第1章 2-1
早いもので、父が亡くなってから一年が経とうとしている。あの日もちょうど桜が満開だった。そんな中で、父はひっそりと息を引き取った。気付いた時にはガンが全身に転移していたのだ…。享年六二歳。
かなり早いお迎えだったと思う。蒲生創市は、父の一周忌の中で在りし日の父に思いを馳せる。あの日、創市は唯一の理解者を失った。
母の敷いたレールに逆らいながらも、逆らう事もできずにいた日々が未だに続いている。弁護士となった創市は、大学卒業後もずっと東京で自由に暮らしていた。束の間の自由だった。
五年前、父がガンで入退院を繰り返すようになってから、創市は地元へ帰らざるを得なくなった。九州の小さな田舎町に弁護士なんているはずもなく、弁護士業務を独占して取り扱っている。
そうは言っても訴訟とはほぼ無縁の田舎ではろくに仕事もない。平日は車で一時間ほどの地方都市にある茶川弁護士事務所で働いている。
父が倒れてから、また母と一緒に暮らさないといけなくなった。母は相変わらず、創市を自分の思い通りにしようとする。
イソ弁はかっこうわるいと勝手に独立させようとしたり、結婚をさせようと次から次にお見合いの話を持って来たり…とやりたい放題である。しかも、父と言うストッパー役はもういない。せいぜい、仕事を理由に逃げるのが精一杯である。
創市は弁護士の仕事を続けながらも、密かに小説を書き続けている。そうは言っても、ほとんどがこれまでに容疑者や被告人、被害者などと向き合った中で、彼らをモチーフにした作品である。
中には弁護士として関わった事をそのまま書き記したような、とても小説とは呼べない代物もあった。そのような質の低い作品しかなく、下手に作品を公開すれば、事件関係者達のプライバシーをさらす事にもなりかねない。
十代のうちは、どうにか小説家になるべく、大学で講義の間や司法試験の勉強の合間を縫っては、必死になって小説を書いていた。母にばれないようにひっそりと…。
何本も小説を書いては、何かしらの文学賞に応募した。結局、一本も一次予選すら通過しなかったけど…。いつしか、ただ小説を書く事さえできれば、それで満足する自分がいる事に気付いた。
仕事を始めてからは、学生の頃のように時間を取れるはずもなく、日々の弁護士業務に追われる毎日である。せっかく大学時代も含めて九年間、実家を離れる事ができたのだから、もっとたくさん書いておけばよかった…。
実家に戻って、再び母と暮らすようになってからは、もう家で書く事は不可能となる。そこで多忙を理由に、月に十日は地方都市のワンルームマンションで寝泊まりをする。
仕事が終わった後に、民事裁判や刑事裁判などで混乱した頭を整理するべく、思いの丈を紙にぶちまける。つまり、この書き方を続ける限り、ずっと仕事関連の内容しか書けないことになる。
まあ、そうは言っても多忙な毎日ゆえに、まとまった休みもろくに取れない。わざわざ小説の題材を求めるべく取材したり、旅行したりもできない。何より下手な動きをすれば、母が何かを勘づくかもしれない。