第35話 森にあるもの
顔を見合わせたカミルとダウワースが同時に走り出し、ラーニャもその後を追った。途中でカミルがそれを制止しようとしたが、ひとつ舌打ちをしてからラーニャの手をとって再び走り出す。
もしも、言い合いをしている暇はないと考えたのであれば正解だ。ラーニャは来るなと言われてもこっそりついて行くつもりだったのだから。
なぜかルトフィーユは森に入った。
森では第五王子ヨーネスと第六王子クテブが狩りをしている。
ザインの言葉を借りれば「性格がねじれ切ったクソ気持ち悪い奴」であるヨーネスは、人が普段隠している意外な一面を見たいのだと言っていた。仮に、目的のためならモラルが欠ける行いであっても躊躇なく手を下せるとしたら? 制止役のクテブの目をかいくぐることができたとしたら?
柔らかな笑みでシーツを花壇へ放り投げるヨーネスの姿がラーニャの瞼から消えない。
もしも彼が本当にそんな「クソ気持ち悪い奴」だったとして、今回は誰の「意外な一面」を見ようとしているのか。
「そんなのわかりきってる……」
怒りに震える声がラーニャの口からこぼれ落ちた。
カミルだ。カミルの大切なものを傷つけてあるいは壊して、その反応を観察しようとしているのだ。
ついついカミルと繋いだ手に力が入って、彼が振り返った。
「絶対俺から離れんなよ」
気が付けばラーニャたち三人はすでに森へと侵入していた。遠くで猟犬が吠える。
正しく遊戯の一環として楽しむのなら、犬を連れた猟師が見晴らしのいい場所へ獲物を追い込み、貴族たちはそれを悠々と狩るというのが普通だ。
だが。
ダウワースが難しい顔で呻いた。
「くそ。音に規則性がねぇな、猟師に追わせねぇで好きにやってるぞこれは」
城に隣接するこの森では魔獣はもちろん猪のような獰猛な動物もいないため、獲物を追うことから楽しもうとする者たちもいる。
だが糞や倒れた草から移動経路を割り出すような技術を持たない素人は、物音や影にばかり反応してしまうため人と獲物の区別がつかない。参加者たちにとって「いるはずのない人間」が相手ならばなおさらだ。
「気をつけないと俺たちも危ないですね」
三人は一度立ち止まって辺りを見回した。
「つーかお前なんで侍女なんか連れて来てんだよバカか。せめてまともに目が見える奴連れて来い」
「俺も連れて来たくなかったんですけどー」
「ったく、なんで森なんかに……」
焦りの滲むふたりの声を聞きながら、ラーニャは記憶の中にヒントを探す。蓄積された情報の中には答えが、または答えにたどり着くための糸口があるのだ。だからバスリーは王国を支えて来られた。
「ルティは他人に脅されて動くような人間じゃないんですよ。何か意味があって来たはず」
カミルの言葉にはラーニャも同意見であった。
絵のモデルをする時間、ルトフィーユとはゆるゆると会話を楽しんで来た。彼は一般的な人間とは違う世界で生きているようだが、しかしバカではないという印象だ。母であるリーン妃もまたルトフィーユのことを「強く賢い子」だと言った。
「でもそこの侍女との約束すっぽかしてまでこんなとこ来るかよ? そもそもザインが嘘ついてるって考えたほうがあり得るわ」
「それだったらいいんですけどねー。確かにルティはラーニャの絵に力を入れてるみたいだし、普通ならすっぽかさねぇよなー。目が好きだとかなんとか言ってさ、俺のほうが好きだっつーの」
――夜空を詰め込んだような瑠璃の瞳。
カミルがラーニャの瞳を初めて見たときに言った言葉だ。
だが多くの画家は彼女の肖像画を描くのを躊躇する。夜空のような瞳を表現するための画材がないからだ。
青の顔料は種類が少なく物によっては入手が困難で、過去、そこそこの土地が買えてしまうほどの値段になることもあったと書いてあったのは美術史の本であったろうか。
今はそこまででもないはずだが、と考えたところでラーニャの目に青々と茂る草が映った。
「キルスティ・ウォード……!」
「あ? なんだって?」
「キルスティ・ウォードです。ルトフィーユ殿下はこれを探しに来たんだわ!」
再び、カミルとダウワースが顔を見合わせた。ラーニャは彼らの理解などお構いなしにまくし立てる。
「キルスティは発見者の名前です。ウォードは普通、青色の絵の具の元になります。ただこのキルスティ・ウォードだけは一般的な添加剤を加えると変色してしまい、使い物にならなかった」
「お、おお……?」
「それが最近、キルスティ・ウォードでも鮮やかに発色させられる添加剤が開発されたはずです。問題は、今まで顔料としての価値がなかったためキルスティ・ウォードのほうが商品として流通させられるほど栽培されていないということ」
「それが、この草?」
カミルがさわさわ揺れる草を指さして言う。
「あ? この侍女は目ぇ見えてんのか?」
「恐れながら、ご説明は後ほどさせてください。カミル殿下、アリフ・サッバーグ著『新分類ツハール王国野草鑑定図鑑』によると、キルスティ・ウォードはこの種にしては珍しく日光をあまり好みません。また落葉樹のそばで群生することが多いと」
「西の奥がブナの生息域だ」
キルスティ・ウォードの青がどのような色になるのかラーニャは知らない。だがもしそれが夜空のような深い藍であったなら、ルトフィーユはきっと欲しがるだろう。
三人は西へと出発した。




