第57話 救出作戦
小さく見えた建物も近づいてみればそれなりの大きさがある。倉庫の二枚扉は城内の一般的な扉と比べて縦にも横にも一回り大きく、ラーニャが開けるには少々体重をかける必要があった。
乾いた木が悲鳴をあげるような掠れた音が響き渡り、薄っすら感じられていたはずの人の気配が影を潜めた。
倉庫の中は薄暗く、またいくつもの棚が並んでいるせいで隅々まで見通すことはできない。ただ奥に灯った小さな明かりが、誰かの存在を証明している。
「どなたかいらっしゃいますか?」
そう大きな声を出したわけではなかったが、ラーニャの声はしんとした倉庫いっぱいに届いたようだ。ほどなくして、奥から頭髪をつるっと丸刈りにした男がひとり顔を出す。
「誰だ……? ここは第二倉庫だぜ、お嬢さんがなんの用だよ」
騎士団の制服をまとってはいるもののかなり着崩していて、それだけで彼が粗野な人物のように思える。
「私はこのとおり目が少々見えづらいので道に迷ってしまったのです。どなたかいらっしゃるなら道をお伺いしたいなと」
自分の瞳を覆う黒のレースを指差して言うラーニャの背後で、ムフレスがそっと倉庫内へと侵入した。しかし丸刈りの男はラーニャのレースを剥ぎ取る妄想に囚われて、それに気付かない。
と、奥から別の男がやって来た。長い赤毛を後ろで一つにまとめた細身の男だ。
「目が見えないって、あんたバスリーのご令嬢か?」
丸刈りの男もハッとした様子でラーニャを見下ろす。
「え、敵かよ。お前、探しに来たのか?」
「確かに私はバスリーの人間ではございますが、……『探す』とはなにかしら」
「えっ、いや――」
「なぁ、バスリーってのは記憶力がずば抜けてんだって? どんくらい凄ぇのよ?」
わかりやすく狼狽える丸刈りに対し、赤毛は楽しそうに目を細めた。
ラーニャは右手の人差し指で顎を触りながら少しの間だけ考える素振りを見せる。
「重そうな靴音と剣を携行している音がしていましたし、この第二倉庫の鍵を持ち出すことができたわけですから……あなた方は騎士でしょう?」
「なるほど、いい推理だ」
「そして私を敵と断じていた。騎士と敵対した覚えはありませんが、今日に限って言えば我が主カミル殿下が決闘に臨んでいますから、そのお相手の関係者ね」
敵だと口を滑らせた丸刈りの男が小さく舌打ちをした。ラーニャは気にせず話を続ける。
「決闘のお相手は代理闘士のドライド・スルジ。第五騎士団特務課に入団したばかりの人物で、彼と同時に入団した者が他に二名います。当該三名はヨーネス殿下の指示によって入団――」
「もういい」
面倒臭そうに眉を顰める赤毛の男。どうやら図星であるらしい。
「ふふ。正解でしょう? 身上書に記載されたあなた方のお名前、生年月日などもすべて覚えてますわ」
「わかった、十分だ」
「ところであなた方はこちらで何を? お友達の応援に行かなくてよろしかったの?」
「ああ、どうせ勝つからな」
丸刈りの男が下卑た笑みを浮かべたところで、倉庫の奥の方から微かに金属音が聞こえて来た。男たちは気づいていないが、これはムフレスの合図である。
ラーニャの役割は犯人の気を引いてムフレスの侵入を助け、彼が倉庫内を確認する時間を稼ぐというもの。ムフレスの確認が終わったら速やかに倉庫から脱出する手筈になっている。
他にも仲間がいるなら応援を寄越すのだが、合図によるとほかに仲間はいないらしい。ラーニャは会話を切り上げて倉庫を出ることにした。
「まぁ。ではドライドという人は腕が立つのね。私は殿下を応援しないといけないのでそろそろ失礼したいのだけど、演武場の入り口がどちらか教えていただけて?」
「もちろんだ。ここを出たら――」
赤毛が頷きながらラーニャの脇を抜けて扉の方へ向かう。それに続くようにラーニャが扉へと足を向けたその時。
「んー!」
倉庫の奥からくぐもった叫び声が聞こえて来た。それはルトフィーユの声に間違いないのだが、今は倉庫を脱出するのが優先だ。戦う術を持たないラーニャがいては、ムフレスの足を引っ張るだけなのだから。
気づかない振りをして外へ出ようとしたラーニャに、赤毛の男が立ちふさがる。
「悪いな、事情が変わった」
「あら、なにか?」
「『サボってる騎士を見た』だけならいい。『うめき声が聞こえた』だけなら、それもいいだろう。でも両方揃うのはいただけねぇんだよ」
事件が露見した場合に、ラーニャの証言によって男たちとルトフィーユの誘拐とが結びついてしまうのを危惧しているらしい。
口封じをするつもりか、赤毛の男はラーニャに向かい合ったまま後ろ手で扉を閉める。耳障りな音をたてながら扉が少しずつ閉じ、倉庫に入る明かりが徐々に小さくなっていった。
「ねぇ、なぜ扉を閉めるの? ……誰か! 誰かいるかしらっ!」
「ラーニャ様、ここにいらしたんですか」
叫び声は自分の身に危険が迫った時にフェルハートを呼ぶための合図である。
光の漏れる向こう側から、焦りを隠さないフェルハートの声。見れば扉の隙間に足と手を差し入れて閉まるのを阻止していた。
「な、なんだてめぇは?」
「なんだはこちらのセリフだな。伯爵令嬢を閉じ込めて何をするつもりだ?」
フェルハートは男たちが状況を呑み込めていないうちにするりと倉庫へ入りこみ、ラーニャの身柄を自分の背に隠した。
と同時に彼は剣を抜いて切っ先を相手の鼻先へと向ける。彼が侵入してからここまでものの数秒。男たちとの練度の差は明らかだ。
男たちはそれぞれ両手を上げて敵対する意図はないと示した。
「何もしねぇよ……。俺たちはお嬢ちゃんに触れてもねぇし、なぁ?」
赤毛の男が丸刈りの男を振り仰ぎ、丸刈りの男もまた大きく何度も頷きながら肯定する。
しかしラーニャは見逃さない。赤毛の男の左手に小さな魔紋が刻まれていることを。そして、他者の視線を丸刈りの男に集めながら左の親指でその魔紋を撫でようとしていることを。
「石が降ってきます!」
叫びながらフェルハートの腕を引っ張ると、彼は素早く振り返ってラーニャを抱え、飛ぶように男たちから大きく距離をとった。
彼はバスリー家が襲撃された際にひとりで魔導士を制圧し、食堂でもカミルと共にラーニャたちを守りきった人物である。その技術や判断力はカミルの指揮する部隊において随一と言えよう。
バラバラと雹が降り落ちるような音が響くも、ふたりに大きな被害はない。刹那の安堵の後で男たちの悲鳴がほとばしった。
「ぎゃっ!」
「うわーっ」
フェルハートの腕から降ろされたラーニャが男たちの様子を窺うと、彼らの身体には細い鎖が幾重にも巻き付いて宙に吊るされていた。
その下を得意げな顔のムフレスがやって来る。ルトフィーユも一緒だ。
「やっぱ自分がいないとダメっスね! 騎士より魔導士のほうが強いってはっきりわかるんだよなー」
「不意打ちしただけで偉そうに……。これだから視野の狭い魔導士は。オレがいなかったらラーニャ様がどうなってたか」
このふたりは相変わらずあまり仲が良くない。どちらがカミルの右腕にふさわしいかを競っているのだが、毎度のことながら不毛である。
ラーニャは大きく咳ばらいをしてふたりの意識を自分のほうへと向ける。
「カミル殿下への連絡と、ルトフィーユ殿下の手当を」
「はいっ!」
「ういっす!」
今日初めてふたりの息が合った。




