第34話 消えた弟
カジノで遊び惚けてから十日ほど経ったある日、ちくちくと刺繍を刺していたレベッカがふと顔を上げた。彼女の視線の先では、ラーニャが頭上に上げた手からぶら下がるネックレスをぼんやりと眺めている。
「お嬢様、いつまでそうしてるんですか」
「だって綺麗なんだもの。光によって見え方が変わって」
細く繊細な金色の鎖に大振りの真珠がついている。虹色に光る真珠は良いものだと本に書いてあるが、ラーニャは目の前の真珠が最高級のものであると確信している。赤みの強い虹がきらきらと真珠の表面で踊っているのだ。
「お嬢様が宝飾品に興味を示すようになるなんて……このレベッカ、万感の思いでございます」
「なに、その結婚を控えた娘の親みたいな」
「実際そうでございましょう! お嬢様は王子殿下の侍女で、かつ殿下には他に侍女がいらっしゃいません。誰もがそういうことになるだろうと思っていますよ。その上、贈られた宝飾品をそんな大切そうに……。もはや相思相あ――」
「違う、これは労働に対する報酬みたいなもの。何か特別な意味があるわけじゃないんだから」
今朝ラーニャがいつものようにカミルの部屋まで朝の支度を手伝いに向かうと、彼は何でもないことのように小さな箱を持ち出して目の前で開いて見せた。
細緻な装飾が施された重厚な木箱にぬめやかな生地のクッション。そこに美しい真珠のネックレスが鎮座している様は一見して名のあるジュエラーのものだとわかる。
反応に困って戸惑うラーニャに、カミルは「ラーニャがカジノで稼いだ分だよ」と一言。労働報酬かと問うと、腹を抱えて笑っていたが否定はしなかったのでそういうことなのだ。
それでも嬉しい、と思う。
真珠はどんなドレスにも合うし、虹色に輝く様子はカミルの髪のようでかわいい。加えて、カジノ遊びの記念品にもなったのだから。
「そうよ、ただの報酬なの」
ラーニャが自分に言い聞かせるように呟くと、レベッカは「はいはい」と受け流して裁縫道具を片付け始める。ふと時計を見ればすでに昼を回っていた。
「ランチは食べていかないの?」
「とんでもない。お城の食事は胃に重いのですよ。それに午後はタウンハウスへ向かう予定が」
読み聞かせの振りをするためだけに通うレベッカだが、改装中のタウンハウスに関して執事とともに業者へ指示を出したり要望を出したりするなど忙しいらしい。
残念だが仕方ないとレベッカを送り出し、ひとりで簡単に食事を済ませる。ラーニャも午後にはカミルの弟ルトフィーユの、絵のモデルをする約束があるのだ。
……が。
指定された場所でルトフィーユを待っているのに、いつまで経っても現れない。
光の差し方が綺麗だから本城の庭にしようと言ったのはルトフィーユだったのに、忘れてしまったのだろうか?
しばらく待っていたがルトフィーユが現れる気配がないため、使用人をひとり残して探しに行くことにした。
最近の彼は、母である側妃リーンと共に昼食をとることが多いようである。であれば北宮か花燭の間のどちらかであろうと考え、まずは花燭の間を目指す。
警備の都合上、国王と王妃および側妃が生活する区域へ向かうには必ず通るべき通路があり、その途上でラーニャの耳に聞きなれた声が飛び込んできた。
「北方の防備が薄いのは侯爵の怠慢じゃんよ、なんで俺が」
「俺もそう思うけど仕方ねぇだろ。お前、そのまま――」
カミルとダウワースである。珍しく声を荒げるカミルをダウワースがなだめていた。
ラーニャはふたりの元へ駆け寄って、挨拶もそこそこにルトフィーユの姿を見なかったかと確認する。
「いや……俺たち、いま軍議が終わったとこなんだよね」
「どーせ忘れてんだろ、あいつは俺たちと違う時間を生きてるからな! ガハハ」
「ではこのまま花燭の間のほうへ行ってみます」
そう言って走り出そうとしたラーニャの背に、さらに別の声がかかる。
「おや、我が国の英雄たちが立ち話とは平和で結構だね。僕は陛下が寝込んでおられるから、この通り忙しくて」
第三王子、黄の星ザインだ。腕の中の書類をパシパシと叩いて、わざとらしく肩をすくめて見せた。
現在継承権第一位となっているダウワースは自他共に認める戦闘狂であるため、政治に関する執務の多くはザインに委任している。
居心地悪そうなダウワースを尻目に、ザインはここぞとばかりに愚痴をこぼし始めた。ラーニャもその場を辞すタイミングを失ってしまったため、仕方なくそれに付き合う。
「執務だけなら大したことないんだよ、この僕にかかればね。でもさ、ヨーネスのイタズラの後始末まで任されるとさすがに骨が折れる」
「そんなもん、双子の片割れに任せとけよ」
「いやいや。北方の防備の話、そろそろそっちにも回ったんじゃないですか? あれはその片割れが言い出したのをヨーネスがさらにかき回したんだから。救いようがないですよ」
北方で一体何が起きているのかラーニャにはわからないが、緑の星ヨーネスがイタズラをした結果カミルとダウワースにしわ寄せがいっているようだ。
カミルが一段と大きなため息をついた。
「視察行けとか最悪なんですけど。双子が言い出したのか……」
「ヨーネスは性格がねじれ切ったクソ気持ち悪い奴だからね、あんまり放置したくないんだけど」
ザインはそれだけ言うと「では」と軽く手を振って歩き出した。しかし数歩ほど進んだところで振り返る。
「そうそう。会議中に窓から見えたんだけど、ルティが護衛もなしに森に入って行ったようだよ」
「え」
カミルの表情が固まった。ダウワースも信じられないといった表情で腕を組む。
「おい。今日は双子が馴染みの貴族の息子どもを呼んで狩りしてんじゃなかったか?」
城に隣接する森はそれなりの広さがあり、小動物が多く生息している。この森ではちょっとした遊戯として頻繁に狩猟が行われるのだ。
カミルとダウワースが顔を見合わせた。




