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ラーニャ・バスリーは忘れることを知らない。  作者: 伊賀海栗


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第60話 誓い


 演武場へ飛び込んだラーニャは通りすがったあらゆる人間に道を尋ねながらカミルの元へ向かった。


 クテブが焦って様子を見に来た以上、勝者はカミルに違いない。しかしザインの言う「早くしないと会えなくなる」という言葉が引っ掛かるのだ。

 魔導士を相手に防戦一方を強いるというのは騎士には難しい話であったはず。属性軽減の魔術を持たせたとはいえ相手が違う属性の魔術を使わないとも限らないし、軽減したとて致命傷となるような極大魔法も多く存在する。


 まさかまさかと口にするのも恐ろしい予想を胸に抱えて、ラーニャはカミルがいるという部屋の前に立った。

 ノックをするのが怖い。扉を叩くために上げた手は固まってしまったかのように動かない。


 逡巡するラーニャの耳が部屋の中を慌ただしく歩く人の気配を察知し、その直後に目の前の扉が大きく開かれた。そこに立っていたのは侍医と思われる白衣の男性である。


「お……っと。バスリー家のご令嬢ですか、今はちょっと――」


 侍医の脇から部屋の奥を覗けば、誰かがベッドに横たわっていた。枕のあたりに流れ落ちるパールグレーの髪は間違いなくカミルのものである。ラーニャは侍医を押しのけるようにして室内へと入り込んだ。

 彼の様子をしっかり見ようと瞳を覆うレースをとって枕元へ走る。


「殿下……っ!」


 横になったカミルは少しだけ眉を顰め、しかしその瞼は閉じられたままだ。頬にも腕にも無数の傷がある。火傷のようなその傷は赤く腫れあがって痛々しい。

 侍医は何か文句を言ったようだがラーニャの耳には届かない。そのままバタバタと忙しそうに部屋を出て行った。


「カミル殿下……」


 呼び掛けに反応はなく、ラーニャは何度もカミルの名を呼んだ。

 このまま目を覚まさなかったらという恐ろしい考えが頭をよぎって、ラーニャの足元から冷たいものが這い上がって来る。


「起きて……起きてよ殿下」


 彼の手を取って両手で握る。ラーニャが触れればいつだってすぐに応えてくれるはずのカミルが無反応で、何もかもを否定したい気持ちになってしまう。ぼろぼろと零れ落ちた涙がベッドやカミルの腕を濡らしていった。


「決闘を終えたら私の気持ちを聞いてくださるんじゃなかったの……? 全てが終わったら隣にいろっておっしゃったのは殿下なの、に……」


 返事はない。小さく息をつき、瞳を閉じて握った手に頬を寄せる。

 どれだけの時間をそうしていただろうか。たいして長くはないはずだが、ラーニャには永遠にも感じられるほどであった。

 祈るようにカミルの手を握って俯くラーニャの耳を心地よい声が打つ。


「好きって言ってくれたら頑張れるって言ったろ」


「ちゃんと元気になったらお伝えしますから」


「そこは感動して『殿下好きー』ってキスするとこだろ」


「目を覚ましたあとも意識がない振りをする人にはそんなことしません」

 

「気づいてたならそう言ってよ、しおらしいセリフが聞きたくて待ってたのに」


 目を開け、カミルの様子を窺う。彼は室内の従者に席を外すよう指示してから、疲れた顔で小さく笑った。


「殿下……」


「勝ったぜ」


「はい。父も間もなく解放されるだろうと人々が話しているのが聞こえました。殿下のおかげです」


「さっき鐘の音が聞こえた」


「陛下が」


「そっか」


 ラーニャが握っているのとは別のカミルの手がラーニャの頭を撫でた。その温かさと重みがラーニャをほっとさせる。

 しばらく彼の手の心地よさを堪能するうちに、ラーニャの心が落ち着いていく。


「殿下に何かあったらどうしようかと不安で不安で」


「何もないよ」


 静かな声だった。

 いつもなら「心配しちゃった?」などと揶揄うだろうに、ラーニャを安心させるような低く温かい声音で発せられた言葉に驚いて顔を上げる。

 青空色の瞳は強い意志を持ってラーニャを見つめていた。


「ラーニャより先には死なない、絶対に」


 喪失の記憶は与えないという誓い。

 愛する者を残して死なないという言葉には誰だって多少は心を動かされるであろう。それでも本人の努力だけで達成できる領域ではないため、生涯愛し続けるという誓いのほうが一般的に喜ばれる傾向にある。

 しかしラーニャにとっては、自分を置いていかないという誓いのほうがずっと重要であった。それはもはや渇望と呼べるほどに。


 祖父ヌールが亡くなったとき、幼いラーニャは死を理解していなかった。だが小物の位置ひとつでも癇癪を起していたラーニャにとって、屋敷から祖父の存在が消えてしまったのを受け入れるのは容易ではない。

 ラーニャにとって死とはその人の記憶を頭の隅へしまい込み、その人物のいない日常で新たに記憶を構築していく行為だ。

 もちろん思い出そうと思えばいつでも取り出せる記憶ではある。だからこそ、もし大切な人が亡くなってしまったらいつまでもその記憶に縋って、うずくまってしまうのではないかと思うのだ。忘却を知らないが故に。


「絶対?」


「絶対だ。俺たちはこれから楽しいことだけ覚えて行こう」


「でんかぁ……」


 再び溢れた涙をカミルの指が拭い、大きな手のひらがラーニャの頬を包む。ぎこちない動作で上体を起こしたカミルの顔が近づき、えぐえぐと泣くラーニャの唇に彼のそれが重なった。


 確認するような触れるだけのキス。しばらく見つめ合った二人はどちらともなく顔を寄せ――。


「失礼します!」


 しわがれた男性の声とともに扉が大きく開かれた。驚いたふたりが振り返ると、そこには先ほど出て行った侍医を筆頭に多くの従者が部屋へと入って来ていた。


「ここではまともな治療ができかねます。本城へ参りましょう!」


 邪魔だとはっきり口にしないものの、ラーニャは従者たちの手によってポイと部屋の隅へどかされた。カミルは用意された担架であっという間に運び出されて行く。


「しばらくは面会できません!」


侍医がそう言い残して部屋を出て行った。ひとり残ったラーニャはザインの言葉の意味を正しく理解して、大きな溜め息をついたのであった。





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― 新着の感想 ―
[良い点] 忘却を知らないって……辛い。 (´;ω;`)ウゥゥ
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