第39話 侍女の交代
ラーニャ、カミル、そしてムフレスの三人が北宮へと戻ると、エントランスホールでザインが彼らを待っていた。
「思ったより早かったね。この僕を待たせないのは褒めてやってもいい」
「勝手に待ってて何言ってんですか」
「カミルに話があって来たんだけど、君たちの同席も許可するよ。さぁ行こう」
「いや勝手に進めんな……って聞いてないし」
ザインは三人に背を向け、侍従に応接室へと案内させる。
二人の王子が向かい合って席に着き、ラーニャとムフレスはカミルの脇に立った。
メイドの運んできた茶を受け取ろうとしたラーニャをムフレスが制止する。代わりにムフレスが茶をテーブルへと並べた。
「それで、話とは?」
「うん、単刀直入に聞こうか。ヨーネスをどうするつもりなのか、考えを聞いておこうと思ってね」
「なぜです?」
「王位継承権者同士の争いはどんなものであれ認められてる。ヨーネスがダウワースを殺すのも、カミルがヨーネスを手にかけることもね」
言葉を切ったザインは紅茶に手を伸ばし、香りを堪能するようにカップを揺らす。ふっと息を吹きかけてから、思い出したように話を続けた。
「でも、もしカミルが動いたら僕は警戒しないとならなくなる。だよね」
王位争いに対してアクションしないからこそ、カミルの「王位に興味がない」という言葉を信じてやる、ということだ。どんな理由であれ兄弟に危害を加えたら、王位争いに参加したとみなさざるを得ない。
カミルはそれに頷いて答える。
「わかります」
「しかしさ、間の悪いことに北方視察が決まったんだって? ヨーネスみたいなクソ野郎の考えることは僕には理解できないけど、あれは母上をけしかけて無理を通したのさ」
「王妃殿下ですか。……ああ、葬儀に出るなということか」
なんのことかと思ったが、カミルの言葉でラーニャも合点がいった。
ダウワースが死んだのはルトフィーユを守るためだ。正妃にとって、側妃の子より自分の子が大切なのは当たり前のこと。我が子の死の原因となった側妃の子が葬儀に出るのは我慢ならないだろう。
ヨーネスはそれを利用して、即刻カミルを王都から遠ざけることに成功した。
ザインは手に持ったままであったカップをやっと傾け、ひとくちふたくちと喉に流し込んだ。
「そこで提案なんだけど」
「はい」
「その仔猫ちゃんを貸しなよ」
「なんて?」
ザインがラーニャを見る。カミルはザインの視線の先を確認した後でソファーから腰を浮かせ、ムフレスは三度ラーニャを見た。
ラーニャ本人は危うくザインの視線の先を確認するために背後を振り返りそうになって、すんでのところで耐えた。
「北方にまで連れて行くわけじゃないだろ? 不在の間、僕はヨーネスから仔猫ちゃんを守る。そうやってカミルに恩を売っておくのさ。ついでにカミルの弱点を聞き出したり……そうだな、そのまま侍女として引き抜いてもいいか」
「いやいや、さすがにダメでしょう。侍女とは貸し借りするようなモンじゃない」
その通りである。侍女とは王子の婚約者候補。
いつだったか亡きスハイブの侍女が北宮を訪ねて来たように、主が死亡したとなれば別の者に仕えるのもよかろう。または何らかの政治的な思惑が働いて、すべての人間が合意の上であればそういったことも可能かもしれない。
だが、少なくともラーニャはザインに仕える気がないのである。
ザインは余裕の笑みで説得を試みた。
「悪い話じゃないだろ? ルトフィーユはきっとリーン妃殿下が護衛を増やすだろうから気にする必要ないけど、仔猫ちゃんは違う。バスリーの屋敷は改装中だし、この北宮へ置いておけばヨーネスが何をするかわからない。まともな思考をしていれば、何が正解か考えるまでもない」
「そうは言っても。俺だってできる限りの護衛を置いて行くんで」
「スハイブのときもルトフィーユのときも僕は手を貸してやった」
「それとこれとは」
見つめ合う王子の間に沈黙が落ちる。
一歩も引く気のないカミルに対し、ザインは肩をすくめて見せた。しかしラーニャのほうへと顔を向け、口の端を上げる。
「僕の侍女は割と頻繁に代わるんだけど、理由は知ってるかな、仔猫ちゃん?」
「兄上」
ラーニャが返事をするより前に、カミルがザインを止めようと声をあげた。
「……いいえ」
「シェリーン、ハウラ、マイ――」
「兄上」
「みんなカミルに――」
「兄上」
ザインは口を噤んでカミルに向き直る。
ラーニャが黒のレースの奥で視線だけを動かしてムフレスの様子を窺うと、彼は面倒くさそうに頭をぽりぽりと掻いていた。
並ぶ女性の名前、苛立つカミル、交代する侍女。答えは明白である。
「どうした、カミル? 考え直したいって?」
「でもラーニャを預けるわけには」
「よろしくお願いします」
カミルの言葉に被せるように、ラーニャが口を開く。
全員の視線がラーニャに集まった。カミルが慌てて立ち上がり、ラーニャの手を取る。
「いや、ダメだから」
「ザイン殿下は私を守るためだとおっしゃってます。どこのどなたかは存じ上げませんが、よそ様の侍女をたくさん北宮にお呼びになった方がいるようで。一体なにをしていたのでしょうね?」
「頼むよ、ラーニャ……」
「アハハ、仔猫ちゃんに噛みつかれてるじゃないか。大丈夫、僕はその誰かと違って守るだけだと約束するよ。カミルを敵に回したいわけじゃない」
ザインは満足そうに笑って応接室を出て行った。
崩れ落ちるようにソファーに座り、頭を抱えたカミルがムフレスの名を呼ぶ。
「ムフレス、頼む」
「そうなると思った!」
カミルとムフレスの深いため息が混ざり合う中で、ラーニャはフンと鼻を鳴らした。




