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隠しプレゼント

作者: 古光ムーン

〈二〇二〇年三月二十三日〉

 「ピンポーン」

 椅子に座ってテレビを見ているとチャイムが鳴った。妻が「はーい」と言いながらキッチンから玄関に向かう足音がドタドタと聞こえた。テレビでは東京オリンピックの話題をやっていた。そんなニュース番組をボーッと眺めていたら、妻が玄関から帰ってきていた。「誰だった」と聞くと妻は「お隣の鈴木さん」と答えた。さらに妻は続けた。

 「その鈴木さんの十歳の息子さんが行方不明になったんだって。今日、塾に行ったきり帰って来ないんだって。まぁ、単なる『神隠し』だと思うけどね」

そう言うと妻は程よい温度のお茶を飲んだ。

 「お前さんもあったらしいあれか、もうあれから何年経つ?」

 「そうね、私もあの時は十二歳だったから、大体、五十五年くらいかしら。そう考えると結構前ね」

 「わしはここの人間じゃないから良くわからんが。『神隠し』って一体どんな感じなんだ?神さまにでも会うのか?」

 「うーん、正直な所あんまり覚えてないのよ。気づいたら、一日経ってたから。とりあえず、言えるのは、ここに住んでいる子供が受けるものってくらいかな。どうせ、鈴木さん家の息子さんもおんなじ感じで何事もなく帰ってくるわよ」

そう言うと妻はテレビを見ながらまたお茶を飲んだ。コメンテーターがオリンピック延期があるかはたまた、中止かについて見解を述べていた。しかし、二人とも続行すると結論づけていた。

 「私は一年延期になると思うんだけどね…」

妻はそう呟いた。わざわざ聞こえる声で言っているからおそらく、構って欲しいのだろう。

 「それはどうか?IOT、じゃ、なくてIOCのバッハ会長がこの前、オリンピックは予定通りにやる予定だって言ってなかったか?」

 「確かにそう言ってたけど、私は延期する気がするのよ。根拠はないけどね。女の勘ってやつかしら」

 (女の勘ってこういう時に使うっけな?)

実際に言うと嫌な顔をされるので黙っておいた。

 「それにしても今日の煮物本当に美味しかったわ。流石、元料理人。まだ、腕は落ちてないわね」

 「からかうのはよしにしてくれ。確かにわしは元料理人だが、昔に比べたらもう落ちちまってるよ。今日の煮物だってな、少し甘すぎたんだ」

 「そうかしら。私はあれくらいも好きよ」

そう言って妻は微笑んだ。妻の笑顔を見るとどうしてもまた作りたくなる。折角、身につけたものを妻を笑顔にするのに使わない手はない。

 「じゃあ、明後日のお前さんの誕生日にで煮物も出してやるか」

 「それは良いわね。あといつも通りケーキじゃなくてティラミスでお願い」

 「お前さんティラミス、本当に好きだなぁ。作っておくよ」

 「ありがとう。小さい時から好きなのよ。ってもうこんな時間!そろそろ、寝ましょう」

時計は二十三時を知らせていた。お茶碗をシンクに置き、リビングの電気を消して寝室へ向かった。


〈二〇二〇年三月二十四日〉

 わしの腕がよっぽど良いのか、妻が生まれ育った由至ゆいし町で代行料理を週一でやっている。今日も昼を作り終えたばかりで家に帰りながら明日の妻の誕生日用の食事を考えていた。

 「こんにちは」と突然声をかけられた。

声のした方向を見るとお庭に田中さんがいた。老人はわしも含めて暇を持て余しているから話したがる。

 「望月もちづきさん。今は代行料理の帰りですか?」

 「はい、そうです。珍しく中華を作ってくれと言われて半年振りで大変だったんです」

適当に返す。わしは早く帰りたいんだ。

 「いや、やっぱり望月さんはすごいな。中華まで作れるんですか、奥さんが羨ましい。もう私は惣菜三昧でよくないなとは思ってるんですけど、妻を亡くす前は家事を全くしてなかったもので…」

田中さんの奥さんは三年前くらいに亡くなった。感じの良い人で、この町であの人を悪く言う人はいなかった。

 「しかし、私も仕事を辞めるまでは家で料理すらやってなかったので、家事を始めて一年間は大変でしたよ。それからは毎日作るようにはしてますけどね」

 すると「望月さん」と声をかけられた。声の主は鈴木さんだった。鈴木さんはまだ若々しい四十代で、羨ましい。

 「そういえば、鈴木さん!昨日言ってた迷子の息子さんは見つかりましたか?」

と田中さんはきいた。

(そんな事、妻が言ってたな…)と思い出したが、忘れていたなんて言えなかった。

 「あぁ、無事、見つかりました」

おめでたい事だなと思ったが鈴木さんは何か浮かない顔をしていた。「どうかしました?」ときくと、

 「息子が変な事を言い出したんです。空飛ぶ車は?とか飛び出すテレビは?とか、帰ってきてから変な事を言い出すようになったんです」

不思議な事もあるものだなと思っていると田中さんが声を出した。

 「大丈夫ですよ。僕の妻も『神隠し』に遭いましたけど、大丈夫でしたよ」

 「そうなら良いんですけどね。あっ、僕はここで。近所の人に報告しないと…」

そう鈴木さんは言うと再び挨拶回りに行った。鈴木さんは転勤でここ、由至町にきたばっかりだったから『神隠し』なんて信じてなかったのだろう。

 「確か、望月さんの奥さんも『神隠し』にあったんでしょう?」

 「そうですね。それがどうかしました?」

一瞬、田中さんの顔に憐れみの感情が浮かんだ気がした。

 「いや、なんでもないです。ちょっと気になっただけですよ」

そのあともたわいもない会話をしたが、あの田中さんの顔がなぜだか、頭から離れなかった。


〈二〇二〇年三月二十五日〉

 「いただきます」

二人とも手を合わせて言った。卓上には、リクエストされていた煮物だけでなく、妻が好きなコロッケ、春巻き、パスタと、和洋中の垣根を越えた物たちを並べた。妻は予想通り、ウキウキでご飯を食べていた。わしの料理のやり甲斐は妻の笑顔なんだなとつくづく思う。

 「そういえば、ニュースみた?」

妻がコロッケを取りながら言った。

 「見てないけど、なんかあったのか」

 「オリンピックが延期だって、一年後に」

そうなのか。そこまで気にしてなかったが、延期になるなんて思ってもなかった。別に東京に行くつもりは無いから、問題はないんだが。

 「そうなのか」

軽く答えると、また沈黙が生まれた。

 「ボルダリング、見たかったのに…」

妻は残念そうにしていた。コロッケを取りながら

 「一年待つだけだろ。そんなに落ち込まなくても…」

と言うと「まあね」とだけ言って妻はコロッケを頬張った。

 「ん〜。おいしい!流石、私の自慢の夫!私の好みをよく分かってるわね」

そう言って妻は次に煮物に箸を伸ばしていた。こんにゃくを取り口に運んだ。笑みが顔から溢れていた。

 「約束して欲しいことがあるんだけど、お願いして良い?」

パスタをフォークで巻きながら、さっきと変わらない調子で言った。

 「なんだ?」

 「もし、私が死んでも私の誕生日とあなたの誕生日のときは必ずあなたが料理を作って、私に食べさせるつもりでいてね」

何を言ってるんだ。らしくない事を言う。

 「先に死ぬみたいな言い方をしないでくれ。大体、男の方が先に死にやすいんだよ」

 「そうなんだけどね、良いじゃない。終活よ。終活!」

 「はいはい、食事中なんだから、そんな不謹慎な話はやめてくれ」

ちょっと妻はふてくされた。

 「とにかく、約束はお願いね」

 「はいはい…」


〈二〇二〇年六月一日〉

妻がいなくなってからもう一ヶ月も過ぎてしまった。それなのにまだ、泣けていない。妻の(いち)一日ついたちに逝ってしまうのは、何かのいたずらか何かだろうか。妻が亡くなる前日に「おやすみ」と言った。それから妻が本当に寝てしまうとは思わずに。意外にも、医者の言う所によると、落ち着いて死んでいったらしい。そんな話を聞いても泣けなかった。そこからは慌ただしい日々だった。亡くなってすぐの、一人の間は一人でできる事をどんどん進めた。さらに、息子家族が来て色々、テキパキと済ませてくれた。おかげで面倒ごとはさっさと終わった。孫を久しぶりに見たためか、涙なんぞは出なかった。

 朝起きると、どんよりとした空気を感じた。一人で起き、一人で布団を畳み、一人で朝食を作り、一人で食べた。味が曇った空のようにはっきりしない。おいしくない。腕が落ちた訳ではない。確かに味は良い。ただ、妻がいた時とは違う。はっきりと違う。何が違うのかわからない訳がなかった。テレビをつけるとスポーツ選手がインタビューを受けていた。オリンピックの出場が決まっていて、意気込みを聞かれていた。

(市と一緒にオリンピックを見れなかったな…)

不思議だ。なんで、あの誕生日にオリンピックの延期にガッカリしていたのだろう。まるで、死ぬ時が分かっていたみたいだ。そんな訳がないのになんで、そう考えてしまうのだろう。よくないな。そんな考えを始めると終わらない事ぐらい分かっている。テレビに映る選手の顔の希望を嫌い、テレビを消した。


〈二〇二一年八月六日〉

 代行料理からの帰りついでに妻の市の約束を守るためにスーパーに寄ってきた。妻と自分の誕生日の時に、死んでも誕生日料理を作るというものだ。今日はわしの誕生日だ。なんで、こんな約束をしたのだろう。妻の事を思い出してもなお、目は枯れている。

「ただいま」

誰もいないのに声を出してしまう。

『ゴソゴソ』

誰かがいる。しかし、奥にいるのだろうか、姿が見えない。荷物を下ろしそのまま、忍び足で廊下を通っていった。リビングに入ったが誰もいない。気のせいかと胸を撫で下ろすと『ガシャン』と汚い音がした。ビンの割れた音。甘い匂いが漂ってきた。妻が好きだったいちごジャムの匂いだ。今は好きだった妻もいないのに無心に作っている。そんなジャムの匂いを追って忍び足で台所の死角に入った。

 「誰だ!」

 そう言って入ると小学生ぐらいの少女と目が合った。その子はバラバラの破片とベタベタのジャムを片付けようとしていたのだろうか。雑巾を手に持っていた。甘い香りの中で少女は震え始めた。そして泣き出してしまった。持っていた雑巾は手から落ち、座り込んだ。何故だか、申し訳なく思って、さっさと片付けてしまった。片付けても少女は泣いている。どうしたものかと思って冷蔵庫を見た。中には昨日作ったティラミスが入っていた。本当は今日の夜に誕生日という事で一人で食べようと思っていた。しかし、妻のいた時と同じ分量を作っていたからどうせ一人だと食べきるのに四日はかかるだろう。なら、いいじゃないかと思いティラミスを机に出した。いまだに涙目の少女に声をかけるのも癪なので、一人で食べた。少女に慈悲がない訳でもないので、取り皿にティラミスを出しといてやった。相変わらず美味しいがあの頃とは違って物足りない。部屋の甘ったるい匂いが段々とスッキリとした料理の匂いになっていった。その匂いに釣られたのか少女が台所からコッソリと出てきた。震えながらも、出てきたあたりを見るに食欲には勝てなかったのだろう。そのまま、ゆっくりと席について用意されていたお皿に乗るティラミスを見ていた。少女は食べていいのか分からないようだったため、目で示した。そして、ティラミスを少し大きく切り取って少女は食べた。音のない空気の中で少女のさっきまで締まっていた顔が少し緩んだ。少女がフォークを下ろした頃には出していたティラミスは半分も無くなっていた。残ったティラミスとフォークとお皿をしまって、紅茶を入れた。少女は匂いを嗅いでは恐る恐る飲んでいた。恐れるものではないのだが。少女が落ち着いただろう頃に切り出す事にした。

 「ティラミス美味しかったか?」

少女は頭を縦に振った。美味しかったようだ。

 「どうして、家にいるんだ?」

少女は心を開いたのか戸惑う事なく答えた。

 「わからないです…気が付いたらここにいたんです」

彼女の服を見るに別に孤児とは考えにくいし、貧乏な家の子にも見えない。どうしたものかと思うとチャイムがなった。とりあえず、その子には座って待ってるように言った。そしてドアを開けると警官が立っていた。

 「すみません、由至町交番の佐藤です。巡回連絡カードのお願いをしにきました」

そう言って差し出された、カードに記入をした。実はもう妻はおらず一人暮らしなのだと伝えた。

 「それはそれは。また何かあったら交番まで」

 「そうだ、ちょっと待ってくれ」

警察に出してあげた方がこの子のためだと思い奥から少女を連れ出した。

 「この子を預かってもらえないかな?」

 「えー、どの子ですか?」

 「いや、だからこの子だって」

警官の目の前に女の子は立っているのになぜか警官は知らんぷりをする。しかし、わざとのようには見えない。本当に見えていないのかもしれない。どっちにしてもこれは時間の無駄だと気が付いた。

 「すまん、勘違いだったみたいだ。ごめんな、引き止めちまって」

 「大丈夫ですよ。それじゃあ」

そう言って警官は出て行った。ボケた老人だと思われただろうか。それはなんか癪に触る。そんな赤っ恥をかいた代償にわかったのはこの子は他の人には見えていないということだ。テレビをつけて好きなものでも見るようにその子には伝えて台所に立った。とりあえず、誕生日料理を作ることにした。妻との約束を守るため。


 夜になって料理を作り終えた頃、少女はテレビを見ていた。「できたぞ」と言いながら、揚げたてのコロッケを食卓に並べた。色とりどりの料理をみてその子はためらっていたが、席についた。煮物、コロッケ、春巻き、パスタ。こう見ると妻が好きだった物のほとんどが子供っぽいことに気がついた。少女は惑いながら箸を持っていた。そして、箸を下ろし煮物についていた取り箸で煮物をお皿に分けていた。それを見てなんだかんだで、煮物が好きだった妻を思い出した。妻を思い出しながら食事をしていると

 「あれは何?」

と少女がテレビを指差した。今は、オリンピックの最中らしく、女子複合決勝リードの様子を放送していた。自分は興味が無かったが、妻が好きでよく見ていた。一緒に見ていたが、どうも良さがわからない。

 「あれはな。ボルダリングって言うやつなんだ。これはその中のリードって言うやつらしいが。わしも良くわからん」

そして少女の目はテレビと食事を行き来していた。妻もそうだった。妻は絶対にみたいテレビがあると意地でも見ていた。長い食事を終えて、残ってしまった料理は冷蔵、冷凍したりした。その後はおやつの余りのティラミスを出して一緒に食べた。ティラミスの時はテレビなど、眼中にない様子で集中して食べていた。気にってくれたようだ。ティラミスを食べ終わり、片付けた。少女の隣りに座って、明日はどうしようかと考えていた。他人には見えなかったのがどうも気になる。どうするのが正解なのだろう。そこで頭に「神隠し」が浮かんだ。もしかしたらこの子は神隠しを受けていて、みえる人がなぜか自分しかいないのかもしれない。そう思うと安心した。「神隠し」は長くても一日らしいし明日には解決するだろう。そう思って気が抜けた。ふと、ドタバタで夕飯の前に妻に挨拶するのを忘れたのを思い出し、急いで仏壇に向けて挨拶した。

 「これ、おじいちゃんのお嫁さん?」

少女が指差したのは仏壇の写真だった。

 「なんで、わかった?」

 「んー、女の勘?」

何故だろう、一瞬、妻の姿が重なった気がした。気のせいだろう。おそらく。

 「どんな人なの?」

 「何を考えてるのか良くわからなくて、ちょっとおっとりしてて、でもしたたかで、世界で一番わしの料理が好きな、最高の妻だよ」

なんでこんな事を子供なんかに話しているのだろう。

 「もっと写真みたい」

そう言われたので、寝室に行き、妻が大切にしていたアルバムを適当に引っ張りだした。急に不安が襲った。何故か、急いで戻らなければいけないと思った。走ってリビングに戻ると少女はいなくなっていた。その後、家中を探し回った。しかし、少女は見当たらなかった。「神隠し」は終わったのだろうか。テレビを消して、何も考えずにアルバムを開いた。見るとあの少女が写っている。妻のアルバムにさっきまで一緒にいた少女が写っている。見覚えがある。何回も妻とみた写真だ。段々と視界がぼやけてくる。


三ヶ月も経って初めて泣いた。


声を出して泣いた。体を絞って泣いた。涙がもう出なくなると、


「神隠し」


その言葉を思い出した。そうか、妻は、そうか、そうか、そうか。「神隠し」を本当に受けていたのか。あんまり覚えていないなんて嘘だったんだな。しっかり覚えてたんだな。いや違う。これは「神隠し」なんかじゃない。これは、これは、そう



「最高な妻からの最高なプレゼントだ」



そう思ってアルバムを閉じた。

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