第52話 有言実行
迎えに来た馬車はムフレスが手配したらしい。それに乗り込んだふたりは、バスリー、エスタルス双方の侍従に見送られながら城へと向かう。
馬車にはオリーブの枝と剣と盾をモチーフにしたカミルの紋章が掲げられているし、カミルがラーニャのために北宮へ残していた騎士たちも随行している。よって城内への侵入を阻まれることはないはずだが、しかしラーニャは不安そうに膝の上で手をぎゅっと握りしめた。
「私、逃亡者という扱いなのですよね? このままお城へ戻って問題ないのでしょうか、兵が囲むかもって」
「指一本触れさせないって言ったろ」
「殿下にご迷惑をおかけしないかと」
「心配してくれんの嬉しいなー! まぁ黄の兄が本当に自分で言うほど有能なら問題ないよ、諸々頼んどいたんだ」
「だと、いいんですけど」
ラーニャの横に座るカミルは彼女の胸元に手を伸ばし、虹色に光る真珠に触れる。
「やっとつけてくれた」
「これは……いえ、はい」
急に恥ずかしくなって深い意味はないと言いそうになったラーニャであったが、彼の嬉しそうな表情を見てそっぽを向いた。
無言のまま馬車は城へと到着し、カミルの言う通り誰に咎められることもなく城門を通過。ふたりは昼を回る前に北宮へと入る。
ふたりの到着を今か今かと待っていたのはムフレスだ。挨拶もそこそこに三人は真っすぐカミルの部屋へと向かった。
カミルはラーニャをソファーへ座らせ、自らもその横に座る。足を組んだカミルの膝がラーニャの足にぶつかった。
「留守中ありがとね、助かった。黄の兄から何かあった?」
「こちら、ザイン殿下からです。報告すべきことは概ねそちらにあるかと」
ムフレスはカミルの執務机の上から書類の束を取り上げ、カミルへ渡す。カミルは書類の一番上にあるメッセージカードを読み上げた。
「『よくもこの僕を顎で使ってくれたものだ。これは貸しだからな』ってかー。兄上にだって利はあるだろうに、よく言うよなぁ」
「ザイン殿下を顎で使ったんですか」
「まぁ、使った……かな? ムフレス、ラーニャにもわかるようにその書類を簡潔に説明して」
カミルは深く腰掛けながら書類の束をムフレスへ突き返す。伸ばした右腕をラーニャの背後、ソファーの背に置いて寛いだ様子のカミルに、ムフレスが要点を説明していった。
「まず参考人の証言について。主治医および陛下の身の回りの世話をする従者から丁寧に話を聞いたところ、ラーニャ嬢の見立ての通りだったとのこと」
「モモシダだっけ? それはどうやって摂取させたんだ?」
「陛下の身体を清める際に、刻んだモモシダの根を入れた水を用いていたそうです。また、ここ半月ほどは意図して伯爵に水差しを取ってもらうようにしていたと」
ラーニャは顎に手を当てて熟考するようにムフレスの話を聞いていたが、ここでゆっくりと顔を上げる。
「それはヨーネス殿下の指示ですか?」
「従者はそのように言っています。ただし緑の星はそれを否定するばかりか、この証言の信ぴょう性について疑問を呈している状況です」
「まぁそうなるよなぁ」
「二枚目、決闘裁判の申請について。先の証言があったせいか議会を無条件で通過、陛下の委任を受けたザイン殿下がこれを承認しました」
国王にのみ決裁権がある議案であっても、議会で条件を追加することができる。国王は審議内容を踏まえた上で条件の有無も含めて裁定するというのが普通である。
カミルは首を傾げ、彼のパールグレーの髪がラーニャの頬をくすぐった。
「議会が? 俺の申請を? なんかウラがありそうで怖ぇんだけど」
「そう思って少し調べてみたのですが……元々バスリー伯爵を疑う者が少なかったことに加え、日和見に徹していた陣営の多くが今朝になってバスリー支持に傾いたようです。その陰では、エスタルス侯爵の働きがあったとか」
「伯父様が?」
ラーニャが驚いて声をあげると同時に、カミルが腹を抱えて笑い出した。
「どおりで昨夜は戻ってこなかったわけだ。さすが軍略家として名を馳せるだけある。一晩で貴族連中を丸め込むとはね!」
「ですからそう疑うこともないでしょう。また最後になりますが、以上のとおりの状況およびラーニャ嬢の事件への関与を示す証拠がなかったことなどを鑑み、監視付きではあるもののラーニャ・バスリー伯爵令嬢の自由行動が許可されました」
「あ、それで何も言われなかったんですね……」
指一本触れさせないと言ったカミルの言葉が実現されたばかりか、さらには自由まで勝ち取ってしまった。
口調は軽いし難しい表情も滅多に見せないカミルだが、その透き通るような青い瞳はこの世界をどこまで見通しているのだろうか。バスリー家のように豊富な知を持つわけでもないのに、いつも正解と思われる道筋を選ぶカミルが不思議でそして興味深いとラーニャは思う。
「ところで」
書類をまとめ、カミルの執務机へ戻したムフレスが神妙な顔つきで口を開いた。
「どうかした?」
「いえ気のせいではないと思うんですが……殿下とラーニャ嬢、距離近くありません? なに自然に髪触ってんですか。え、もしかして、え?」
言われて初めて、ラーニャはカミルが肩の触れる距離にいることに気付いた。彼が自然に隣に座ったことや、昨夜は密着して暖を取り合ったことなどのせいで違和感を持たなかったのだ。
「そう? 俺はもっと近くてもいいと思うんだけど」
「いやこれ以上近くなったら重なってるでしょ、おかしいでしょ」
「確かにおかしいですね……なぜかコレが普通だと思い込まされていました」
ラーニャがソファーの端へ移動し、カミルが口を尖らせる。
「あっ! ほらー、ムフレスのせいで仔猫ちゃんが逃げたじゃん」
「いやそれが普通なんスよ――あれ、誰か来ましたね」
三人がギャアギャアと騒ぐ中、室内にノックの音が響いた。対応したムフレスが戸惑った表情で振り返る。
「陛下がカミル殿下をお呼びとのことです」




