第31話 ビギナーズラック
この国において賭場という存在そのものは禁止されてはいない。だが、入場できる年齢や掛け金の上限などが決められていて、健全な運営を求められているのが現状だ。そうなったのにはもちろん、過去に凄惨な事件が度々起こったという歴史があるわけだが。
が、賭博は人を依存させる。そして一層強い刺激を求めるようになる。
国が許す範囲では物足りなくなった者たちが地下に集まり、こうして夜な夜な賭け事に興じるようになるのだ。
「よく来るんですか?」
「たまにね。だいたいは情報収集で」
言いながらカミルは給仕の持つトレイからグラスを二つ取り、片方をラーニャへ差し出した。
給仕やディーラーは目元だけを隠し、その他の客はラーニャたちと同様に髪や顔を隠している。顔全体を覆うような仮面をつけている者も少なくない。だが全員が質の良い衣装を身にまとっていて、十分な資産を保有していることがわかる。
カミルに連れられて向かった先の台では、カードゲームが行われていた。ディーラーより大きく、かつ二十一を超えない値を目指すものだ。手際よくカードを繰るディーラーの技は素晴らしいが、しばらく見つめているうちに違和感が生じる。
「でん……」
「ダーリンって呼んでいいよ、ハニー」
「わーそう来たかー。ところでこれって――」
その先を言葉にすることが憚られて口を噤んだラーニャの耳に、カミルが唇を寄せる。
「そう、イカサマだ。誰を儲けさせるかはここのオーナーが決めてるらしい」
「みんな知っててやってるんですか」
「まさか。まぁ一部の勘がいい奴は気づいてるかもしれねぇけど、突っ込むのも無粋だろ」
そういうものかと頷くラーニャにカミルが続ける。
「ま、今夜は細けぇことは気にしないで遊ぼうぜ。もちろん金のことは気にしなくていい」
「破産させても?」
「ハニーが一緒に路頭に迷ってくれるなら?」
「その設定続けるんだ」
にやりと笑ったカミルは顔を寄せた距離のまま、ラーニャのフードの中へ手を差し入れて頬を撫でた。二人の間にまるで恋人同士のような空気を感じて、ラーニャの頬に熱が集まる。
「ゲッ、ゲームしましょう。私みたいな素人でも楽しめるおすすめはありますか? ルールは記憶しているつもりですが」
「こういうゲームはどれも簡単なもんばっかだけど……レッドドッグはどうかな」
ぱっと顔をそむけたラーニャの手をとって、また別のテーブルへと赴く。
そこではテーブルの真ん中に二枚のカードをディーラーが表向きに配り、客たちはそれを見て賭け増ししたりしなかったりしていた。並んだカードはどちらもスペードで一方が三、もう一方が九だ。
全員が落ち着いたところで、ディーラーが配った三枚目のカードはハートの十であった。これは三枚目のカードが最初に並べられた二枚の数字の間にあれば客の、そうでなければディーラーの勝ちというゲームである。今回は範囲外の数字だったためディーラーの勝ちというわけだ。
客の一人が両手をあげて叫んだ。
「くそっ、さっきから裏目に出てばっかりだ! おい早く次を!」
どうやら彼はレイズしていたらしい。
ラーニャは扇で口元を隠しながらため息をついた。
「スプレッド五の勝率は四割にも達しません。配当が最小だからって安易にレイズするなんて」
今回のような三と九の場合、間に入るのは四から八の五つの数字となるためスプレッド五と呼ばれる。スプレッド数が少ないほど配当も高くなるが勝率はそれだけ低くなるし、この客のように余裕がない者はレイズするべきでないと、ラーニャは考えている。
カミルは意味ありげに笑って、席に着くよう促した。
「ルールも戦い方もばっちりみたいだね。んじゃ、どこまで元手を増やせるかやってみよっか」
相手はイカサマもできるディーラーなのだから、コトはそう単純な話ではない。
ラーニャは反論しようとしたが、よく考えればこれはカミルの金でありラーニャの懐は全く痛まないので、負けたら負けたでいいかと切り替える。
スポンサーのカミルはゲームには参加しないらしく、ラーニャの背後に立った。
席について、参加表明の意味を持つ賭け金を所定の位置へ置く。このカジノでのみ利用可能な赤色のチップは、これ一枚で平均的な平民の生活費半年分より多い。それを五枚。
参加者全員がチップを置き終えると、ディーラーがカードを二枚配る。
「嘘……」
「ふはっ! これはこれは」
ラーニャが目を丸くし、カミルが笑う。
なんと、二枚のカードはどちらも同じ七だったのだ。参加者たちの纏う空気がふわりと弛緩した。
場に並ぶカードが同じ数字の場合、三枚目が間に入る可能性はない。そのため、基本的には引き分けとして賭け金はすべて返還される。しかし、例外がひとつだけ……。
早くゲームを進めろと笑う参加者たちの視線が一斉にラーニャの手元に集まった。
「レイズよ。あら、あたしだけ? 皆さん現実的なのね」
賭け増しをするラーニャに誰もが笑って茶々を入れる。
「お嬢さん、ルールは知ってるかい?」
「俺たちを乗せるつもりなら無理だぞ、いくらなんでも!」
三枚がすべて同じ数字のとき、配当は最高の十二倍となって客の勝利になるのだ。
ラーニャは「えー、でもぉー」と、いつか北宮で聞いた女性の黄色い声を真似して発した。
「あたし、こういうゲーム初めてだし、ビギナーズラック? あるって言うじゃないですかぁ~」
うふふと笑って見せるが、もちろん演技である。
これでディーラーを動かせれば面白いし、動かせなくても傷つくのはカミルの懐だけだ。
好きにしたらいいけど、という参加者たちの生温い視線を受けながらラーニャはディーラーのほうを向く。ディーラーは無表情のまま頷いて三枚目のカードを手に取った。




