第25話 忘れ物
イルファンの言葉を理解するより前に、城からの応援が続々と屋敷へ入って来た。怪我人から順に馬車へと乗せられ、ホールの中は武装した騎士たちが行ったり来たりしている。
カミルが頭をポリポリと掻いてイルファンを問いただす。
「ええと、それは敵で間違いないんだよな? まだラーニャの部屋に隠れてるって?」
「皆様が階下へ向かってしばらくすると、複数の足音がいたしました。その後ひとりだけ階段を上り、わたしの脇を悠々と歩いてお嬢様の部屋へ。お嬢様方が戻っていらした場合に備え、それをお伝えせねばと廊下を見張っておりましたので、間違いありません」
彼の話が正しければ、テラスから侵入した増援のうちのひとりが上階へ向かったのだと考えられる。
礼を言ってイルファンを怪我人として送り出し、カミルは「うーん」と唸りながらラーニャを振り返った。
「部屋を確認に行く?」
「こんなに長いこと出て来ていないなら、無事に罠にかかったのだと思います」
「罠ってなに、怖いんスけど」
ムフレスがカミルとラーニャの表情を交互に見る。
ラーニャは話すべきか一瞬だけ悩んだが、ムフレスなら問題ないだろうと判断して口を開いた。
「ムフレスのためにご説明すると、私の部屋には隠された通路があります」
「高位の貴族の家にあるやつですね、それで逃げるんでしょ」
「通路は暗く先がよく見えないまま、階段が途中からなくなります」
「なにそれ怖」
運が悪いとひどい怪我をする恐れのある高さを落ちることになる。しかも背後は反り返るように角度のついた壁になっているため戻ることは不可能。そんな段差がいくつか続き、最後に辿り着くのはこの屋敷の地下牢である。
カミルは騎士をひとり呼んで地下牢の確認に向かわせた。そこに犯人が落ちていれば後で対処すればいいし、いなければラーニャの部屋へ乗り込む必要があるというわけだ。
地下へ向かった騎士は、先ほどラーニャの部屋にいた護衛のうちのひとりである。彼も疲労困憊であろうが、バスリー家の機密を守るのを優先してくれたのだと感じ、ラーニャは胸が温かくなった。
「そういえばここにいた襲撃者たち、揃いもそろってよくわからない言葉を発してたの、なんなんですか」
運び出されていく襲撃者を指しながらムフレスが言う。
ラーニャはそれには答えず、カミルを仰ぎ見た。
「もし地下に敵が本当にいたら、さっきの魔術の範囲外なので脳みそまっさらですね」
「無視すんな、脳みそまっさらってなんスか」
「ああ。依頼者の情報を聞き出したいのに、ずっとあの状態だったらどうしようかと思ってたんだよね」
「あの状態て」
「ていうか、さっきのテーブルナプキンどうしましたっけ!」
「だから無視すんなーこらーっ!」
魔紋という重大な証拠を残したままでは、禁呪を使ったことがバレてしまう。カミルとラーニャは慌てて食堂へと走り出した。ムフレスも一歩遅れてそれを追う。
片付けに奔走した侍従たちも、メインの舞台となった食堂は手をつけられないと判断したのか、酷く荒れたままであった。
目を覆う黒のレースを外そうとして、カミルがそれを止める。
「俺が探すから仔猫ちゃんは大人しく待ってて。怪我しても困るし」
目が見えることをムフレスが知らないというのもあるが、まだまだ血の匂いが立ち込める中で、レースのないクリアな視界で室内を見回すのは躊躇してしまうのも確かである。
ラーニャはカミルの言葉に甘えて部屋の隅へ行き、彼がナプキンを見つけてくれるのを祈りながら待つことにした。
「んで、なに探してんです?」
ムフレスがキョロキョロしながら尋ねる。
「テーブルナプキンです。見つけ次第すぐ燃やしてしまいた……くて……。え」
「これですか」
すでにムフレスはナプキンを拾い上げていた。しかも魔紋が見えるように広げている。
「ムフレス、さすがだ。よくやった。よし、それを燃やそう、すぐに燃やそう今すぐ燃やそう」
「あの、それ私のなので返してもらえますか。ムフレス?」
「でもこれ、何か魔紋のような……いやこんな形式の紋は初めて見るなぁ。幻影投射術と似てるけど、なんでこんな……」
もはやムフレスの耳に二人の声は届かない。魔導士の多くは見知らぬ魔紋を見ると、その構成を研究したくなる生き物なのだ。
そして、研究者の九割は命知らずである。
「あれ、魔力が通った」
ムフレスは魔紋に魔力を通した。黄色い輝きが室内に弾ける。
そ……っとラーニャがカミルを見上げる。カミルもまた、ラーニャの様子を窺っていた。
「大丈夫、ですか」
「俺はそりゃあね。ラーニャも大丈夫そう、だな」
「ええ、まぁ」
無事を確認して、ふたりは脱力した。状況を理解できていないのはムフレスただひとりだ。ラーニャはナプキンを奪い取ると、ランプの火を移してあっという間に燃やしてしまった。
「なんてことを」
呆然とするムフレスを置いて、ふたりは食堂を後にした。




