第45話 闇に紛れて
ウィサムの部屋にやって来た近衛たちはラーニャの身柄も拘束して、別の部屋へと移した。北宮のラーニャの部屋も捜索されたようだが、当たり前のことながら事件との関連を裏付けるものは見つからなかったらしい。
本城の一室に閉じ込められて外に出られない状態ではあるものの、それ以外は特に不自由ないまま事件から半日以上が経過していた。窓の向こうはすっかり暗くなっていて、分厚い雲は月も隠している。
そんなラーニャの目の前に、ヨーネスがいた。
「大変なことになってしまいましたね。父上はまだ予断を許さない状態ですが持ちこたえています。ザイン兄上は対応に追われているようです」
「さようでございますか」
「バスリー伯爵は容疑を否認していますが、無実を証明することができないまま『娘を呼べ』と」
「私をですか」
ヨーネスは椅子の背に身体をあずけ、微笑みながら頷いた。
「はい。もちろん、そう簡単に会わせはしないでしょうけど。そういえば……ニゼン川ってご存じですか」
「王都の北を横に走る川ですね」
「昨夜、橋が崩落しましてね。迂回しないと北とこちらとで行き来できなくなったようです」
正妃譲りのモスグリーンの瞳が嗤っている。カミルはまだしばらく戻らないと言いたいらしい。恐らく橋の崩落にもヨーネスが関わっているのだろう。しかし言い換えれば「北方での視察に罠は張っていなかった」という意味であり、それはいくらかラーニャを安心させた。
「民の生活に大きな影響がありますね。そちらの修復も急がなければ」
「あなたは焦りより覚悟のほうが強いように見えますね。それに今ワタシと話をするうちに希望を見出した……。うーん、どうやらあなたの仮面は厚いようです。これは剥がし甲斐があるなぁ」
「私に興味をお持ちなのですか? カミル殿下にご執心なのだと思っておりましたが」
ラーニャがそう言うなり、金属のこすれる音が響いた。立ち上がったヨーネスが自分の傍らに立つ護衛の腰から剣を抜き、ラーニャに切っ先を突きつけたのだ。
「あれ、やっぱり目は見えてないんですねぇ」
「どうかなさいましたか?」
ヨーネスはふふっと笑って剣を護衛に突き返し、立ったままテーブルの上の紅茶を飲みほした。
「カミル兄上もザイン兄上も、ダウワース兄上も、みんなあなたと接してから何か変わった気がするんですよ。だからどんな人なのか気になって」
「結果論に過ぎません。私は一介の侍女ですから、あまり過大な評価はなさいませんよう」
「でも一番の目的はおっしゃる通り、カミル兄上の余裕ぶった仮面の下の顔です」
ラーニャに背を向けて扉へと向かう。護衛が開けた扉の前で立ち止まり、首だけをラーニャのほうへ巡らせた。
「兄上が帰って来たとき、最愛の侍女が国王への暗殺未遂に与していたと知ったらどうするのかなって、気になりますよね。それでは、また」
扉が閉まり、足音が小さくなっていく。
それからしばらくして、小さなノックの音とともに女性がひとり部屋へと入って来た。
「こーんばーんはー。元気ですかー?」
ラーニャと似たような背格好のブロンドの女が肩の高さで手を振る。ラーニャは目を覆う黒のレースを外して女に渡し、かわりに彼女の持ってきたメイド服を預かった。
「それなりに元気です。今夜はよろしくお願いします」
「任せて! ザイン殿下の頼みだからっていうのもあるけど、個人的にラーニャ嬢のこと大好きだし!」
女はザインの侍女のひとりだ。夜の間だけラーニャの振りをしてこの部屋で過ごすことになっている。彼女は慣れない手つきでレースを装着し、「ううう」と唸った。恐らくほとんど何も見えないことに不安を抱いたのであろう。
「ご不便をおかけします」
「んー。すぐ寝ちゃうから大丈夫。ザイン殿下の息がかかった警備の人が部屋の前にいられるのは朝八時までだったかな? それまでに戻って来て交代お願いしまーす」
「はい。ありがとう」
髪をまとめて手早くメイド服に着替え、部屋を出ようとするラーニャにザインの侍女が声を掛ける。
「ランプ持って行かなくてい――あ、そっか。ごめんなさい」
「いえ、あ、そうですね。普通は持ってないと歩き回れないんでした。ありがとうございます。では行ってきます」
ランプを手に部屋を出て、警備兵に会釈をして足早に立ち去る。
ザインがラーニャを外に出す手筈を整えていると教えてくれたのはこの警備兵だった。今回の暗殺未遂に裏があるのは歴然としているが、それを解決するためにラーニャの協力がほしいのだと。
指定されたのは緑鏡の間。正妃のために用意された部屋だが彼女はすぐに使うのをやめたため、今では開かずの間になっていると聞く。
ノックの返事を待って目をつぶり、扉を開ける。部屋の奥からザインの疲れた声が聞こえてきた。
「やあ、よく来たね」
「この度は格別のご配慮をいただき――」
「今はそれいいから。時間もないしね。さあこちらへ」
ザインの指がテーブルを叩き、瞳を閉じたラーニャは音を頼りに部屋の中ほどまで進む。ザインのほかに人の気配がないことを確認しながら歩いていると、バルコニーに続くガラス扉を何かが叩く音がした。
ザインは「さすがのタイミングだ」と呟いてそちらへ向かう。
カーテンを開け、さらにガラス扉を開けると闇の中から男が現れた。
「ラーニャ」
その声、その香り。
ハッとしてラーニャが目を開けると、パールグレーの髪が室内の光を受けて白く輝いていた。
「カ……ミル殿下っ」
ラーニャが動くよりも先にカミルがそばへやって来て彼女を抱きしめる。
「僕がいるのをまさか忘れていやしないだろうね?」
そう言ってザインは窓とカーテンを閉じた。




