第47話 緑鏡の間
正妃ニルミンは従者に外で待つよう指示し、扉が閉まるのを待ってから口を開いた。
「なんなのこの騒ぎは。どうしてあの女の子どもがここにいるのよ。説明なさい、ザイン」
「あー、これは、どうやったら父上を助けられるかって」
「助けるですって? あの人を殺そうとしたバスリーまで連れ出しておいて? この女は外に出さないという約束でしょう」
自分を落ち着けるためか、正妃は一度深い呼吸を挟んでから言葉を続ける。
「突然北宮なんかに行くだなんて言うからまさかとは思っていたけれど、ザイン、あなたやっぱり王位に目が眩んで……っ!」
「そんなわけ――いや王位は欲しいけど」
「やっぱり!」
「黄の兄、言葉選んでくださいよ……」
「黙りなさい!」
冷ややかだった正妃の目元に熱が宿り、カミルを一喝。シンとした室内で正妃は言いたいことが言葉になって出てこないのか、ハクハクと口を動かしている。
ザインが困ったように呼びかけた。
「母上、落ち着いて話を聞いてください」
「落ち着いてですって? 十分落ち着いてるわよ! 可愛い息子があの女の子どもを守るために命を落として! あなたはあの女の息子と共謀して陛下を亡き者にしようとして! それでもこうして説明しろと言ってやってるというのに、まだ落ち着けと言うの!」
正妃が当初まとっていた毅然とした空気はすっかり霧散し、三人は掛ける言葉を持たないまま彼女を見つめている。
「だいたい、ここで! こんな緑鏡の間なんか使って! わたくしをバカにしているとしか思えないじゃないのっ!」
「それは考えすぎです、母上」
涙交じりに訴える正妃をザインが宥めすかす一方で、ラーニャはふと気になってカミルの耳に口を寄せた。
「そういえばどうしてこの部屋は使われてないんです?」
「そりゃ、最も華美とうたわれる花燭の間と違ってこっちは地味だって言われてるんだから」
その言葉が聞こえてしまったのか、正妃がキッとカミルを睨みつける。
「あの女もお前たちも、陰でわたくしを嗤ってるんでしょう! 地味で土臭い部屋で鏡に囲まれて、自分の顔をよく見てみろと!」
「まさかそんな。とんでもありません」
カミルはそれを否定するが、本人の耳には届かない。「よくも馬鹿にして」と一層高い声をあげるのを、ザインとカミルが困った顔で見守る。
ラーニャは深く息を吸い、極力静かな声になるよう努めて口を開いた。
「サンカン著『ヴィヒノ・ヤー伝』によると、建国の祖と言われる英雄ヴィヒノは終生彼を支え続けた第一の妻ハイメに緑鏡の間と呼ばれる部屋を与え、彼女の死後も誰にも使わせなかったと言われています」
「だからなに」
「前王朝もその前も、城には必ず緑鏡の間がございました」
「知ってるわ。正統なる妻をそこに押し込めて、歴代の王はハーレムを築いたのよ。今も昔も何も変わりはしない」
ほんの少し落ち着きを取り戻した正妃だが、ラーニャを見る目は鋭い。ラーニャは彼女の言葉を否定するように小さく首を振った。
「全ての正妃にこの部屋が与えられたというわけではありません。むしろ、王妃が使うことは少なかったと言えましょう。緑鏡の間という名の部屋はどの時代にも存在しましたが、多くは他国の要人との会談に使用されていました」
「そういえば西国との戦争の発端となった他国要人による刀傷事件も緑鏡の間だったと歴史書に」
ザインの言葉にラーニャが頷く。
「前王朝、ゲルト歴二百二年のゴダード事件ですね」
「あー。なんで王妃の部屋で他国の人間が暴れたんだと思ってたな」
「それは歴史のお勉強を疎かにし過ぎでございます、カミル殿下」
すっかり調子を崩された正妃が腕を組んでため息をついた。
「結局何が言いたいのかわからないわ。歴史の話でけむに巻こうとしたって誤魔化されなくてよ。ザイン、衛兵を呼んでこの者たちをつまみ出してちょうだい」
躊躇するザインに、これ以上待つつもりはないと言うように畳んだ扇を手のひらで叩く正妃。ラーニャは構わず話を続ける。
「我が国は潤沢な森林資源、材木と水によって栄えました。緑鏡の間の緑は森を、鏡は水を表します」
ラーニャが室内を指すように腕をぐるりとまわすのに合わせて、正妃と王子たちも首をぐるりと動かして室内を見回した。
「緑に囲まれたこの部屋は我が国そのものなのでございます。要人を迎える場にするほど、歴代の王はこの部屋を重要視しました。その緑鏡の間を陛下は王妃殿下へと賜ったのです」
「でもあの人は、この部屋を『お前みたいだ』と言ったのよ。わたくしが幼いころから地味な部屋だと聞いていたこの部屋を。なのにあの女にはあんなにも美しい部屋を与えて!」
「先ほど妃殿下はこの部屋を土臭いとおっしゃいましたが、私にはとても清浄で高潔な香りに感じられます。もし陛下がこの部屋を妃殿下のようだとおっしゃったのならそれは、妃殿下がこの部屋のように凛とした方だとお考えである……ということではございませんでしょうか」
「そんな、でも、だって」
正妃が脱力してよたよたと歩き出す。ザインがそれを支え、ソファーへ彼女を座らせた。
「重要で国そのものともいえるこの部屋をお与えになったのです。地味だからなどとんでもありません。恐らく陛下は王妃殿下を信頼し、ともに国を支えてほしいと、そうおっしゃりたかったのではないでしょうか」
「あの人はそんなこと一度も」
「はい。これは私の想像であり、陛下のお心を想像して申し上げるなど不敬の極みでございます。ですが妃殿下、私を罰するより前に、陛下の本心をお聞かせいただくためどうかご協力いただけませんか」
正妃はハンカチを差し出すラーニャの手を握り、しばらくの間ぐすぐすと泣き続けた。




