第30話 夜のデート
スハイブの墓に花を供え終えても、ラーニャとカミルはしばらくその場から動けずにいた。
単純で短気なダウワースをけしかけ、スハイブを亡き者にする。それで得をした人物は誰だろうかと考えたとき、最初に思い浮かぶのはザインだろうか。
――頭の中まで筋肉が詰まってる橙の兄なら、軟弱な僕でも倒せそうじゃない?
言葉通りダウワースを本当にどうにかできるのであれば、スハイブの死によってザインが最も王位に近くなったわけだ。
だが一方で彼の言葉を信じるなら、ダウワースをけしかけたのはザインではない。彼は自分の得になるとわかっていたからこの展開を放置しただけで、構想を描き実行した人物は他にいるのだ。
瞳を閉じて、大聖堂での情景を思い起こそうとするラーニャだが髪に異変を覚えて目を開ける。と、一体なんのイタズラかカミルが彼女の髪を掬ってキスをしていたのだ。
「殿下、何を」
「俺のこと見てくれないから」
「私の目は使い物になりませんから。それになんですか、その子どもみたいな言い分は」
「ま、難しいこと考えたってまだ情報が足りねぇしさ、それに俺たちは身を護ることだけ考えてりゃいいわけだし。だから遊びに行こうよ」
「はい?」
犯人を捜すよりまずは身を護るべきという至ってまともな発想から、なぜ遊びに行くという提案がもたらされるのかさっぱりわからない。わからないが、王子の言葉は絶対である。
結局よくわからないまま夕方になって、ラーニャは北宮のエントランスホールへと向かった。カミルのいう「遊び」というのは夜でなければならないらしい。ドレスアップして外出するというので、急遽レベッカに来てもらって支度をした。
エントランスホールではカミルがすでに待っていて、腕にはビロードの布を抱えている。
「やぁやぁ仔猫ちゃん、美しく装った貴女はまるで月の――」
「口説かなくていいので」
「この前のまだ怒ってる? あれはほんとに勝手に入って来ただけで」
「あのとき怒ったのはそこじゃなく……いえ、怒ってないので行きましょう。失礼しました」
「えーどこに怒ってるのさー」
スハイブの侍女であった女性が押しかけて来たことは気にしていない。あれはカミルの責ではないし彼女だって生きるために必死だったのだから。だが「殿下に呼ばれた」が通用する北宮の警備体制と、通用するほど女性の訪問が頻繁にあったという事実が、なぜかラーニャをイライラさせた。
無視して歩き出そうとしたラーニャの手をカミルが掴んで引き留める。
「今夜はね、目を隠さなくていいよ」
「と言いますと」
「その代わり、個人を隠すんだ」
そう言うなり、カミルはラーニャに黒いビロードの布を被せた。よく見ればそれは丈の短いケープで、フードがついている。カミルは丈の長いローブ状のものを羽織り、深くフードを被った。そして、精緻な飾りが彫られた黒の仮面が差し出される。
「これは……」
「顔の半分は隠れるから、フードと合わせれば誰も君がラーニャ・バスリーだとは気づかないだろうね。さぁ行こう、夜のデートだ」
そう言って仮面を被って見せたカミルは、特徴的なパールグレーの髪も整った顔立ちも隠れていて確かに誰だかわかりづらい。
ラーニャはふつふつと沸き起こる好奇心が抑えられず、急いで黒のレースを取り、代わりに仮面を被った。
紋章のないシンプルな馬車の中で、ラーニャは窓から外の様子を見つめる。レースという覆いのない、そのままの姿の王都を見るのは初めてのことだ。
クリアな視界の中で人々が笑い、喋っている。駆け回る子どもの襟首を母親と思われる女性が掴んで引きずって歩くのも、若い男女が喧嘩をしているのも、レースがないというだけでこんなにも新鮮に映るとは。
「なんで外ばっかり見てるの」
「新しい発見がたくさんあるからです」
「俺には発見ないの?」
手に手を重ねられて、やっとラーニャは窓から目を離した。
対面に座るカミルが少しだけ前傾になってラーニャの手に大きな手を重ねている。今はフードを外しているため、パールグレーの髪が窓からの灯りで白やオレンジに光る。仮面越しの瞳はいつもの通り澄んだ青い空だ。
「べつに?」
「ひどいっ!」
「だって殿下の前ではレースなんてつけませんし。いつも本来のお姿のまま殿下を拝見してますから」
「本来の姿……えっちな意味で? やだ恥ずかしい」
「触るなケダモノ」
いつもより一層軽い冗談を飛ばすカミルだが、それが気遣いであることをラーニャは知っている。スハイブのことは考えても仕方ないのだ、今はまだ。
メインストリートから少しだけ裏側に入ったところで馬車が停まった。フードを被りなおしたカミルのエスコートで馬車を降りると、そこは庭さえない小ぶりな……しかし周囲の家々と比べればかなり大きな部類の屋敷であった。ただし、降り立った場所は屋敷の裏口だ。
「ここは、とあるブルジョワジーの持つ屋敷でね。夜な夜な資産家と若者たちが集まってるんだよね。研究資金、開業資金、芸術を続けるための金、そういったものを得るために」
「パトロンになることはステータスであり、社会奉仕でもありますからね。殿下も芸術家をお探しで?」
「いや、それは表向きの話ってこと。今夜の俺たちは遊びに来ただけだよ」
意味ありげに笑ったカミルは、ラーニャを連れて中へと入って行った。
裏口だというのに執事らしき風体の男が二人を迎え、地下へと案内する。少しずつ大きくなる話し声に、すでに多くの人が集まっているのがわかった。
扉の前にはふたり侍従が立ち、ラーニャたちの到着に合わせて大きく扉を開ける。
その先に広がっていたのは、華やかな灯りと煌びやかな衣装に身を包む人々、そしていくつもの緑色のテーブル。
目を丸くしたラーニャの口から「わぁ」と言葉がこぼれ落ちた。
「カジノですか……」




