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ラーニャ・バスリーは忘れることを知らない。  作者: 伊賀海栗


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第26話 心新たに


 北宮の庭の中ほどにある東屋(ガゼボ)で、今を盛りと咲く薔薇の香りを楽しみながら、ラーニャは紅茶を口に含んだ。頭上ではチーチーと小鳥が囀り、また少し離れた場所からはシャシャシャと軽快な音が聞こえる。それはカミルの弟ルトフィーユがキャンバスに木炭を走らせる音だ。


 それらの心地いい音に交じって、誰かの足音が近づいてきた。が、これもラーニャにとっては聞きなじんだ音である。


「ここにいたのか、仔猫ちゃんは。もう起きて平気なの?」


「はい、おかげさまでゆっくり休むことができました」


「まさかとは思ったけど、やっぱり熱を出すとは期待を裏切らない脆弱ぶりだよね」


 それには答えず、ラーニャは焼き菓子を口に放り込んだ。これはルトフィーユからの差し入れで、絵のモデルをする対価らしい。アーモンドの香りが鼻に抜ける。思わず頬を両手で支えたのは、世界のどこかには美味しいものを食べると頬が落ちるという言い伝えがあるからだ。


「今日はお忙しいと伺ってましたが」


「予定は全部キャンセルになったよ。対象が自刃した」


「まさか」


 ラーニャが高熱を出して倒れている間、カミルは襲撃者にあまり優しくない方法で尋問し、依頼者に関する情報を聞き出していた。暗殺ギルドの人間が依頼者についてペラペラ喋ることはないが、今回は捕縛した数が多いため些細な情報を組み合わせたり深掘りしたりすることで、対象を絞ることができたのである。


「死んで詫びをってタイプじゃねぇし、もっと奥に糸を引く奴がいたんだろうね。今回は俺の負けだ」


「いいえ、勝ちです。圧勝です。お父様を守ってくださったんですから」


 不服そうに唇を尖らせたラーニャに、カミルは苦笑しながら「そうだな」と笑った。


 ラーニャは亡くなった三人の騎士については言及しないよう努めている。心苦しさはあるものの、カミルが自身の采配ミスを悔やんでいると理解したからだ。それにこの戦い……王位争いはまだ終わっていない。死を悼むのは全てを終えてからでいい。


「伯爵と言えば、彼には怪我が治るまで城に滞在してもらうことになった。守りも万全だ。息子が……君の兄上か、彼が屋敷の改築を決めたそうだ。侍従はいったん、領地に戻すらしい。だから君も当面はここから出られないわけだが」


「もとより、出るつもりはありません。私は殿下の侍女ですから」


「ああ。陛下からもそう言われた。そばに置いておけってね。つまり、これはもう婚約と言えるのでは?」


「は?」


 誰が見ているかもわからない外では、ラーニャはほとんどの場面で目をつぶっている。隣に王子がいようとそれは変わらず、相手がいると思われる方向にほんの少しだけ身体を向ける程度だ。


 カミルの手が伸びてラーニャの頬に触れる。


「黄の星ザインが玉座を狙う以上、新王即位までに最低でもあとひとりは死ぬと思う。俺はルティを守るためにこの戦いから降りることができない。だからこれからもきっと君を巻き込むよ。危険な目に遭わせるかもしれないし、たくさんの知恵を欲しもするだろう」


 カミルの声はラーニャにとって心地いいものだ。自分の身体と同じくらい大きな弦楽器の奏でる音に似ている。その彼の声が震えていた。


「構いません。人の上に立つ者はそれを気にする必要もありません」


「でも全部が終わったとき、君には俺の隣にいてほ――」


 カミルの言葉の途中ではあったが、聞きなれない足音がしてラーニャはそちらへ顔を向けた。レースの奥でうっすらと瞼を持ち上げる。


 ダークグレーのドレスをまとった女性であった。もちろん、バスリーがその顔を忘れることはない。赤の星スハイブの侍女だ。


「きゃぁ。藍の星こんなところにいらっしゃった~」


 砂糖菓子のように甘い声に、ラーニャは目を閉じて焼き菓子に手を伸ばした。菓子のほうが甘さ控えめである。


「ここ北宮なんだからいるに決まってんでしょ……」


 呟いたラーニャの声は、女の黄色い声が搔き消す。

 この国において王子付きの侍女は結婚相手の候補である。その王子が亡くなると、侍女たちはすぐにも身の振り方を考えねばならない。侍女を置く枠が空いているカミルとザインは絶好の鴨なのだろう。


「え、どこから入って来たの……」


 カミルが困惑したような声をあげる。

 北宮は側妃とその子らが住まう場所であり、正妃とその子どもは南宮と決められている。いらぬ争いを生まぬよう、王子やその関係者であっても相手方の宮にはそう簡単に入れない。


「えっとぉ、『カミル様のお部屋に呼ばれててぇ』ってちょっとだけ泣いて見せたらぁ~、見張りの人が通してくれてぇ」


「呼んだんですか」


「そんなわけ……っ」


 甘い声を発しながら女がカミルのそばへと近づこうとする。離れたところで待機していた騎士が慌てて女のほうへと走った。


 お部屋に呼ばれて、という言い訳が通用する程度には、このカミルとかいう女好きは実績を積んでいるということだ。しかも、女も女だ。まだ喪も明けぬうちからなんと破廉恥極まりないことか。

 ラーニャは深々とため息をついて席を立つ。


「お忙しいようですので、私と紫の星はこちらで失礼しますね」


「えっ、ラーニャ待って! 違うの、これは違うから!」


「カミル殿下ぁ~」


 この男は女好きの遊び人であったと大事なことを思い出し、ラーニャはルトフィーユとともに場所を変えることにした。


 ルトフィーユは画材を片付けながら柔らかな笑みを浮かべる。


「やっぱり天使様は兄上を導いてくれる方だね」


「え、どこがですか。あんな下半身脳みそ男、導くような価値ないでしょう。淫らな悪魔が取り憑いています」


 ふふふとルトフィーユが笑い、それに被せるようにしてカミルの叫びが轟いた。

 驚いた小鳥たちが木々の間から飛び立って、青空を駆け抜けていく。ラーニャは目を開けてそれを見つめた。この一瞬も、大事に記憶にとどめておこうと思って。





第一部はこれにて完です。

以降も現在鋭意執筆中となります。

作品を完結させるのは私のポリシーなので必ず戻ってきます

ブックマークはそのままでお待ちいただけましたら幸いです。

ここまでお読みいただきありがとうございました!

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― 新着の感想 ―
[一言] イケメンはすぐ頬に触れる( ˘ω˘ )
[良い点] 下半身脳みそ男www
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