第58話 的確な助言
屋根のない演武場には初夏の日差しが降り注いでいるが、日焼けも厭わず多くの貴族が観戦のため集まっていた。
第五王子のカミルの生死とともに、王の最側近であるバスリー家の命運がかかっているのだ。ひいては自分たちの今後の栄華にも大きく影響すると思えば、貴族たちが祈るように決闘の結末を見届けようとするのも理解できよう。
司会の煽るような闘士紹介の後、立会人の指示のもと宣誓を行ったカミルとドライド・スルジは、演武場の中心にて一足一刀の間合いで睨み合っている。既に決闘は始まっているが、お互いに動く気配はないままだ。
運営側が用意した指定の剣は古い意匠のもので、文献を参考に過去に用いられたのと近い武器を準備したのであろうと思われた。片手剣にしては長く両手剣にしては軽い、片手半剣である。
カミルは得物を選ばないが、恐らくドライドはこれを使いこなせはしないだろう。それも含めてカミルにとって目の前の男は脅威になり得ない。侮るわけでもなんでもなく、冷静に彼の体型や足運び等を分析した結果の評価だ。だから本来であれば、睨み合う間もなく勝負はついているはずだった。
「あれれ。今日の決闘、カミル王子の権力で延期になるはずだと聞いてたんですが」
右に数歩動きながらドライドが薄っすらと笑う。それを聞いてカミルもまた小さく笑いながら同じだけ移動した。なるほどヨーネスはルトフィーユを誘拐されて焦る姿が見たかったのだな、と。
「それほどの権力なんかありはしねぇよ」
「ほら、あっち見てくださいよ、おれの雇い主は近衛にガチガチに挟まれて身動き取れなくなってら。おかわいそうになぁ」
ドライドが顎で指した先にはヨーネスがいた。協力者が別の場所に連れ出しているのかルトフィーユの姿はそこにない。ならばラーニャも助け出しやすいに違いないと小さく頷く。
「この決闘で俺が勝てばアイツは拘束される。逃亡を阻止するには仕方のないことだ」
「まぁ、本来ここに立つべきだったバスリー伯爵ってのは既に牢屋にいるんでしょ。それと比べりゃマシかぁ」
この決闘裁判を決めたのも申請をしたのもカミルだが、書類上の申立人はラーニャの父ウィサムである。つまりカミルもまた代理闘士なのだ。
そしてこの決闘は正義がどちらにあるか、どちらの言い分が正しいかを決めるもの。カミルが勝てばヨーネスはバスリー家の名誉を傷つけ、民衆をいたずらに不安に陥れたとして罰せられることとなる。
ルトフィーユの誘拐はもちろん、ダウワースの殺害についても必ず白日の下に晒してやるのだと決意を新たにしたとき、ドライドが訝しげに眉を顰めた。
「なんで笑ってんだ、アンタ……。今から死ぬってのに」
「笑ってたか?」
舌打ちをしたドライドが大きく一歩を踏み出す。しかし脇は甘いし、移動スピードも剣の振りも何もかもが遅い。カミルはこれが自分の部下であれば千本ほど素振りをさせるところだと内心で呆れながらそれを躱した。
「避けていいのかよ?」
「ああ、いや、いざとなると怖いもんだよな。つい避けちまう」
再び笑みを浮かべ、カミルはやっと自分がなんの不安も抱いていないことに思い至った。さらわれたルトフィーユはラーニャが助け出してくれるのだから、自分はただその時を待つだけ――。
こんなにも余裕を持った表情など、ヨーネスは予想しなかったろうと考えを巡らせながら剣を片手に握りなおす。
「そんじゃ、避けられないようにしてやりますよ」
ドライドが剣の切っ先を地に刺して、グリップから離した左手で右腕に触れる。恐らくそこに魔紋が刻まれているのだろう。カミルもまた腹に手を当てて、即席で用意した魔紋へ静かに魔力を通した。
その直後、目の前で青白い火花が散った。冬の夜、ドアハンドルに触れたときに小さな痛みと共に現れるそれとよく似ている。指先だけでなく全身に痛みが走ったところが冬の現象と違うのだが、痛いよりくすぐったいと表現するほうが正しい。恐らくラーニャの助言によって施された軽減術式の効果であろう。まったく、いつだって彼女の言うことは正しいのだ。
左手を握ったり開いたりして痺れがないことを確認するカミルに向かって、走り寄ったドライドが高く掲げた剣を斜めに振り下ろした。カミルは寸でのところでそれをいなし、相手の左側を抜けて背後を取る。
「なんで避けてんだよっ?」
「死ぬのが怖ぇんだって言ってんだろ」
「そうじゃねぇよ、なんで動けんのかって……くそっ」
ドライドは剣を片手に左手で胸元に触れる。やはりラーニャの読み通りこの男は魔導士だったかと、カミルは大きく一歩横へずれた。直後、カミルがいたはずの場所に紫電が閃く。
「さすがにコレまともにくらったら痛そうだな」
「いや普通は死ぬんだよ」
騎士同士の決闘に魔術が用いられたことで観衆は騒然となったが、立会人はそれを黙認した。カミルがそうであるように、騎士であっても魔術が使える者は存在するのだから不問との判断であろう。
当たり前のことながら魔術の規模によって必要とされる魔力量は違う。カミルほどの歴戦の雄ともなれば相手の仕草の些細な違いからそれを判断できるが、しかし相手は魔導士。全身に無数に刻まれているであろう魔紋のひとつひとつを注視し続けるのは容易なことではない。
再び飛び掛かって来たドライドの剣を受け、少々の鍔迫り合いの末に弾き返す。
「ラーニャ……なるべく早く頼むぜ」
余裕の立ち回りをすれば不審に思ったヨーネスがルトフィーユに何をするかわからない。そのためカミルは相手を傷つけることなく、できるだけ劣勢に見えるようにしながら決定的な攻撃だけを躱すという作業を繰り返した。
それは戦場を駆けるよりも余程カミルを疲れさせ、そのうちに躱しきれなかった雷電が彼を傷つけはじめる。判断力が鈍ってきたのだ。
「そろそろ諦めてくださいよ、往生際が悪い王子さまだな」
「いやぁ……最期に好きな女の顔が見てぇなって探してんだけどさ」
息を切らしながらぐるりと周囲に視線を走らせたとき、青い空に大きな黄色の花火が咲いた。
「いました?」
「なぁ……、やっぱ好きな女は見るんじゃなくて抱きしめるべきだよな?」




