第8話 王位争い
第二王子の殺害未遂事件から三日ほどが経過して、ラーニャはカミルやムフレスとともに旅に出ていた。カミルが以前、隣国より接収した土地の管理状況を確認するためだ。
隣国とは長い間ぴりぴりとした緊張関係が続いており、国境での小競り合いも少なくなかった。しかし近年ではダウワースやカミルの活躍によって、その状況は落ち着いている。恐らく、相手方は彼らの武勇を警戒しているのだろう。
王都を出て最初に到達した伯爵領はリーン妃の実家であったため、一行はそれを宿とすることにした。馬車留めで屋敷へ荷物を運ぶ従者たちの働きを見つめながら、ラーニャの横に立つムフレスがぽつりとこぼす。
「助けてくれたことを感謝します」
ラーニャはそういえば事件以来まともにムフレスと顔を合わせるのは初めてであったかと思い出した。
「ああ、いえ」
「殿下の足を引っ張らぬよう細心の注意を払っていたつもりが、不甲斐ない」
「ですね」
ムフレスがラーニャを見下ろす。彼はカミルと比べれば小柄なためそうと思わないが、一般的には上背のあるすらりとした体型だ。平均よりさらに小さなラーニャは、彼らが自分を見下ろすのを見て首が痛そうだと思うが、言葉にはしない。
「そこは慰めるところでしょう」
「慰めがほしいんですか」
「いえ。……殿下は貴女を信じることにしたようですが、それにしても視察にまで連れまわすとは」
ラーニャは返事をせず首を傾げてどういう意味かと問うた。
「バスリー家は代々王に付き従っており、その能力を国のために揮って来た。貴女も知っての通り、王位には余程のことがない限り正妃の子がつくものです。つまりバスリー家は正妃派のはず」
「旅の途中でカミル殿下の寝首を掻かないかと心配ですか」
「言葉を選ばなければそういうことになりますか」
第四王子であるカミルの継承順位が六番目であるのは、側妃の子だからだ。政治的な婚姻である正妃の子が優先されるのは当然で、子の数も側妃より多くあるべきとされている。
そうするとどうなるか。継承権をめぐって兄弟間で熾烈な争いが発生するのである。
同じ正妃の子の間においても誰が次代の王にふさわしいかで意見が割れて派閥ができる。その上、側妃の子という第三勢力があるとなれば泥沼は必然。
先日のダウワースの殺害未遂についても、犯人が証拠を放り込む相手としてムフレスを選んだのは偶然ではない。そもそも、リーン妃の主催するパーティーでコトを起こしたのも、カミルまたはリーン派の人物に疑惑の目を向けるためであることは歴然としている。
「ではムフレスがしっかりとお守りしたらいいと思います」
「そっ、そんなこと言われるまでも――」
「俺のいないところでなんの話ぃ? ムフレスさー、俺の仔猫ちゃんに手ぇ出さないでよ?」
二人の背後からぬっと顔を出したのはカミルである。ムフレスはグレーの瞳を眇めて主を睨みつけた。
「仔猫ちゃんってなんなんですか」
「お気に入りってコト。ラーニャ、屋敷を案内するよ。おいで」
差し出された腕をとって、ラーニャはカミルとともに屋敷の中へと入る。カミルは微笑みを浮かべたまま小声で謝罪した。
「嫌味とか言われてたら悪い。ムフレスには君の目のことは言ってないし、信じるに値する人物であるとも言ってないんだ。自分自身の目で確認しないと何事も信じられないタイプの奴でさ」
「はい、それでよろしいかと思います。その疑い深さが殿下を守ることに繋がるでしょうから」
黒のレースの奥で目を薄く開け、カミルに案内されるままに屋敷の中を記憶していく。と言っても明日の早朝には出発するため、必要最低限の設備の説明だけであったが。
最後にカミルの使う客室へと向かい、ラーニャは茶の準備をした。カミルはそれを眺めながらためらいがちに口を開く。
「実は……今回の視察、表向きは管理状況の確認だって言ったけど、全く別の妙な噂があってそれを調査するのが真の目的なんだ」
「妙な噂ですか」
カミルに座るようにと手で促され、ラーニャは彼の向かいに腰を下ろした。
「魔獣の目撃例が増えてるらしい。多くなれば人間の居住区域を襲うようになるから、討伐隊の編成が必要なんだけどさ」
「今ごろが繁殖期では? 数が増えるのはこれからでしょう。それとも、昨年頭数調査を怠った?」
「やったさ。とはいえ国境だからね、確実に調査できるってものでもないんだけど。それにしても今ってのがおかしい」
「餌に困る季節でもないのに人里に降りてくるのは……ということですね」
しっかり蒸した茶をカップへと注いでいく。
ふいに訪れた沈黙の中で、ラーニャは先ほどのムフレスとの会話を思い出してふふっと笑った。
「視察にまで私を連れて来たことにご立腹でした」
「あー、ムフレス? 君がバスリーの能力を遺憾なく発揮してるってバレたろ、目のことはさておきさ」
「今までは屋敷に引きこもっていたので、無能か病弱かで意見が割れていたそうですけど」
「あはは! 病弱は間違いじゃねぇな。ま、ちょっとやそっと本を暗誦してみせる程度なら大した脅威じゃないんだけどさ、事件を解決してしまった以上、君は奴らにとって危険な存在になったってワケよ」
カミルがポットを手に取って、ラーニャのために茶を淹れた。ほら、と目で促されてラーニャはそれに手を伸ばす。芳醇な香りを含む湯気が彼女の鼻腔をくすぐった。
「守ってくださる?」
「王位争いはこれから激しくなる。君の助けが必要なんだよね。だから俺は俺のために君を守る」
快晴の青の瞳が鋭く煌めいた。彼の言葉は、病気か陰謀か国王の死期が近いことを暗に示している。
ラーニャは紅茶で喉を潤して、小さく頷いた。
「仰せのままに」
「じゃ、今夜は一緒に寝る?」
「寝首を掻くかも?」
カミルは、フハと笑って茶を飲んだ。