いだった。

そして、その、泣き虫ちゃんが泣くと、決まってモンスターが立ち上がるのだ。

太陽は、その光景を、またか、あの親ばか。と、ぼそっと呟く。

モンスターは、我が家に来たり、別の子の所に行ったりして、理由を話さず泣いている我が子に代わって、事情聴取をしてまわる。

ご苦労なことだ。

太陽はそんな親子が嫌いだ。親ばか!

と吐き捨てる。

でも、その親ばかぶりを、私に求めていたのではないかとも、後になって思ったことがある。

直球で言葉を投げても、トラブルになっても、

太陽の周りには、ほぼ毎日、誰かがいた。


私は、小さい時に、友達とトラブルがあったり、先生が嫌だと文句を親に言うと、お母さんは、そうだね!とは、絶対言わなかった。それどころか、そんなことはない!

と、必ずと言っていいほど

否定の嵐。

それが観念として

私の中に埋め込まれた。

親になった今思うと

良い観念なら良いけれど、間違った観念や、凝り固まった観念を、子供に植え付けてしまうことが

子供や、自分自身の人生をどれだけ左右するか

親の生き方が問われるところだ。

としみじみ思う。



そう言えば

こんな事があった。

太陽が幼稚園時代の事だ。


私も、もう疲れ果てていた。

ある日、私の姉がある提案をしてきた。

スピリチュアルカウンセリング

どう?

「どう、って?」

姉は、あまりにも私が、何か黒い物体を身体中に背負っている感じが、いたたまれなかったらしく、以前自分が行ったことのある、スピリチュアルカウンセリングを進めてくれた。

私はテレビか何かで観て聞いたことがあった。

不思議と、当時テレビをつけると、90%の確率でスピリチュアル番組がやっていた。

特に曜日も時間帯も気にしていなかったが、何か、引き寄せられるものがあったのだろうか。

そんな不思議な事があった時に姉からの話しだったので、重ね重ね不思議だった。

まさか自分がそういう体験をするとは思ってもいなかったので、とりあえず姉にどんなものか話を聞いてみた。何となくはテレビのスピリチュアル番組でみていたので、あまり怖さはなかった。

話を聞いて、私は、そのスピリチュアルカウンセリングに、興味をもった。藁にもすがる思いで、そこに連れて行ってもらった。

それがスピリチュアルカウンセリング先生との初めての出会いだった。

姉が入口まで着いて行ってくれた。

普通のコンクリートでできた、特に新しくもなく、ごく普通のアパートだった。姉に手を振って、深呼吸して中に入った。

テレビで観てなんとなく想像していたのとは、全く違い、がらんとした殺風景の感じで、髪の長い、少し目が鋭い感じの綺麗な方と、いかにもお手伝いさんのような40代くらいの方と2人いた。

白い紙を渡され、生年月日と、大まかに何が聞きたいか書いた。

その後いよいよ始まった。

テレビで観たような、静寂な時間が流れた。

私をじっと見るなり、静かに私が1番聞きたかった、私が1番欲しかった言葉

「たいよう君は」全然大丈夫。

「あなたも、ちっともおかしくないわ」

「おかしいのは、周りのお母さん達だね」

全身の力が抜けて

ポロポロと涙が出てきた。

病気もないし、障害もないよ。

そこから、普通の人からは聞けれない話を

たくさんしてくれた。

1時間半ぐらい居たかな。

身体が軽くなり、軽い足取りで、姉の待つ場所に行った。

行く時にはあんなにどんよりしていたのに、向日葵をまとって帰ってきた私の姿に、姉も父もホッとしたらしい。


そこから、少しづつ体も心も、ほぐれて行った。

スピリチュアルに、関しても、もっと関心を持つようになった。

私自身、救われた!という強い気持ちがあったし、どうだ、周りのおかんども、やっぱり太陽はおかしくなかったぞ!という気持ちが、溢れていた為

スピリチュアルって凄いんよー!って友達にはなしたりしていた。

一時は、スピリチュアル先生のおかげで、気持ちにゆとりがあったのだが、そうそう簡単にはいかないのが世の中で、また、次から次へと太陽は加速して行った!

だか、幼稚園の時よりも、親との付き合いは距離があったので、まだマシだった。

太陽は友達は多く、くちが悪い時はあるが、優しい奴で、面白い奴だもんで、いつも周りには誰かがいた。


高学年になり、少し横にぽっちゃりしてきたが、本人は、さ程気にはしてなかった。

が、いつからか、ふと気づいたら、仮病を使うようになっていた。

後から思うと、その時、その時を、もう少し、いや、もっともっとたくさん

太陽の、気持ちを分かってやるべきだった。

仮病を使う、学校を休む。

このまま行かなくなったらダメだ!

何とか行かせないと!

そんな気持ちが先行してしまい、本当の意味で太陽に、寄り添ってやれてなかったと思う。

太陽は、私の気持ちとは、磁石のように、仮病が多くなっていった。

学校にも、毎朝連絡をすることも、しんどくなって行った。

同じような日が飛び飛びで続き、学校に、行った日は、帰ってから友達が、遊びにきたり、外で遊んだりと、楽しそうだった。

じゃあ次の日は大丈夫だろうな!

と思いとは逆に、次の日朝には、また仮病。

一体なんなんだ!

と思う気持ちが、怒りになり、不安にもなり、太陽の気持ちを他所に、朝から口論することが増えた。

次第に、どうしても行きたくない気持ちが爆発し、なんてしてでも行きたくない気持ちが、暴力となってあらわれだした。

担任にも話を聞いたり、友達にも、話を聞いたりしても、いまいち何が原因なのかが分からなかった。


ある日、学校から帰って来るなり顔を、真っ赤にしてすごい剣幕でもう学校やこういかん!と、怒鳴り散らした。

とりあえず落ち着いて、話をしよう、と言い、まだまだ怒りが収まらない中、話をしてくれた。

どうやら、先生に罵声を浴びせられたようだ。

事の発端は、担任が生徒に舐められていて、太陽のクラスは学級崩壊していた。

その日は、担任が教室にはいれないような細工を、クラスの子がしたようだ。

案の定、担任は埒が明かない。すると、迫力と、威圧感と、デカい声で出来上がった、学年主任とは肩書きで、ただ生徒をビビらせる為の奴らがやってくるなり、「おい!開けろ!」とまあ、お決まりの罵声を浴びせる。

たかだか小学6年生の子供達には、怯えさすには充分だ。誰かが戸を開けた。

何もかもでかいだけの奴らはドカドカと入ってくるなり、教室の1番端にいた太陽に向け

「おい、大野!誰がやったんなら」


知りません。


「誰がやったんならいようるんじゃ大野太陽!」


....。


何もかもでかいヤツらは、たかだか11歳の子に向け罵声を浴びせ続けた。


結局誰がやったかは、でかい奴らには聞き出せなかった。

そりゃそうだろう。


音が繊細な太陽は、そんな何もかもでかいだけの奴らの餌食となった。


太陽が帰って来て話してくれた時

太陽は、ホンマに知らんかったん?

と聞くと、

そんな訳ねーわ知っとるわ

じゃけど友達売るようなこと出来んが!

と、太陽

私は太陽を抱きしめた!

偉いねえ!

よう、守ったねえ!

辛かったねえ!


太陽は、まだまだ興奮が収まらず、何とかしてくれえ!あのクソを何とかしてくれー!

と、泣き叫んだ。


私は次の日先生と話に学校に行った。

何故か教頭先生が対応してくれた。

どういうことがあったのでしょう?

と、問われ、そこから先生の目を見ながら、昨日のことを話した。

話しだして、気づいたことがある。

教頭先生は、ノートみたいな紙に、何やら綴っている。

しかも、話を聞いているのか、事の重大さを分かっているのか、ほとんどこちらを見ることがなく、感情のない相づちを打ちながら、その時間は淡々と終わった。

最後に教頭から出た言葉は、謝罪のしの字もない、「はい。わかりました。関わった教員に話を聞いてみます」。

それだけだった。

太陽の様子や、太陽の気持ちなどには一切触れなかった。

私は呆気にとられた。

これが学校か......

落胆した。

当然太陽は学校に行くことをしぶった。

その時の事を母に話をしていたのだが、母も父も、真面目な人だけに、よりいっそう、太陽が学校に、行かないことはダメな事としての重圧が私を襲った。

ある朝、母からNHKを見てご覧!と、電話があった。直ぐにつけてみた。

不登校についての回だった。その時衝撃だったのが、起立性調節障害。という、自分ではどうにもならないものに一生懸命戦っていた少年が、出ていた。

世の中には、色んな病気があるもんだと目が釘付けになった。

不登校イコール怠けではない。

目からウロコだった。私の中で、仮病、学校を休む、すると、不登校に、なる。

という、生活スタイルは。絶対ダメだと、偏った考えでしかなかっ。が、番組を、見て、その考えは一変した。

と思うと私は、太陽に

「太陽、しんどかったね。ごめんねぇ。休んでいいよ」と、言っていた。

口先だけでなく、

心から言っていた。

その瞬間、

「え?良いん?ほんとに?ほんとに?

ありがとう!」と

久しぶりにホッと緩んだ笑顔の太陽がいた。

私は、なんのために、その日まで、頑なに、太陽の笑顔を、奪っていたのか。

同時に、私自身も、目に見えない、間違った当たり前の日常から解放された。

休んでいる太陽を見ても、イライラすることはなく、一緒に遊んだりも自然と出来た。

そのひから、学校には、これからは毎朝電話をすることはやめますと、承諾を得た。


もう少しで卒業....


担任は、義務的な感じで何日かに一度訪問してくる。

その時太陽は、一度も顔を出さない。

太陽の感はわりと当たる。

相手に気持ちがあるかないか

お見通しだ。

先生、度々ご苦労さまですが、太陽はあなたの心を見透かしていますよ!

と、私も思いながら、毎回同じような話をして、苦痛な時間を過ごす。


このまま過ぎて行くのだろうか。

誰も力になってくれない。

やはりドラマはドラマだ。

熱血教師のドラマをみては、涙を流し、こんな先生いたらいいな!で、おわる。

現実は厳しいもんだ。


ネットで調べた。

学校に行けれない子供達に....

NPO法人 と書いてある。

なんかうさんくさくなさそうな感じだけで、選ぶのもどうかと思ったが、何でも良い!すがりたかった。

もちろん料金はいる。

太陽は外には出たくない!

というので、来てもらうしかない。

プラスの出張料金だ。

仕方がない。


NPO法人田中さん

初めまして。

普通の服で、ぽっちゃりで、怪しいような怪しくないような人が立っていた。

よろしくお願いします。

とりあえず、事の経緯を話した。

田中さんは、こんなことは珍しくないといった慣れた感じで、お話をきいてくれた。

とりあえず、今は、太陽君が元気になること。それに向けていくつかして頂くことがあります。

1つ目は

太陽君が言うことは全てNOと言わない。

2つ目は、したいことをさせてあげてください。


まあ、1も2も似たような感じだが、

ここからが、異空間の始まりだった。


その日から、1週間に一度来てくれることになった。


あれ食べたい。

あれ欲しい。

あれして。

これして。


いつしか、よく言えば召使い、悪く言えば奴隷のようになっていた。

どうしたら良いのかわからない。

考えてもわからない。

しかし、田中さんはこういう。

良いんです。

このままで。

私は、田中さんを信じるしか方法がなかった。

次の田中さんが、来た日

太陽を呼んでくれと言われた。

太陽は嫌だと言ったが、

しぶしぶきた。

田中さんは、自己紹介をあっさり終わらせると、太陽の好きなゲームを尋ねた。

そのゲームは田中さんも好きでしていたので、話は早かった。

一緒に、しよう!

そこから、次の時も。また次の時も田中さんは来たら太陽とそのゲームをやっていた。

少しづつ太陽も口数が増え、楽しそうには見えないが、嫌そうではなかった。

田中さんが、帰ったあと

「あの人もう来んくて良い!」

えっ?

なんで

「なんのために来とん」

「お金払っとんだろ?」

「来てゲームしよるだけだがん」


太陽がこんなことを思ってたなんて.....。

次の時、田中さんは、新しいゲームの名前を私に言い、これを、買ってください。と言ってきた。


田中さんが帰ったあと、半信半疑でゲームを買いに行った。お金はだんだん底を尽き、ギリギリの生活の中、この鉄砲のゲームが今のこの現実に何をしてくれるんだろう....

しばらくゲームのケースを持ったまま、ぼーっと立ち尽くしていた。

ふっと我に返り、もう考えることなくレジへと持っていった。

次の週、田中さんは、いつものようにやってきた。田中さんはおきまりの挨拶をすると、ゲームは買われましたか?

と尋ねてきた。

「はい!言われていたのと同じだと思いますが.....どうでしょう」


これですこれです!

これは1人用なので一緒には出来ないんで!

「は?」

「え?一緒にするんじゃあないんですか?」

はい。

太陽くん!

これはまた1人でやってみてなあ!

と言って、その鉄砲のゲームに関しては終わった。


じゃあ、別のゲームをやろうと言い出し、前回したゲームをすることになったが

太陽は半信半疑だった。


そう。前回田中さんが、帰った後に太陽が言った気持ちを思うと、田中さんの存在はどうなのか分からなくなってきた。

ただ、私の中には太陽が卒業式にでることが目の前の目標だった。何故そこまで卒業式にこだわらなくてはいけなかったのか。自分でもよくわからない。そうすることが普通で、そうしない事が、世間から外れて、ダメなことで、この子の人生において何らかの支障をきたすのではないかと、思ったのであろう。


田中さんが帰る時、玄関まで見送る。

その日は太陽も見送りにでてきた。

田中さんには、太陽を卒業式にださせたいということを伝えていた。

田中さんはおもむろに、

「太陽くん!卒業式でたい? 」

すると太陽は「でたくねー」と言った。

そうなんですよ!お母さん!

これが本音です。

と田中さんはたんたんと言った。


今目の前で、なにがおこっのか、頭が真っ白になった。毎日毎日、私の頭の中は、太陽が卒業式にでること。それをこんな簡単に、ゼロにした田中さん。

何のために出張費まで払って、きていただいていたのか。

一体この人はなんなんだ。

怒りすら覚える。

卒業式。なぜそんなに重要視していたのかさえも分からなくなった。

その後田中さんとどう挨拶して、見送ったのか全く思い出せなかった。

太陽は、あんなんでても意味ねーし。

でるわけねーが。

と言い放ち部屋に入った。


太陽が学校へ行かなくなってから、ふみさんが私の心の支えとなってくれた。

ふみさんは、太陽の友達のお母さんで、1度役員を一緒にしたことがあり、現在の太陽のことを知った時、改めて声をかけてきてくれた。

田中さんに言われたことを、ふみさんに聞いてもらった。ふみさんも、怒っていた。私には、こうやって、感情を共有してくれる人が必要だった。

ふみさんは大丈夫。太ちゃんなら大丈夫だ!

と、励ましてくれた。

相変わらず担任は、とりあえず感半端ない訪問を何度か繰り返した。

希望を失った私は、特に、この担任にも前から期待はしていなかったが、更に期待感は無くなった。

新しいゲームにかかるお金。

唯一外にでるきっかけの外食。

しかも同じ場所ばかり。

まだ私が働いていたから、何とかやりくりはできた。


少しづつ、卒業シーズンの歌があちこちから聴こえてくる。

うっとうしい。何が卒業だ。

どうでもいい。


ある日、ふみさんからでんがあった。

卒業式の日、式が終わってから太陽と一緒に学校に来て欲しいと。

どういうことか分からなかった。

担任から。卒業式に出ないなら、式が終わったあと。校長室に卒業証書を取りに来てください。

と言われていた。

なので、太陽に言ったが

「そんなもんいらん」

「あんたが取りに行ったら!」

と言われていたから、私だけ取りに行く予定だった。

ふみさんが、太陽の同級生の子達とはなしをしてくれていたようで、式の日、一旦皆さんは自宅に帰り、午後3時頃、またきてくれるということらしい。

太陽にその事を話し、行ってみよ。

とうながしたが、首を縦にはふらなかった。

まあ、もう少し時間があるからな。考えとって。

おそらくだめだろうと、諦めていたが、式の日太陽は行くと言ってくれた。

予定通り3時前に学校に到着。ふみさんや、息子の竜くんや、気にかけてくれていた同級生の女の子が待っていてくれた。

太陽は恥ずかしそうにしていた。

ふみさんは太陽を気遣いながら優しく声をかけてくれた。

友達も、元気?待っとったんよ!

と、こえをかけてくれた。

じゃあ、とりあえず証書を取りに行ってくるわ。

校長室に近い玄関まで行くと、ずらずらと先生が並んでいた。

太陽が6年間ここで過ごしたのかと思えない

先生方の、反応にはガッカリした。

20人程の中で、太陽に触れながら声をかけてくれた先生は、保健室の先生と、理科の先生その2人のみだった。

こころの乏しい方が先生をしてるから、太陽のような子が減らないんだ。

痛感した。

校長室に入り、式もどきが始まった。

どうでもいい話し、

どうでもいい歌、

ほんとどうでもいいと心から思った。

私がそう思っている以上に太陽は嫌だったであろう。

簡単な、とりあえずの式は終わり、玄関に行くと、びっくりした。太陽のクラスの子がきてくれていた。花道を作り待っていてくれた。

私は、さっきまでの気持ちと真逆に、来てよかった。太陽も一緒に来てよかった。と涙がにじんだ。ふみさんや、女子達が、太陽‼️太陽!!卒業おめでとう!通ってー!と花道を指さした。

私も太陽も、今まで通ったことのない花道を、嬉しさ恥かしさを噛みしめながら通り抜けた直後、愕然とする光景が目に飛び込んできた。

太陽が、学校に行かなくなった原因のひとつの、あの先生が、たった今、太陽と私が色んなことを噛みしめながら通った花道を、両手を挙げ、小走りに、おちゃらけながらありがとう!ありがとう!と言いながら通り抜けていた。

太陽は、卒業式にお腹が痛くてでられなかったわけではない。

熱があってでられなかった訳では無い。

先生がたの心無い言動に、大人が信じられなくなり、心を閉ざしてしまい、今日という日も、本当は来たくなかったが、ふみさんや、クラスの子が用意してくれた思いに応えたい一心で、頑張ってきたのに、あいつは、あいつは.....

本当に悔しかった。

ふみさんは私に気づき、「信じられん」

と、私の気持ちを声にしてくれた。

なんであんなしょうもない奴のために太陽は

こんな目に遭わなければいけなかったのか。

しょうもない。

クラスの子や、ふみさんか、写真を撮ろう!と駆け寄ってきてくれた。

何人かづつ太陽と一緒に、写真を撮ってくれた。

太陽も、久しぶりに同級生に会って、恥ずかしそうな感じもあるが、溶け込んでいた。

ふみさんの息子の竜くんが一緒にゲームしようと誘ってくれて、太陽はふみさんのお家にお邪魔することになった。

私は家に帰ると、スーーっと息を吐き、思い切り吸って、またフーーーっと吐いた。

太陽の部屋を開け、なんとも言えない感覚に笑っていた。この、1ヶ月が、私には長かった。

いや、短かかったのか。卒業式というなんとも言えないもののせいで、神経がすり減らされている時は短かく感じ、顎で使われ、苦痛に押しつぶされている時は長く感じていた。

ふみさんから連絡が入った。

夕方太陽を送ってきてくれると。

本当にふみさんはよくしてくれる。

ふみさんのわたしや太陽にくれる愛情は、この先まだまだこんなものではなかった。


卒業式というとりあえずの区切りを終えてホッとしたのもつかの間、また、次の問題にぶち当たる。

中学だ。不安しかなかった。

太陽の様子を伺いながら、少しづつ準備をして行った。カッパのサイズ、体操服のサイズは実際に制服屋さんに行って、採寸をしてもらった。

中学の自転車は何かと決まりが多く、お値段もびっくりするぐらい高かった。運良く、その自転車屋さんに、制服屋さんが来ていて、ものすごく生地も良いし、お値段もほかの制服屋さんと変わりはなかった。また後日、家に採寸にきてくれるというのだ。

太陽にも私にも良かった。


中学校の入学説明会があり、説明会のあと物品購入がある。

太陽は行きたくない。と言っているが、竜くんと一緒に行こう‼️と何度も言ってみた。

前日、太陽は落ち着かないようで、イライラしていた。ラーメンな!

断る理由もなく、というか、明日行ってくれるための投資は必要だ。とも思っていたので承諾した。

当日の朝、太陽は熱が出た。緊張からくるものだった。私は焦った。

深呼吸をさせてみたりしたが、呼吸も苦しそうだ。大好きなゲームも手につかないといった様子だ。

説明会に行く1時間前頃になると、少しづつ熱は下がっていった。

なかなかのもんだ。

いざ行く時には気持ちが固まったのか、少し穏やかだった。竜君とふみさんが迎えにきてくれ一緒に行った。

体育館に入り説明会が始まるのを待った。太陽は落ち着かない様子だった。

それもそうだ。太陽が幼稚園時代、小学校時代を共にしてきた仲間がいる。それ以上に、会ったこともない同級生がわんさかいる。嫌いな大人達も。会ったことがない先生達も。普通の子にとっては、当たり前の空間が、太陽にとっては息ができなくなるほど、窮屈で重い時間だ。そんな太陽の気持ちを理解しつつも、私の心は安堵感に包まれていた。独りよがりの。

一通り中学校の在り来りの説明を終え、物品購入の時間となった。太陽はポケットからゲーム機をだしゲームを始めた。自分の視界に入るものに限界を感じたのだろう。本来ならダメだよ!と注意すべきとこではあるが、今の太陽の心境を思うと誇らしくも思えた。本当は、この人の多さに、わーーー!って叫びたいだろう。

あっちこっちから飛んでくる興味深々な視線から

逃げ出したいだろう。でも、太陽は耐えている。

健気でしかない。

今私にできることはいち早くこの場から太陽をだしてやることだ。そう思い、ふみさんと必死に物品購入に走り回った。

凄い人数の中何とか購入でき、ふみさんに送ってもらった。

今から思うと、太陽はこの時に、自分の未来に確信を得ていたのかもしれない。

太陽お疲れ様!よく頑張ったがん。

太陽は疲れた。寝る。

と、自分の部屋に行ってしまった。

ほんとによく頑張っだと思う。

太陽の本当の心はそっちのけで、私はウキウキしていた。1歩踏み出した。ヤッター!!。

説明会の日、子供達に出された宿題を友達が手伝ってくれると言ってくれた。太陽1人では出来なかったので助かった。男の子、女の子が5人ほどほど集まり、遊んだり宿題したり、久々にみる光景にこっそり涙してしまった。こんな日がくるなんて思ってなかった。太陽の楽しそうに笑っている顔。嫌だー!と顔をしかめながら宿題をしている姿。なんとも言えないものがあった。

結局、宿題は終わらなかったが、夕方まで外に遊びに行った。

ずっと家の中で、画面に向かって、ポチポチ指を動かし、時折、死ねー!だの、クソが!だの、発しながら何時間も何時間もやっている姿から、今日という日がまた再びくるとは想像もしていなかった。嬉し涙というものはいくらでもでてくる。


次の日から、残りの宿題をしたり、ゲームをしたり。太陽の日常が少し変わった。

私も仕事をしながら、気分が違った。

中学校で物品購入出来たもの以外、身につけるものは自分達でお店に行かないと行けなかった。案の定太陽はしぶったが、目寸法では難しいので嫌々腰をあげてくれた。

あまり日常の動きが無くなったせいもあり、少しづつぽっちゃりしてきていたので、全てのサイズが少し大きめなのが、本人は不服そうだった。

なんとか全て購入完了!名前付け完了!

制服も届き、袖を通してみた。

小学校の制服と似ているが、さすがに長ズボンなのと、身体の大きさも変わっているので、同じ黒の制服でも、成長を感じた。

全てが順調で、上手くいっているとウキウキしていたのは私だけだったと思い知らされる日がくることになる。


入学式当日

太陽は布団から出なかった

「太陽、起きて」

「太陽!遅れるよ」


太陽は布団にくるまったまま、

「誰が行く行ったんな」

「いかん」

私は、ボーゼンとした

「ピンポーン」


玄関まで行くとふみさんが迎えに来てくれていた

「ふみさん」

顔を見た瞬間

一気に涙が溢れてきた

「ふみさん、もうダメじゃ」

「ダメじゃった」


ふみさんは

「大丈夫大丈夫」

と言って階段を上がり、太陽の所へ行ってくれた。

式に出席する黒いフォーマルな服を気にせず、布団の横に座り

「太ちゃん」

「おはよう」

「どんな~」

と、優しく語りかけてくれた

太陽は

「行きたくない」

と言い放ち

相変わらず布団から出てこない

時間がギリギリになってきた

ふみさんは気にせず太陽に寄り添ってくれている。

「ふみさん、もう行って!」

「遅れちゃうから」

「ありがとう」

私は、諦めがついた


ふみさんを送った後

ボーゼンとした私は

ソファーに座り

まさきにメールした

「ごめん」

「行かせれんかった」

そう打つのが精一杯だった

涙が溢れた


暫くして、返信がきた。

「大丈夫?」

「仕方ない」


暫らく泣いてたかな。

私がウキウキと中学の用意をしている時間は

太陽には苦痛な時間だったと思い知らされた。

なんとも言えない気持ちだった。


太陽の所へ行った

「太陽」「ごめんなー」

「しんどかったな。」

「もういいよ」

出ておいで


太陽がこんなふうに布団からでてこないのは初めてかもしれない。だから、なおさら深く傷つけてしまったことを悔いた。


「太陽、ご飯食べよ」



これから起こることを思うと、これまでのことは序章に過ぎないかもしれない。

つづく







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